#08 ギンガ、モニカ・サウマーゾ
text by Takashi Tannaka 淡中隆史
Guinga & Mônica Salmaso Japan Tour 2019
2019.4.10 東京 練馬文化会館
Guinga(ギンガ) (g & vo)
Mônica Salmaso(モニカ・サウマーゾ) (vo)
Teco Cardoso(テコ・カルドーゾ) (sax, fl)
Nailor Proveta(ナイロール・プロヴェッタ) (cl)
ギンガ&モニカ・サウマーゾ来日ツアー実行委員会
S.M.「きみ、ギンガを知ってるだろ、今度ブラジルに帰ったらあうんだ」
「え、ぎ、ギンガ、銀河?、知りませんけど」
S.M.「なにっ、ギンガを知らない?、でも、君は私の『ブラジレイロ』を何度もきいて感動したって言ってたじゃないか」(怒)
(、、、、、)
「あ、わかりました、もしかしてあの”グインガ”って書くひと、ギンガと呼ぶんですね」
「日本じゃ銀河って”Milky way”のことなんですよ」(←ウェザーリポートの1st.で知っていただけ)
S.M.(ふ、あいかわらずワケわからんやつだなコイツ)
こんなトンチンカンな会話の中、私はミスターS.M.すなわちセルジオ・メンデス先生から初めてギンガ(Guinga)の存在を知らされたのでした。1995年LA郊外のキャッスル・オークス・スタジオでのことです。
(ちなみに「Guinga」は本名ではない。かといって、もちろん銀河とは関係なく、小さいころのあだ名「グリンゴ」(Gringo)(外国人→色の白い人)からきているそうだ。)
S.M.「ギンガはあっちで歯医者をしてる。だけどものすごいジ〜—ニアスな作曲家なんだ」、「私は彼の音楽が大好きでアルバムにも二曲かいてもらったよ」
(ふ〜ん、ベタホメじゃん、よし!今度きいてみよう)
たしかにS.M.氏の『ブラジレイロ』(1992)にはギンガ作の一度聴いたら忘れられない二曲「エスコンジュロス」(Esconjuros) と「ショラード」(Chorado)が入っている。1990年代、チンバラーダを率いて注目を浴びたバイアのカルリーニョス・ブラウンを世界に紹介、セルジオ・メンデス自身も新しいステップに入る転機となったグラミー賞作品だ。これが導線になってカルリーニョスの音楽は大きく開花、ほどなくアート・リンゼイ参加の『バイーアの空のもとで』(Alfagamabetizado 1996)に結実することになる。
『ブラジレイロ』は「セルメンのコンテンポラリーよりブラジルへの回帰」と言われた。でも、むしろアメリカン・フュージョンに染まっていたS.M.氏が身をかわして(?)興隆するワールド・ミュージックの中で「ブラジル人」としての原点に帰ったと考えた方がわかりやすい。彼のキャリアの中で最高のピークを飾る音楽でもある。その中でジョアン・ボスコやイヴァン・リンスなど1990年代ブラジル音楽のアイコンたちに交じって当時、ほぼ無名だったギンガはS.M.氏の秘蔵っ子として登場、世界に紹介された。
そうしてこのアルバムの成功はエンジニアであり、実質的な共同プロデューサー、傑出した手腕を持ったムーギー・カナジオ(Moogie Canazio)に大きくよっている。ムーギーの仕事はその後、S.M.氏との『オセアノ』(Oceano 1996)やカエターノ・ヴェローゾ生涯の傑作『リーブロ』(Livro 1997)へと発展していくことになる。
それから、なんとなく二十四年が過ぎた。
ときおりリリースされる『シェイオ・ヂ・デドス』(Cheuo de Dedos)(1996)から『ホエンドピーニョ』(Roendopinho)(2014) に至るギンガのアルバムを聴くたびにおどろきは増していった。この「天才歯科医」の初来日を心待ちにするようにもなった。
その日、4月10日。東京でたった一晩のライブにモニカとギンガたちを待つ数百人の人々「みんな」が練馬文化会館に結集したかのようだった。折りしもここは3年前「ナナ・バコンセロス亡きあと」にエグベルト・ジスモンティがひとりで驚くべき「追悼公演」をおこなった伝説のホールだ。はるかな昔に東京でエルメート・パルコアール、そしてカエターノ・ヴェローゾの初来日に立ち会えたときを思い出して心が踊る。「ほんもののギンガが現れるのだろうか」とすら思い、心配になった。
「あれ、お久しぶりです」
「うん、オレ北海道から来たんす。クラウドファンディングして」
「いや〜、6日は会社休んでさ、山形までききに行ったけどスゴかったよ」
...とかいった「濃すぎる」会話がロビーやホールでわんわん響いてくる。
そう、このコンサートは「来日ツアー実行委員会」によるクラウドファンディングで成立、そしてヤマガタ(の「山ブラ」)は今やブラジル音楽の聖地のひとつなのだ。
こんな音楽会にしかいないこんな人たちが集まっている。10年ぶりに会う人も多い。「なにか」の同窓会みたいだけれど何のかはわからない。
彼らはブラジル音楽のファンというより「ジスモンティとエルメートの追っかけやってきた元アヴァン・ロックと現代音楽ファンです(40代)」(すべて想定)みたいな、どの音楽カテゴリーからもちょっとずつ「先のすみっこ」にアウトしている人のようだ。そんな人たちにとっての「神さま」(ジスモンティでも、アレシャンドロ・アンドレスでも2019年初来日のトン・ゼーでも)を招んで、情報を確実に発信すれば800人ほどを集める「確信犯的音楽会」がたちまち成立する。
コンサートはギンガ(G,Voc)と現在のブラジルで最高のヴォーカリストであるモニカ・サウマーゾ(Mônica Salmaso)、それにテコ・カルドーゾ (Teco Cardoso)(Sax, Fl)とナイロール・プロヴェッタ(Nailor Proveta)(Cl)の二人の天才的な木管楽器プレイヤーによる特殊編成だった。ギンガのアルバムでこの「木管アンサンブル」は『シェイオ・ヂ・デドス』(Cheuo de Dedos)(1996)に早くも現れている。アルバム・タイトル曲ではマルチリード・プレイヤーのカルロス・マルタ(Carlos Malta)によるバリトン、テナー、アルト、ソプラノのサックス、バスからピッコロまでのフルートまで各種の木管楽器のオーヴァー・ダビングによる「ひとりアンサンブル」で絶妙な世界を表現している。
ブラジル音楽固有の木管アンサンブルのあり方。エルメート・パスコアールやモアシル・サントスだけではなく、古くはピシンギーニャやヴィラ-ロボスの木管楽器作品にまでさかのぼる事ができる伝統だ。クラシックやジャズとは全く違うこんな「音色の世界」は南米独特の文学や絵画で感じられるものに近い。そしてそれが現代の20〜30代のファエル・マルティニやアレンシャンドロ・アンドレスたちに見事に継承されているのをみるのは楽しいこと。テコとナイロールの木管どうしの会話はギンガ、モニカの音楽と美しく呼びかわし、そのさえずり合いは人間と鳥たちとの会話のようで人々を別世界に連れて行って不思議な感覚を呼び起こす。まるで「メシアンの鳥」のように。しかし、やはりそれはヨーロッパの「音色」ではなく熱帯の鳥たちのひびきに近い。
モニカ・サウマーゾの「人間の声とはいったい何なのか」とまで考えさせられる表現はあくまで抱擁力を持ったポジティヴな大きな明るさに包まれている。こころから肯定的なオーラが深いところから発散されて幸せな気持ちに浸れる。
30年に亘る自己の音楽を中心に据えて、ギンガはあくまでモニカをフロントに立たせながら超人的なギターを奏でる。そして何曲かでは独特のボーカルを発揮。それは鋭く、気高い恍惚感と浮遊感に満ちたの世界をあらわしていた。
PAコーナーではオノ・セイゲンが全編をレコーディングしていた。
コンサートのあと数人と
「どう、ちゃんとレコーディングできた?」
「ガッツリ録れた。でもこれでは長すぎて1枚のCDではおさまらないかも」
「なにいってんだ、こんな完璧なコンサートないぞ!そのまま2枚組にすればいいじゃん」
「でも、、、、、」
などと話していたはずだけれど、これほど一曲も外す必要のない完全無欠な音楽会はほんとうにめずらしい。
まだ、CDが発売された話はきいていないのですが? 今のところ。