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Jazz and Far Beyond

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InterviewsNo. 285

Interview #232 Jane Hall ヴォーカル ジェーン・ホール

Interviewed by Kenny Inaoka via e-mails, December 20, 2021
Thanks to: Muzak, Japan and Brian Camelio (ArtistShare)

あの歌を忘れてほしくなかった

Part 1

Jazz Tokyo:日本のレコード会社からあなたのCD『With A Song In My Heart?』を国内発売したいと申し入れがあった時、どのように思われましたか?

Jane Hall:身に余ると思ったわ。エドとのデュエットを楽しんでもらえて嬉しかったし、何よりあのアルバムのことを知ってたなんて驚いたのよ。

JT:同意するのに時間がかかりましたか?

Jane:全然!とても嬉しかったわ。

JT:同意した理由は何だったのでしょう?

Jane:とにかく嬉しかったのよ。あの歌を忘れてほしくなかったこともあったわわね。

JT:そもそもこのアルバムのリリースを持ちかけたのはどなたですか?

Jane:ジュリアン・レイジ(注:ギタリスト)がとても気に入ってくれて、それが大きな力になったわ。ブライアン・カメリオ(注:ArtistShareレーベルの創始者。レコード・プロデューサー、ギタリスト)もね。

Brian and Jim

JT:アルバムではどの曲がいちばん気に入っていますか?

Jane:とても難しい質問ね。どの曲も好きだから。自宅でジムと何度も歌ってた曲なのよ。そうね、<マイ・フェイヴァリット・シングス>と<ウィズ・ア・ソング・イン・マイ・ハート>かしら。<ラウンド・ミッドナイト>と<ラヴァー・マン>もいいわね。どの曲も捨て難いわね。<ドゥ・イット・アゲイン>は、パレス・シアターとカーネギーホールでジュディ・ガーランドが歌ったのを聴いて知った曲なのね。
この質問を受けてもう一度聴きなおしたのよ。イアフォンで。<ピープル・ウィル・セイ・ウィ・アー・イン・ラヴ>、<メイビー・ユール・ビー・ゼア>、<イット・マイト・アズ・ウェル・ビー・スプリング>も気に入ったわ。

JT:ジムの意見はどうでしたか?

Jane:どの曲も気に入ってくれたわ。いつもにこにこしながら聴いてた。ジムが生きていて、改めて意見を聞けたらいいわね...。

JT:新作のリクエストに応える気持ちはありますか?

Jane:ジムが亡くなってから(注:2013年)ずっと歌っていないのでまだ声が出るかどうか相当練習をする必要があるわね。ブライアンが伴奏してくれるかもね。可能性があるという理由はただひとつ、好きな歌がたくさんあって、誰かが歌い継いでいかないと、という気持ね。

JT:誘いを受けたら日本のクラブで歌いたいと思いますか?

Jane:想定外の質問ね。ジャズ・クラブで歌った経験は一度もないし、考えただけで顔が赤くなるわ。

日本のリスナーの鑑賞能力はとても高い

Part 2

JT:レパートリーは何曲くらいありますか?

Jane:数え切れないくらい。歌が好きだから。

JT:新曲の練習は如何ですか?

Jane:「新曲」を練習したのはもう何年も前になるわ。ビル・エヴァンスが録音した <ホワイ・ディド・アイ・チューズ・ユー>をジムが教えてくれたのよ。素敵な曲だったけど人気にはならなかったわね。ブロードウェイ・ショーの『ザ・ヤーリング』(1965) の挿入曲だったけど。

JT:娘さんも歌がお好きですか?

Jane:そうよ。今年のクリスマスには一緒にクリスマス・キャロルを歌おうと思ってるところよ。

JT:もう一度生まれ変わったら歌手になりたいと思いますか?

Jane:分からないわ。多分、ノーね。ジムと自宅で歌うことが好きだったのよ。今従事している事、心理療法(サイコセラピー)が好きだから。いい歌手はたくさんいるし、歌手生活は楽な仕事ではないから。

JT:ジム(ホール)と日本へ来たことはありますか?あるいはおひとりで。

Jane:ジムと何度か行ったことがあるわ。3、4回かしら。いい友達もできたし。写真家の K.Abe(阿部克自)とギタリストの Satoshi Inoue(井上智)ね。Satoshiはジムの追悼コンサートにも来てくれたし、ジムと何度か共演してるのよ。

photo:Jim&Satoshi duo@Village Vanguard celebrating its 70th Anniversary

JT:たとえば日本のどんな都市を回られましたか?日本の印象は如何ですか?

Jane:日本は大好きよ。出会った人たちは皆とても親切でね。京都、大阪、神戸、そうそう、神戸では地震にあったけど大した地震ではなかったわね、札幌、それから富士山。日本の旅館にも泊まったことがあるのよ、畳に寝てね。プロモーターは皆、腕利きだったわ。

JT:ジムご本人はどうでしたか?

Jane:ジムも日本は大好きだった。何度も訪日してるでしょ。日本のリスナーの鑑賞能力はとても高かったわね。能舞台でソロ演奏をしたことがあって、とても気に入っていた。そうそう、東京で2枚アルバムを作ったわね。

フランク・シナトラが憧れの的

Part 3

JazzTokyo:1976年リリースのジム(ホール)のアルバム『Commitment』(Horizon)に1曲だけあなたのヴォーカル <ホエン・アイ・フォール・イン・ラヴ>が収録されているのですが、この経緯を教えていただけますか?

Jane:正直なところ覚えていないのよ。そもそもは私の楽曲を1曲録音するはずだったのだけど、難しくて。自宅では散々歌っているのにね。

JT:それ以前にはプロとしての歌の訓練は受けていたのですか?

Jane:いいえ。

JT:プロの歌手になろうと努力したことはあったのですか?

Jane:いいえ。

JT:ジムや他のミュージシャンのために楽曲を書き下ろしていますが、学校で作曲の勉強はしたことがあってのですか?

Jane:ジュリアード(音楽院)OBの素晴らしい教師ホール・オーヴァートンについて1年間ほど作曲を勉強したことがあるの。彼は、セロニアス・モンクのオーケストレーションを担当した人よ。あとは、子供の頃にピアノを習ったくらいね。

JT:プロの作曲家になろうと思ったことはあるのですか?

Jane:多分ね。ジムは私の楽曲をたくさん録音してくれたけど、私は心理療法の勉強をしていたので時間がなかったのね。

JT:録音された楽曲をいくつか教えてください。

Jane:たとえば、ジョー・ロヴァーノの奥さんのジュディ・アイルヴァーノが<サムシング・テルズ・ミー>、ポール・デスモンドが <オー・ガトー>ね。

JT:ということは、あなたは生まれつきの歌手、生まれ付きの作曲家ということになりますか?

Jane:そういうことになるかしら。私にとってはとてもたやすいことなのよ。ジムに言わせると私はとても音楽的素養があるらしいの。

JT:音楽一家に生まれたのですか?

Jane:両親は音楽が大好きだったけど、ミュージシャンではなかったわ。

JT:いつ、どんな音楽に初めて興味を持ちましたか?

Jane:いつも音楽が好きだった。子供の頃、素晴らしいブロードウェイ・ショーがかかっていてね、「オクラホマ」、「南太平洋」、「カルーセル」、「王様と私」、両親と連れ立って全部観たわ。歌が素晴らしかった、ロジャース&ハマースタイン、コール・ポーター、レナード・バーンスタインたちね。

JT:いちばんお気に入りのジャズ・シンガーはどなたでしょう?

Jane:エラ・フィッツジェラルドとジューン・クリスティ。ポップ・シンガーも好きよ、たとえば、ドリス・デイが特に、あとはジョニ・ジェイムス、ジョー・スタッフォードとか、私が10代の頃に人気者だった人たちね。彼女らの歌をむさぼり聴いていろいろ学んだの。もちろん、フランク・シナトラのフレージングは最高だったし、憧れの的だったけど。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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