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InterviewsNo. 309

Interview #278 仲田哲也・奈緒子夫妻に訊く(前半):〈パーキンソン応援ライブ〉とサックス奏者赤松二郎先生」

仲田哲也、仲田奈緒子の2人は、大阪市旭区のTen-On音楽教室を営むと同時に、教室のスペースを利用してライブイベントを開催している。経営者であり指導者の2人や関西の地元ミュージシャンが定期的に出演するほか、板橋文夫氏など東京の音楽家がツアーで登場する会場でもある。さらに毎年恒例となっているのが、「パーキンソン応援ライブ」である。仲田哲也氏はパーキンソン病患者であり、その治療を受けながら音楽教室を営み、自身の病気が周知されることや、パーキンソン病などの難病治療を続けながら音楽活動をする仲間たちを応援するイベント「パーキンソン応援ライブ」を奈緒子氏とともに開催してきた。
関西を拠点に幅広く活動するサックス奏者であり、大阪音楽大学でジャズ教育をスタートさせるために力を尽くした赤松二郎氏も、パーキンソン病を発症したのちに、このイベントに参加するようになった。だが残念なことに一昨年の12月、肺炎のため逝去された。さまざまな音楽活動で功績を残した赤松二郎氏(1947年 – 2022年12月14日)が亡くなってちょうど1年という時期に、彼について語って頂きたいと仲田夫妻にインタビューをお願いしたところ、快く引き受けて頂いた。
(インタビュー前半の話題では、妻の奈緒子さんが事情をよく知っておられた。仲田夫妻の言葉を一部編集してまとめ、ローカルな話題については、補足説明を加えることとした)

left: Naoko Nakata right: Tetsuya Nakata They are owners of Ten-On music school in Osaka City
left: Naoko Nakata
right: Tetsuya Nakata

2023年6月8日には赤松二郎さんを偲ぶ「パーキンソン応援ライブ(Vol.7)~赤松二郎farewell party~」が開催されたのだが、自分は出演者などを調べずに会場に向かい、この日は準備不足な参加となったため、もう一度Ten-Onに行って取材し、赤松二郎氏について記事にしたいと考えた。今回のインタビューを通じて、関西のジャズ界、音楽界全体にとって、赤松氏は本当に大切な人だったと実感している。


〔ジャズ喫茶「ブルーノート」(豊中市)に出演されていた頃の赤松二郎氏の活躍ぶりを聞く。大阪音大卒業生の仲田奈緒子さんは、当時の赤松氏の演奏を間近に聴いていた。また彼女も、この店のセッションに参加していた〕

picture of Jiro Akamatsu (far light) playing saxophone in his younger days at jazz spot 'Blue Note'
Jiro Akamatsu (far light) playing saxophone in his younger days at jazz spot ‘Blue Note’

2023年6月8日に〈パーキンソン応援ライブ(Vol.7)~赤松二郎farewell party~〉が開催されました…赤松二郎さんはどのようにしてTen-Onの「パーキンソン病応援ライブ」に参加されるようになったのでしょうか。」
奈緒子さん:大阪音楽大学のすぐそばに、ジャズ喫茶「ブルーノート」があり、そこでは大学のジャズ好きな先生たちが何人か出演していました。その中に当時大学で講師を務めていた赤松二郎先生もいて、’あかまっちゃん’と呼ばれていました。赤松先生の専攻はクラシックだったけれど、ジャズもバリバリ演奏する人でした。当時はカラオケ録音のサックスパートを吹き、大阪音大とそれ以外での音楽スクールで音楽指導をするという活躍ぶりで、クラシック、ジャズだけでなく、歌謡曲、ポップス、ロックと幅広い音楽活動をされていました。大阪で知らぬ人はいないと言っていい存在であり、数えきれない人たちが直接または間接的に彼の教えを受けていました。大阪音大で学んでいないサックス奏者も赤松二郎先生のことはよく知っていたのです

哲也さん:赤松二郎先生は、ブルースやロックのバンドにも参加し、’上田正樹とSouth to South’でもサックスを吹いていましたよ

(参考音源:https://youtu.be/caE0Pr8JxjI?si=wIELbRvf3-gb6Zf4
’上田正樹とSouth to South’『この熱い魂を伝えたいんや』1975年9月28日、芦屋ルナホール、赤松二郎氏はサポートメンバーとしてテナーサックスを吹く)

〔ジャズ喫茶「ブルーノート」は、赤松二郎氏の個人史を語る上でキーワードのような存在だ。豊中市庄内西町の音大通りにあったこの店は、やはりサックス奏者だった菅原乙充(おとみつ)氏が1969年に開いた。日本国内にいくつかある同名のジャズバーとは関連がない。長い歴史の中で数々のエピソードを残した豊中市庄内のブルーノートは、多くのファンに惜しまれながら2018年12月に閉店した。開業50周年を目前にして、長い歴史を閉じる前の12月12日にピアニスト石井彰氏がラスト・セッションを開き、多くの演奏家とファンが店に集まった。石井彰氏も、赤松二郎氏と同様にジャズ喫茶「ブルーノート」と深く関わる音楽人生を歩んできた音楽家である。
赤松二郎氏は関西での音楽教育、とりわけジャズ教育の発展に寄与した人物であり、大阪音楽大学でジャズが学べる体制づくりに尽力されたようだ。やがて同大学は1992年にハンク・ジョーンズ氏を客員教授に招く。
詳しい事情は分からないが、大阪音楽大学の現在のジャズ専攻・ジャズコースの礎となる歴史のスタート地点に、赤松二郎氏がいたと言っていいのだろう。そんな赤松氏がジャズ指導者としてぜひ迎えたいと思ったのが、大阪音楽大学で作曲を学んでいた石井彰氏だった。石井氏もまた「ブルーノート」と縁が深く、この店を起点にジャズ演奏家となる道が開けていった人だ。
(以下、インタビューの中で「ジャズ科を作る」等という言葉が出ますが、実際の正式な名称(コース、専攻、科など)とは異なることをご了承ください。便宜上「ジャズ科」と記述します)〕

〈パーキンソン病応援ライブ〉参加だけでなく、Ten-Onでの公演が多い石井彰氏も、ジャズ喫茶「ブルーノート」でよく演奏されていたそうですね

奈緒子さん:石井彰さんは作曲を専攻し、ジャズっぽい曲を作っていたと聞いています。ピアニストの彼に楽器の演奏指導はしていないでしょうが、ジャズを通じて互いによく知る関係だったようです。音大にジャズ科を作るというときに、ハンク・ジョーンズを客員教授として迎えたように、赤松先生は大学卒業を控えた石井彰さんにも声をかけ、「石井君、大阪音大に来ないか?」と誘ったそうです。石井さんがプロのジャズ演奏家を目指そうという時期に、ブルーノートのマスターには「君は大阪に留まってはいけない。東京に行きなさい」と言われており、どちらを選ぶかで悩んだようです。でも赤松先生は「月に一回こちらに帰ってきて教えたらいい。だから東京で頑張りなさい」と言って、石井さんを励ましたそうです。
その後は、東京拠点となった石井彰さんの噂を聞いて、いい活躍をしているなと、しみじみ思っておりました。

赤松二郎先生はいつ頃パーキンソン病にかかられたのでしょうか。どんなきっかけで「パーキンソン病応援ライブ」に参加されるようになったのですか?

奈緒子さん:大学教授だった赤松二郎先生は副理事になられたと聞いていますが、大学での事務的な仕事が大変忙しかった時期に、パーキンソン病になったようです。それから楽器を演奏をすることがなくなり、大学の仕事を辞めることになったようです(おそらく、名誉教授となった2016年の少し前ごろ)。
ジャズ喫茶「ブルーノート」のセッションが行われた日に、マスターが店の横を通りかかる赤松氏に気づき(大学と店は至近距離)、「あかまっちゃん、何しているの? おいでえや!」と声をかけると、「いや最近、全然吹いていないんや。吹かれへん、忘れたわ」と答えたそうです。でもそれがきっかけで、赤松二郎先生は再びブルーノートのセッションに出ることになり、サックスを吹くようになられたんです。私もセッションに行くことがありましたが、赤松先生の出演日とは重ならず、お店で顔を合わせることはありませんでした。でも、マスターに頼まれて、ジャズ曲の譜面を準備することがあったのです。それは赤松先生のための楽譜だと説明されました。

赤松先生はジャズ曲の譜面をたくさんお持ちだったのではないか思うのですが、病気のために、どこにあるか忘れてしまったのかもしれませんね。

奈緒子さん:そうかもしれません。
週に3回のセッションを開いていたブルーノートには、音大生以外の一般の人も演奏に来ていました。赤松先生は2015年頃からこのセッションに時々参加していましたが、2018年にブルノートは閉店することになってしまいました。

picture of Duke Ellington given from Jazz&coffee shop Blue Note in Toyonaka City to Ten-On music school
picture of Duke Ellington given from Jazz&coffee shop Blue Note in Toyonaka City to Ten-On music school

それは何とも残念です。

奈緒子さん:本当に残念です。50周年を目の前にしての閉店でした。
(2018年ごろ)ブルーノートのジャズ・セッションでの共演メンバーから、このTen-Onでの「パーキンソン病応援ライブ」の話を聞いて、赤松先生は自らここにやって来ました。

哲也さん:赤松先生は家内(奈緒子さん)ではなく、私に会おうと訪ねてきたのです。

奈緒子さん:(大阪音大卒業生の)私が(Ten-Onに)いることは、赤松先生は全く知らなかったのです。私がいるのを見て大変驚いていました(笑)
その後ブルノートでの先生のセッションメンバーがそのまま「パーキンソン病応援ライブ」最初の出演者になりました。

[2018年頃から、赤松二郎氏はTen-Onでのライブイベントに参加するようになり、「パーキンソン病応援ライブ」のレギュラー参加者となっていった。同じ病気にかかっていたギタリストである仲田哲也さんと赤松二郎さんはすぐに意気投合したようだ。

Ten-On ランチタイム・ライブにて
出演:仲田奈緒子(p) 仲田哲也(g) 赤松二郎(sax) 演奏曲:〈It Could Happen To You>

一度は楽器を演奏するのをやめていた赤松氏は、ブルノートのマスターのサポートを得て演奏を再開し、その後はTen-Onのイベントに出演して、観客を前にしての演奏を続けた。彼は2019年の「パーキンソン病応援ライブ」で再び石井彰氏と共演することになった。石井彰氏はパーキンソン病ではないが、やはり難病と闘っていた。上記の通り、赤松二郎氏が彼と音大との縁を取り持ったのだが、現在も石井氏は大阪音楽大学の特任教授として授業を受け持っている]
~後半に続く~

関連記事:
2019年開催の「パーキンソン病応援ライブ」について
https://jazztokyo.org/reviews/live-report/post-42173/

岡崎凛

岡崎凛 Ring Okazaki 2000年頃から自分のブログなどに音楽記事を書く。その後スロヴァキアの音楽ファンとの交流をきっかけに中欧ジャズやフォークへの関心を強め、2014年にDU BOOKS「中央ヨーロッパ 現在進行形ミュージックシーン・ディスクガイド」でスロヴァキア、ハンガリー、チェコのアルバムを紹介。現在は関西の無料月刊ジャズ情報誌WAY OUT WESTで新譜を紹介中(月に2枚程度)。ピアノトリオ、フリージャズ、ブルースその他、あらゆる良盤に出会うのが楽しみです。

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