JAZZ meets 杉田誠一 #106「小杉武久」
text by Seiichi Sugita 杉田誠一
小杉武久さんが、2018年10月12日、食道がんのため、80歳で死去された。
1964年、ション・ケージと共演したことは、広く知られるところではあるが、ぼくが初めて小杉武久と出会ったのは、1969年、新宿ピットインである。当時、ぼくは、ピットインでバイトしていた。
小杉は、タージ・マハル旅行団を結成。メンバーは他に、土屋幸雄、木村道弘、永井清治、長谷川時夫、林勤嗣。小杉は、リーダーにして、バイオリニスト。タブラほか、インドの民族楽器を導入。当時のジャズ・シーンは、相も変わらず欧米崇拝の「ニュー・ジャズ」を強力に志向。
ところが、タージ・マハル旅行団は、同時代音楽として悠久のインド音楽を位置づけ、「ニュー・ジャズ」とは一線を画して淡々と個的な活動を連綿と続ける。
当時、アメリカでは “ロング・ホット・サマー” を経て、アフリカへの回帰へと、フリー・ジャズは、強靭なベクトルを志向。
日本/アジア人である小杉武久は、インドヘの回帰と向かい、「ニュー・ジャズ」とは一線を画した。目的はたったひとつ、タージ・マハルで演奏すること。演奏は常に、床に座して行われる。小杉武久は、バイオリンを弾くまえに、いつも胴の内側に息を吹き込み、あたためてから弾きだし、「言霊」を吹き込む儀式のようでもあった。
ストックホルム、ロンドン、等を経て、タージ・マハル旅行団は、タージ・マハルで演奏し、解散する。あれは、翌1970年であったのだろうか?
きわめて私的には、このたった2年間でタテノリ一色であったジャズ・シーンにあって、ヨコノリへの変容を迫ったのがタージ・マハル旅行団の功績ではある。
心より小杉武久さんのご冥福をお祈り申し上げます。合掌。