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R.I.P. アレサ・フランクリンNo. 245

追悼:アレサ・フランクリン

text & photos by Yoko Takemura 竹村洋子

 

『ソウルの女王』として半世紀以上にわたり君臨してきたアレサ・フランクリンがこの世を去った。8月16日、膵臓癌のため、ミシガン州デトロイトの自宅で息を引き取った。8月16日から17日にかけ、これ程多くのメディア、SNS等でその死を悼み報道されたミュージシャンはこの数年いなかったのではないだろうか?

アレサ・フランクリンは1942年3月25日テネシー州メンフィス生まれ。父親のクラレンス・フランクリンがデトロイトのニュー・ベセル・バプトスト教会(New Bethel Baptist Church)に赴任するため、1946年にデトロイトに移り、そこで育ち、そして天に召された。

ゴスペル色の強いソウルシンガーであるのも、牧師である父親の下に育てられた影響だろう。生涯、グラミー賞を18回受賞。1987年『ロックの殿堂』入り。2005年に大統領自由勲章を受賞、2009年、アメリカ合衆国第44代大統領バラク・オバマの就任式典にて<My Country, ‘Tis of Thee “America”>を祝唱したのも歴史的な出来事だった。

ここで、これ以上彼女の功績を記す必要もないだろう。

私がアレサ・フランクリンを生で聴いたのは、2004年のデトロイトだった。その時が最初で最後となった。
この時は第25回 フォード・デトロイト・インターナショナル・ジャズ・フェスティバルだった。これは毎年の9月初めのレイバーデイ・ウィークエンドに開催される自動車会社フォードがスポンサーになった北米最大のフリー・ジャズフェスティバルで、1980年にスタートして以来40年近く続いている。フリー(無料)であっても1人$1の寄付が推奨されており、屋外の公園中央にメインステージ、あとは2〜3箇所小規模なステージがあるが、いづれも観客と出演ミュージシャンの距離が非常に密接なフェスティバルという気がする。

私が行った2004年のフェスティバル・コンセプトは『 セレブレーション・ザ・ライフ・オブ・エルヴィン・ジョーンズ』でチコ・ハミルトン、ウィナード・ハーパー、レニー・ホワイト等のドラマーの他、ボビー・ワトソン・ジェームス・カーター、ジョン・ファディス、ニコラス・ペイトン、ジョン・ヘンドリックス等が出演していた。

そして、ヘッドライナーはルー・ロウルズ、ラムゼイ・ルイスとアレサ・フランクリン。各々が3日間、メインステージでトリを務めた。

もう14年も前の事なので、正直なところキャロル・キング作の<You Make Me Feel Like A Natural Woman>を唄っていた事以外、詳細はほとんど覚えていないが、とにかく生で初めて観たアレサの圧倒的な存在感と歌唱力に驚かされた。しかも彼女はデトロイターで地元のシンガーである。アフリカン・アメリカンがデトロイトの人口の8割近くを占める地元の観客の熱気も半端ではなかったと記憶している。
「ソウルの女王」というのもよく解ったが、ジャンルを超えたシンガーだと痛感した。私は彼女に比較的近い良い席にいてよく見えたが、私と同じ人間とは思えない程の存在感とオーラがあった。

アレサ・フランクリンが亡くなった日、最初にシカゴに住むサックス奏者の友人がメールをくれた。彼は、「確か1988年か89年、僕がまだ20代前半の時に、ニューヨーク・シティのラジオシティ・ミュージックホールで彼女のバックを演ったんだよ。オーティス・レディングの<Respect>でテナーのソロを取ったんだ。彼女はそりゃ、身体は大きかったね。僕もその時の彼女のパフォーマンスの事は、無我夢中だったからほとんど記憶にないんだけど、彼女はバンドのメンバー達にはもの凄く親切で優しかったよ。アレサの<Respect>のソロを取る、という特権を与えられたのは今でも誇りに思ってるよ。」とあった。

友人も(ミュージシャンであるにも拘らず)私もアレサ・フランクリンのパフォーマンスはただ凄かった!としか覚えておらず、何かとてつもない神懸った存在だったという話をし、彼女の死を悼んだ。

後にも先にもないアレサ・フランクリンの存在の偉大さに敬意を評し、合掌。

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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