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No. 225R.I.P. 内田修

追悼 “Dr.Jazz” 内田修「男の約束」

JAZZを通して今も忘れがたい人達がいるが、小野好恵さんと内田修さんは私にとって格別な存在だ。前者はユリイカやカイエの編集者であり、後者は先日亡くなられた外科医である。
この二人は全く違う環境の中に居たが、どちらもJAZZをこよなく愛し、常に真摯で熱いパッションに溢れるジャズ愛好家であった。
とりわけ日本のJAZZミュージシャン達を最後まで応援し続けた大切な恩人でもある。

80年、日野元彦さんがNYから戻って日本でツアーを行うことになった。「若い女の子だけど面白いピアニストがいるから彼女と組んでツアーをしたらどうだい」と内田先生が彼を口説いた事から私が選ばれたという話を後になって知った。その結果、トリオ(ベースは井野信義)で日本横断の長い旅となった。岡崎でも演奏があり、先生が聞きにいらしていたので「センセイ!コンサートの後は毎晩トコさんにお説教されて、ワタシすっかり不眠症になりました」と話したら、「たわけ!それは良かった。今夜たんまり肉を食べたらきっと眠くなるゾ!」 と仰って何処かの焼肉屋に連れて行ってくださった。先生が毎朝ブフテキを召し上がってから診察する話もその時に伺い、吃驚したのを覚えている。

日本人のセプテットで東欧のツアーがあったことも思い出す。93年にベルリンジャズフェステイヴァルに出演したから(五十嵐一生、林栄一、片山広明、井野信義、板谷博、ツアーでは日野元彦から小山彰太に変わる)多分その1年前か後だと思うが正確な年は憶えていない。先生がひょっこりドレスデンのジャズクラブに現れた。とても元気な御様子で私達に声をかけ、「ここのメシはまずいが、君たちの演奏は中々良かったぞ」と仰ってくださった。彼は私たちに晩食を御馳走したいようだったが、ドイツのレストランに再び足を運ぶのは気が進まなかったようだ。

先生がベルリンの我が家に立ち寄った時のことである。
亭主が「ドクター、人生もこの辺で終わりにしようと決めた時、飲んだらパッとこの世から消えることの出来るような特効薬はありませんか」と尋ねた。「アレックス君、そんな気分になったらいつでも連絡して来なさい。僕が注射してコロッとあの世に飛べるようにしてあげるよ」と云い、「Bitte! その時は頼みますよ」と二人は大笑いしていたことが今は懐かしい。その後も「Dr. Uchidaは注射の事、まだ覚えているかなあ」と亭主は未だアテにしているようである。

内田センセイ! 男の約束はどうなったのですか?

(高瀬アキ)

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