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No. 215R.I.P. ポール・ブレイ

Natsuki Tamura / 田村夏樹

ポール・ブレイ

カミさんである藤井郷子が、ニューイングランド音楽院でポールのレッスンを受け始めた。家に戻った藤井にポールとのレッスンの話を聞くのが凄く楽しみだった。
その話は普通、先生が生徒に言うようなモノではなく、独自の視線による、目から鱗の話と、長年様々な現場で様々な体験をした人ならではの、実に興味深い話ばかりだった。
間接的に受けたポールのレッスンで、僕の音楽に対する考え、そして実際の演奏も随分変わっていったと思う。
ポールが来日して、藤井と一緒に各地でコンサートをした時、僕も何箇所か付いて回ったが、当時新宿にあった魚市場レストランが忘れられない。ポールはそこの殻付きホタテが殊の外気に入ったようで、「ツアー中は特に体調管理に気をつけ、食べすぎないようにしている」という言葉とは裏腹に、まだ食べるの?と心配になるくらい食べまくっていた。翌日も「またあのレストランに行こう!」と言う。こちらは「ええ?またですかあ?」と思いながらも仕方ないから連れて行くと、「今日はホタテの入荷がありません」と言われ、その落胆ぶりが凄かった。
狭山市でのコンサートの前に、主催者が凄く美味しい料亭にポールを招待した。とても美味しかったようで満腹状態で会場に戻ってきた。その夜の演奏は「これポール・ブレイ?」と疑うほどフニーっとしたものだった。演奏直前にポールを満腹にしてはいけないと確認した夜だった。
熊谷市でのコンサートは会場が大ホールだった。現地に着いて会場を見たポールは、「本当にここでやるのか?大きすぎるんじゃないか?」と心配そう。フェスティバルでもない限り、地方都市で単独のコンサートで大ホールを使うなんて、そうそうあることではない。主催の団体が頑張ったこともあるだろうが、さすがポール・ブレイ。ほぼ満席の大盛況で、本人も驚いた様子だった。僕としては既にジャズの歴史上の人物なのに、虚勢を張らない、分かりやすい、好感の持てる人だなと思った日だった。
エピソードはまだまだあるが、きりがないのでこの辺にして、ご冥福を祈ります。
あの世でもカプチーノを飲みながらしゃべりまくってるのだろうか?(トランペッター)


Natsuki Tamura / 田村夏樹
滋賀県生まれ。高校卒業後上京。スマイリー小原とスカイライナーズ、今城嘉信とザ・コンソレーション、宮間利之とニューハード・オーケストラ等で演奏。そ の後フリーのミュージシャンとしてアイドル歌手のツアーバンド、テレビ、スタジオ等で活動。1986年、渡米。ボストンのバークリー音学院に入学。
1987年、帰国。自己のバンドで活動。1993年、再び渡米。ボストンのニューイングランド音学院に入学。NYに移り活動。1997年帰国。日本、欧米 を中心に自己のバンド「Gato Libre」「First Meeting」や藤井郷子、板橋文夫等のバンドで活動。海外のフェスティバルにも出演多数。CDリリースも多数。

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