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R.I.P. 齋藤徹No. 254

「弱さの力」とともに—-追悼・齋藤徹さん

text by Makoto Ando 安藤誠

 

「私の方が彼に学ばせてもらっています」

齋藤徹さんから、何度その言葉を聞いただろう。「彼」とは、長年にわたって数多の作品を共創し、国内だけでなく海外でも共演を重ねてきたダウン症のダンサー、矢萩竜太郎さんのことだ。

初めてその言葉を聞いたのは、調布市仙川にある「森のテラス」での舞踏家・松岡大とのデュオライヴ終了後のこと。それ以前から田園調布「いずるば」をはじめ、様々なところでお会いしていたにもかかわらず、なかなか話しかけられなかった徹さんに、竜太郎さんの存在はダウン症の子供がいる親にとって希望です、と思い切って伝えたときに返ってきたのが冒頭の言葉だった。

その後も幾度となく、直接言葉を交わすたび、あるいはアフタートークの場などでも、「私の方が多く学んでいる」と徹さんが発言されるのを聞いた。いわゆる健常者が障害者と関わる機会を持つとき、そのような趣旨の言い方をする人は少なくないが、残念なことに、しばしばそれは単なる建前なのが透けて見えたりする。しかし徹さんがそう語るときには、常に真実の響きがあった。経験に裏打ちされた確信が息づく言葉だった。そのことは筆者だけでなく、誰にとってもおのずと明らかだったと思う。

今年3月の京都市中京区でのライヴ(ほんの2カ月前のことだ)のアフタートークでも、「竜太郎さんとは最初は5分も持たなかった」と語られていたが、知的障害というハンディキャップを抱えた人と、「教える・教えられる」という立場ではなく、互いにアーティストとしての関係を保ちながら10年にもわたり共創を続けていくのは、並大抵のことではないはずだ。その過程では数多くの衝突や軋轢もあったに違いない。それらを乗り越えて、ここまでの長期間にわたって対等のコラボレーションを続けてきたことに対して、改めて畏敬の念を禁じ得ない。

闘病する立場となってからの徹さんは、「弱さの力」ということをよく語られていた。矢萩竜太郎さんだけでなく、同じく長く共演を続けてこられた庄崎隆志さんや、ほかにも大勢のハンディキャップを抱える人々との関わりによって、また自分自身が病を得て、「弱さの力」がよく見えてくるようになった、それは自分の財産なのだと。そのように徹さんが語るとき、勿論そこには自身の人柄、優しさが根底にあったのは間違いない。しかしそれと同時に、一人の音楽家、芸術家として、新しい何かを切り拓くための突破口を、多くの人々が看過してしまう「弱さ」に見出していたのではないか。いま振り返ってみると、そのようにも思える。

徹さんは名文家でもあった。各種の媒体やFacebook等でその豊富な知識と経験を下敷きとした独自の知見に満ちた文章に触れるのは、筆者にとって大きな喜びだった。いつも触発されるばかりだったそれらの中から、個人的に最も感銘を受けた一文として、昨年9月のランドフェス仙川での演奏後記としてFacebookに書かれた文章から、以下を引用させていただく。

 

 「強いもの、人気のあるもの、お金の動くもの、もてはやされるものを観る・聴くではなく、弱いもの、誰も知らないもの、お金の動かないもの、通り過ぎてしまうものに、足を止め、自分の目で観て、自分の耳で聴き、自分の頭と心で反応する」(原文ママ)

 

齋藤徹さんが残されたすべての音楽と言葉に感謝します。

写真=2019年3月24日・京都市中京区御所の杜ほいくえんにて

 

安藤誠

あんどう・まこと 街を回遊しながらダンスと音楽の即興セッションを楽しむイベント『LAND FES』ディレクター。

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