ダンディーだった沖さん pianist 藤井郷子
text by Satoko Fujii 藤井郷子
沖至さんの訃報には本当に驚いた。私たちは今年(2020年)1月末にツアー先のパリでお元気そうな沖さんにお会いした。昨年、体調不良で来日ツアーをキャンセルされていたので、心配していたが、コンサートにいらしていただいた沖さんは、いつものように数人の若いお友達たちに囲まれて生き生きとしていた。ゆっくりとお話しする時間はなかったが、終演後にロビーでワインを飲みながら歓談することもできた。
私たちがニューヨークから帰国したのが1997年、その2年後くらいから神戸のジャズファンの多比良さんのプロデュースで「沖至ユニット」(登敬三 – sax, 田村夏樹 – trumpet, 藤井郷子 -piano, 船戸博史 – bass, 光田臣 – drums)としてCD3枚、日本ツアーも何回もご一緒させていただいた。1970年代に日本のフリージャズを興した大先輩の沖さん、その後フランスに行かれて活躍されて、私たちとは全く活動してきたところがかぶっていなかった。それが、共演すると面白いほど共感できて、音楽って世代も国も超えられるものと実感できた。1970年代の日本のフリーミュージシャンたちの話もたくさん聞かせてもらえた。これにはかなり笑えた。音楽にも社会にも活力が漲っていた頃だ。面白くないわけはない。
ツアー中に起きたことで、今でも印象に残っていることがある。終演後、お客さんがミュージシャンに話しかけてこられた。「私には難しくてさっぱりわかりませんでした」。こんな音楽をやっているとこう言われることはよくある。そのお客さんが帰られて、本当に穏やかなお人柄で、誰にも優しくて周りに気配りされて、決して他の人を責めたりしない沖さんが、「そんなに簡単にわかられたら困るよな。こっちは何年もかけてこうやっているんだから」。サラッと言われて、それが忘れられない。こういう音楽を作り続けるというのは、当然それだけの信念を持ってないとできないと思う。あの柔和な沖さん、フランスに渡ってもご自身の音楽を追求されてきた、その強さが感じられた。
そして、これももう15年くらい前、パリの沖さんのアパートに泊めていただいたことがあった。簡単な手料理でとびっきり美味しいものを作れるセンスはさすがだった。そのアパートでシャワーを浴びているときに、小さなネズミと目があってびっくりした。そのネズミも逃げようともせずに、じっとこちらを見ていた。その話をしたら、なんと以前飼っていたペットのネズミが今や放し飼い状態でアパートに住んでいるとのこと。それもなんか沖さんぽかった。
パリにツアーで行くと、ご自身の予定がない限り、駆けつけてくださった。時間があれば終演後に一緒に飲みにも行った。
沖さんはどこに行っても本当に人気者だった。そのファッションも個性的で、すっかり身についていてカッコよかった。でも、全然格好つけていなかった。ダンディーっていうのは、沖さんみたいなことだなぁと、なんとなく思っていた。さりげなくカッコ良くて、でも何も構えてはいない。
私たち音楽家がその本質を見せるのはその音色だと思う。音を聞けばわかる。フレーズとか演奏じゃなくて、出した一音にその姿勢や音楽との関わりが聴こえる。沖さんの音は、そのお人柄のように、柔和で優しく深いけれど、強いものを潜めている音。そして、一点のブレ、一切の妥協もない。
藤井郷子 (ふじいさとこ)
バークリー音楽院、ニューイングランド音楽院でポール・ブレイ、ジミー・ジュフリー、ジョージ・ラッセル、ジョー・マネリ等に学び、国内外でソロから15人編成のバンドまで主宰して演奏活動。リーダーとして90枚超のアルバムをリリース。ジャズ・ジャーナリスト協会の作曲家賞にノミネート、ダウンビート誌評論家投票(アメリカ)作曲家、作曲家新人賞、編曲家、ピアニスト、ビッグバンドの5部門で選出、ニューヨークシティー・ジャズ・レコード紙とEl Intrusoの2018年5名のアーティスト・オブ・ザ・イアーの一人に選ばれる。2020年、シカゴの”Instant Award Improvised Music”を受賞。究極のゴールは「誰も聴いた事がないような音楽を作る」。