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InterviewsNo. 308

Interview #275 若林一也がiglooと共に遊歩するジャズ/ロックの境い目

Interview & text by 町田ノイズ
Photos by Noriko Akiyama

若林一也 Kazuya Wakabayashi
1984年5月24日生まれ、福島県会津若松市出身のサックス奏者。両親の影響で幼少期からジャズに親しみ、日本大学芸術学部でクラシック・サックスを専攻。在学時に津上研太(BOZO、DC/PRG)に師事し、川田良(THE FOOLS、THE PANTZ)と出会い、ジャズ界とアンダーグラウンド・ロック・シーンを横断する音楽活動を開始。川田良の没後にTHE PANTZのバンマスを受け継ぎ、THE FOOLSに加入した。このほか、ZZZoo、此方喘ぐ散りの共鳴り、海へ向かうエバ、Jongdari13など多数のバンドやユニットのメンバーを務める。個人での活動としては、2020年公開の山中瑤子監督の映画『魚座どうし』の音楽担当、Borisが2022年に発表したアルバム『Heavy Rocks』、2022年10月から2023年3月に放送されたNHK朝の連続テレビ小説『舞いあがれ!』への参加などで知られる。2022年11月に自身のリーダー・プロジェクト『WE MIGHE WRONG』を発展させた4人組インストゥルメンタル・バンドiglooを結成。2023年1月から出演映画『THE FOOLS 愚か者たちの歌』が公開。


「クラシックをきっかけに音楽を始め、デイヴィスなどのオールドスクールに浸かり、津上研太に入門した人間が、THE FOOLSをきっかけに日本のアンダーグラウンド・ロック・シーンに飛び込んだ」と耳にした時、あなたはそのミュージシャンの作品に手を伸ばさずにいられるだろうか。

iglooというインストゥルメンタル・バンドは、リーダーであるサックス奏者・若林一也の、そんな数奇な運命を燃焼させるような音楽性で眩く輝いている。『JazzTokyo』で取り上げること自体がふさわしいのかどうか懊悩してしまうほど、自由で、無垢で、何にも囚われることなく、ジャズとロックのボーダーラインを軽々と飛び越える。それは、まるで本来の“音楽そのもの”の楽しみ方を提示しているかのようだ。

2023年3月にリリースした1stアルバム『PARASITE SYSTEM』は、ジャズとロックとファンクとサイケを横断する実験的作品だったが、11月22日に発表した『Synapse Confusion』は、それにも増して挑戦的なアルバムだ。伸ばした指先がひりつきそうなほどの緊張感とパンクネス、地面から踵を浮かさずにはいられないポップネス、絵本のページを捲る度に現れる夢幻にも似たサイケデリアで満ちている。

スリリングで多幸感溢れ、何者をも逃さないこの作品に、若林一也はどうやって至ったのか。これまでの経緯と、本当は秘密にしておきたいほどの裏側を訊いた。

―音楽家を志したきっかけはなんですか?

ピアノを小学校1年生の頃からやっていて、中学生の頃に吹奏楽部に入ってサックスを始めて、親の影響もあってジャズを演奏し出して。ずっと音楽が好きだったんです。その後は日常的に音楽に触れていて、大学卒業後に今みたいなライヴ活動を始めて、そこまでの流れがあまりにも自然で、今まで考えたことはありませんでした。強いて言うなら、「音楽に出会って、さらに深く掘り下げていきたい」と思ったから。

(時系列で話すと)出身は会津若松で、中学の部活は小学校のマーチング大会で全国行くくらいの強豪校出身の人とかと一緒にやってたんですよ。かたや僕は10万円くらいのおもちゃみたいなサックスでデビューした人間で、レベルが違うことが悔しくて、昼休みとかも練習していました。

高校に上がってからは、今も使ってるセルマー・シリーズ3のアルトサックスを買ってもらったんです。で、「大学でも音楽を続けたい」と思って、「1回だけ、仙台でクラシック・サックスを教えている先生のところに行かしてください」って親にお願いして、レッスンを受けたら、先生に「次も来なさい」って言われて。それから、鈍行で片道4時間かけて通うっていうのを月に2回くらいやってました。その先生からは、最初に「お前は、音大に行こうなんて思うなよ」というようなことを言われて、悲しい思いをしてたんですけど、夏の大会が終わっていざ受験ですってなったタイミング、8月くらいのレッスンがめちゃくちゃ厳しかったんですよ。その帰り際に「これから音楽続けていくのか?」って訊かれて、「そのつもりです」って答えたら、音大の資料を手渡されたんです。意気揚々として家帰って、親と「そんなお金出せない!」「行きたい!」などとやりとりした結果、「ここなら行けるんじゃない?」って日本大学芸術学部を調べてくれて。そこからは猪突猛進で、日芸一本で受験しました。

―入学後に津上研太さんに弟子入りされてますが、若林さんが思う、津上さんと他のサックス奏者の方の違いはなんですか?

日芸は文化祭の時にだけジャズのビッグバンドを組むのですが、せっかくなので「アドリブも取ってみたい」「ジャズの教室にも通いたい」と思って。でも、どこで習って良いかわからず、渋谷のアクタス(現:ノナカ・ミュージックハウス)ならとのことで、講師のCDを片っ端から聴いていった時に、津上さんのリーダーバンドのBOZOに出会いました。違いというか好きなところは、もちろん音の太さ、テクニックは凄いのですが、不良だけど音数は少なく、音の隙間に漂う危険な感じとか、次の瞬間には崩れ落ちてしまうのではないかと言うギリギリなところでの最高なプレイとか、醸し出す雰囲気がかっこ良いと思ってます。

―出演されたドキュメンタリー映画『THE FOOLS 愚か者たちの歌』でも証言されていますが、その後、川田良さんと出会ったことが人生の分岐点となり、THE FOOLSとTHE PANTZ 加入に繋がりました。大学時代から“スタンダード・ジャズの夕べ”的なイベントで「I Should Care」を吹いた翌日にヒゴヒロシさん主催の企画に出演されるなど、日本のジャズ界とアンダーグラウンド・ロック・シーンを行き交う活動を始められたそうですが、川田さんのギターを聴く前に、ロック・ミュージックと対峙することはありましたか?

全くなかったですね。それまでは大学で学んでいたとあって、クラシックが中心でした。クラシックといっても、サックスは新しい楽器でレパートリーもフランス物に偏ってしまうため、ドビュッシー、ラヴェルなどの印象派やバルトーク、そして現代音楽が中心でした。だからこそ良さんとの出会いは衝撃的だったんだと思います。

―現在はBorisのアルバムに参加したり、ヤマジカズヒデさんや森川誠一郎さんらとのZZZooの一員になったりなど、ロックとジャズの二足のわらじで活動していらっしゃいますが、ロックに軸足を移すきっかけや、意識の違いを教えてください。

やはりTHE FOOLSに入ったというのが大きいのではと思います。轟音の中に身を投げるのが自分にあっているのでしょうね、あとリスナーとの一体感がとても気持ちいい。どうしたら一体となれるか、iglooでもずっと考えてます。あと、サウンド面でもよりラウドになるため、サックスにマイクを付けて出す、今までよりもかなり音色に対してタイトになったり、音数に対してももっとシンプルで象徴的になど意識したりすることが多く、自分にとっての課題をひとつひとつこなしていくのが気持ちいいというのがあります。いざライヴとなると、マイクをぶん投げて客席に飛び込んじゃったりもしますが。

でも、僕的には、ジャンルの意識はあまりありませんね。Iglooの1stアルバムの『PARASITE SYSTEM』はSpotify Japan公式プレイリストの『Modern Jazz Japan』に選んでいただきましたが、そこで「僕たちのジャンルは何々です!」と宣言してしまうと、そのチャンスを潰しちゃうことになるのでは? たくさんの方に聴いてもらって超期待というか。例えば、あと2、3年経って、自分たちの音楽が世の中にパッケージングされる時に「オルタナティヴ・ロックです」「ニュー・ジャズです」という風に評価されたら、それでいいかな。

―iglooの前身となる『I might be wrong』『WE MIGHE WRONG』はなぜ発足したのですか?

コロナ禍に始めた『I might be wrong』は、「何か新しいこと始めなきゃ」「ミュージシャンだけじゃいけない」「僕に何かできることはないか」と思ってやった、僕ひとりの映像の企画だったんです。実は、こういうところが僕の出発点になっていて、“音楽”っていうよりは“アート”にしたかったんですよ。サックス奏者として世の中と繋がっていくためには、音楽を多角的に捉えて、空間プロデュースするっていうことをやらなきゃと。その次に「バンドがやりたい」と思って『WE MIGHE WRONG』に発展していきました。

―後に同メンバーでiglooが結成される『WE MIGHE WRONG』ですが、当初は“実験的なビート・プロジェクト”をコンセプトとしてスタートしましたよね。

でも、実を言うと、僕にとっては意味とは後付けなんです。本当は全部直感。「この人とやりたい」の連続で、“メンバーや演奏をこう構築して、こうしたい”っていうことができないんです。だから、“どうなるかわかんないけど、まずやってみる”ということを大事にしてます。『WE MIGHE WRONG』をやる上では、KAZI(Dr)さんのビートが第一に浮かんできました。

―では、iglooも“ロック・バンドがやりたい”という意識があったわけではない?

あんまり意識してないですね。……僕のやってる音楽がロックか、ジャズか、ということは、お任せしたいんですよ。どの文脈で語ってもらっても構わなくて、僕の演奏経験としてあらゆるところで、あらゆる方々と演奏してきたので、それが作曲に反映されるのは必然的なとこなので。

―『PARASITE SYSTEM』は、若林さんがこれまで作りためてきた楽曲をiglooで再現した、若林さん自身のギフトでもあり墓標のような1作だと思っています。『Synapse Confusion』はiglooとして出発点に立ったような作品ですが、制作のきっかけと、曲作りの過程を教えてください。

『Synapse Confusion』制作のきっかけは、ありがたいことに僕のお尻を腫れ上がるくらいに叩いてくれる人がいて、火が付いた感じです。曲作りは僕の精神的なパルスを刻んでくれるKAZIさんと2人でスタジオに入り、ドラムを録音して、DAW上でループ・トラックを作り、その上にベース、テーマ、コードなどを付けていきました。

―『PARASITE SYSTEM』は“若林一也が理想の音楽を100%実現させるためのプロジェクトとしての作品”だとしたら、『Synapse Confusion』は4人で初めて剥き出しのまま向かい合ってバチバチにやり合った印象が強いです。以前「セカンドはロック色とサイケ色が強くなる」と宣言された以上のアルバムにもなっていますし、作品性の強さも感じます。

僕としては『PRASITE SYSTEM』も充分出発地点と思っているのですが(笑)、楽曲はiglooのために書いてきたわけではなく、今まで書いてきた曲ですからね、そういう面では『Synapse Confusion』が真の出発地点といえるかもしれません。

―『Synapse Confusion』はジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズなどのノー・ウェイヴを想起させる作品となっていると思うのですが、制作にあたって意識された音楽などがあれば教えてください。

もちろんジェームス・チャンスも好きだし、サックスでいえばオーネット・コールマン、メイシオ・パーカー、もちろんチャーリー・パーカーも好きですよ。
ただ制作する時は神秘的な何かを求めていて0から1を生み出したいという欲望が強くあって、音楽は聴かないようにしました。昼間はどうしてもやることや日常に追われてしまう。夜になると精神も落ち着き、作曲に向けての道が開けてくる。と言っても、ほぼPCキーボードに向かいつつ待ちの時間が多かったと思います。そっと静かに頭の中に鳴っている音と実際の音があっているか確認しつつ、キーボードを触ってみたり、時に殴打したり、リゲティ・ジェルジュの「volumina」の真似ごとをしてみたり。

―さあ、ここからやっと各曲の制作秘話に入っていけます。

……正直に言うと、僕、曲に紐づいたインスピレーションとかないんですよ。

―えっ?

僕の場合は“反応”なんです、全部。「あのメロディー、どうして浮かんだの?」と訊かれても、全然わからない。

―私、他媒体で若林さんのことを“自由で無垢な音楽の在処”と表現したのですが、まさにそんな感じですね(笑)。

たとえば、「So Extra」は、タイトル通り「Escape From My Vertigo」で使ったドラム・パターンから新たに生み出した曲です。“理路整然と区画された綺麗な街だけど、何かがおかしい”というイメージ。

―「Tully, Corfu, Greece」は、アルバート・ワトソンの写真が契機になったんですよね。

これはほぼDAWで作ったんですけど、思い入れのある曲なんです。“できの悪いマフィアもしくは、プッシャーが広い砂漠を見るからに燃費の悪そうなアメ車で煙を撒き散らかしながら疾走する”イメージだったんですけど、深夜作曲している時、休憩中に転がっていたアルバート・ワトソンの写真集に載っている『Tully, Corfu, Greece』という作品を見た時に、インスピレーションが湧いて、できました。拓ちゃん(田島拓 Gt)もデモを聴いた時そんなことを思ったようで、うれしかったです。

―「STRANGER IN THE ROOM」は“サックスがめちゃくちゃ歌ってるな”という印象が強いです。

この曲は一番ギター・ロックっぽいんですね。ある男が部屋に居続けられて、遮られない独り言に発狂しそうになっている自分を現しました。
「Melting Day By Day」は、フィールド・レコーディングのなかで、日々に溶けていく音を表現しました。テイクを重ねていくうちに周りの音と馴染んでいくのがわかり、とても気持ちよかったです。

―この流れ、『PARASITE SYSTEM』の時から進化して、アルバムとしてのまとまりはありつつも、曲ごとの抑揚があって美しいなと感じました。

「Escape From My Vertigo」は、結構初めの方にできてた曲で、テーマは“拓ちゃんのソロ”。ミニマルなフレーズが折り重なっていくパートが聴きどころですね。
一時期取り憑かれたようにある考えが頭を支配してめまいにおそわれ、逃れられない。絶望と諦めを曲にしました。
で、「Hatsujyo」は「STRANGER IN THE ROOM」と同じく、『PARASITE SYSTEM』に収録されている「MAGIC SQUARE THEME」パート2みたいな位置付けなんです。“アルト・サックスで叫びたい”っていう欲求が詰まってる。タイトルは、人間の欲望として自分の中の1番は何かなと思った時にこれだと(笑)。

―「Hello,,Dawn,Unknown」は新機軸のダンス・ミュージックで、ライヴの新たなキラー・チューンになってますね。

すごく評判いいですよね。

―はい。これは意外でした。最初にサビのフレーズができて発展していったものなんですけど、1990年代の、『私をスキーに連れてって』みたいな、キラキラした世界になりましたね。子供の頃ですけど、ギリギリあの感覚を知ってるから。

最後の「Night Surrender」は……本当に、最後の方で絞り出したんですよ。それで出てきたメロディーっていうのが、「夜に飲み込まれつつ、夜を放棄する」そういうイメージ。僕としては、“音楽”って「お前はああだ!」「こうだ!」って訴えてくるけど、結局は空気に溶けていくもので……そういうのをやりたいっていうのがあって。“響き”とか“感じ”で捉えるというか。どうその場の空気が震えているかとか、どうその世界が見えているかとか、 “めちゃくちゃサックス吹いてるんだけど、音が散っちゃって聴こえない”とか。「Night Surrender」はそんな中で生まれてきた曲です。Iglooのために作曲したら「ビートがあって〜」とか、そういうことを意識していたんだけど、全然違う世界観だったから、最初取り上げようかどうしようか迷ったんだけど、新たなKAZIさんの魅力も垣間見れる事もできました。KAZIさんってリズムももちろんいいんですけど、音色がすごくきれいなんですよね。あんなに音がデカいのに、耳が痛くならない。シンバルのロールとかすごく美しかったり。そういうのは前から感じてたんですけど、この曲のタムのドン……ドン……っていう、ひとつひとつの音がすごく良かったですね。

―iglooとして、若林一也として、これ以上ないくらいワクワクさせてくれる作品を世に放ってくれたという感謝でいっぱいなのですが、今後の展望があれば。

……やっぱり、もうちょっと……3年くらいかかると思うんですよね。Iglooに対してどういうアプローチができるかっていうのを、実験していきたい。iglooとしての絶対的な世界観を完成させたい。あと2枚くらいアルバム作ればなんとかなると思ってるんですけど。それを沢山のリスナーに聴いてもらいつつライヴで作り上げていきたいです。
それと、『Synapse Confusion』をたくさんの方に聴いていただきたい。CDでもサブスクでも、なんでもいいから聴いてもらって、「あれが良かった」「やっぱり合わなかった」っていう経験の1つとして『Synapse Confusion』を選んでもらえると嬉しいかな。


 

町田ノイズ
大分県出身、山口大学人文学部卒業。2012年からライター活動を開始。音楽イベント『FREAK SMILE』や話芸の会手掛けることも。

 

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