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R.I.P. 沖至No. 270

「社長!元気?」~アルバム『紙ふうせん』のこと。 chapchap records 末冨健夫

text by Takeo Suetomi  末冨健夫

「社長! 元気?」は、沖至さんが亡くなられた時、フランスのジャズのウェブサイトに依頼された追悼文のタイトルにも使ったフレーズ。
私なんかにも、こんな気さくな対応をしてくれていた沖さんでした。

私にとっては、沖さんは1974年からフランスに移住されていたこともあって、生で聴く機会もなく、LP『しらさぎ』(TRIO)、『幻想ノート』(OffBeat)、『ミラージュ』(TRIO)、『インスピレーション&パワー』(TRIO) で演奏を聴くくらいで、何か遠い憧れの存在の人だった。FMPでミシェル・ピルツらと共演した『One Year-Afternoon & Evening』、ノア・ハワード・カルテットの『Schizophrenic Blues』等のレコードで演奏が聴ける事は、逆に手が届かない感覚でもあった。
当時は、まだ海外からのフリー・ジャズ/フリー・ミュージックのミュージシャンの来日は今のように簡単にはいかなかった時代だ。ハン・ベニンク&ペーター・ブロッツマン、グローブ・ユニティー、スティーヴ・レイシー、デレク・ベイリー、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、ミルフォード・グレイヴス、ギュンター・クリストマン&デトレフ・シェーネンベルクらの来日公演は、特別なものがあった。沖さんは、日本人なのだけれど、私には海外からの来日ミュージシャンと重なる感覚があったものだ。

1995年秋のこと、副島輝人さんから「沖至が帰って来るんだけど、カフェ・アモレスでライヴしない?」と電話があった。即答で「ハイ、是非やらせて下さい!」。 井野信義さんとのデュオでツアーをするという事だった。そこで崔善培さんの顔が浮かんだのだ。
崔さんは、日頃から沖至さんの名前をよく口に出されていた。沖さんは、崔さんが私淑するトランペッターだった。私以上に、崔さんにとっては沖さんは遠い憧れの存在だった。韓国では沖さんのCDすら手に入らなかったはずだ。崔さんは、何かの機会に録音を聴いていたのだろう。カセットテープでも持っていたのだと思う。そこで私は、沖さん、井野さんのデュオに崔さんも加わってもらおうと考えた。実際にやるとなると、副島さんも含めて4人の経費がかかる。崔さんは、このライヴ1回のためにソウルから往復してもらうことになる。集客は、今も昔も10人いれば「大台に乗ったぞ!」だ。今から思えば、当時の私は、こんな採算の合わない事ばかり毎月していたのだった。

ライヴはなんと正月の2日になってしまった。「客は来るのか?」 案の定ヒトケタだった。井野信義さんともこの日が初めてだったが、井野さんの演奏は私が東京に住んでいた頃は、新宿PIT INNでよく聴かせていただいていた。渡辺香津美、高柳昌行等々で。沖さんを出迎えに行った時、遠目でも「沖さんだ!」と分かるほどの強いオーラを放っていたことが今でも脳裏に焼き付いている。崔さんは、奥さんと同伴で来日された。二人で、防府天満宮に行ったりして、防府の正月を楽しんでおられたようだった。

さて、ライヴだ。2トランペットとベースという、定型の存在しないフリー・ミュージックのライヴでも、この組み合わせはそうそう無いはずだ。この企画を立ててはみたものの、どういう展開になるのか少々不安でもあった。リハーサルもほとんど無く、ぶっつけ本番で沖さんの書いた譜面を3人が見ながらの演奏だった。だが、そんな事をシロートの私が不安がる必要もないのだ。二人のトランペットと笛にハーモニカとベースが、お互いの個性をぶつけ合いながらのステージが繰り広げられたのだった。同じトランペットといっても、沖さんと崔さんは大きく個性が違うので、一聴にして聴き分けられる。この日は、井野さんの名曲「紙ふうせん」「バクのあくび」(レスター・ボウイとの『Duet』PaddleWheel で聴ける)も演奏されたが、この日の特筆すべきは、井野さんの快演だろう。井野さんのベースを聴いているだけでもいいくらいだった。それは、CD,LPとなった『紙ふうせん』(NoBusiness) からでも感じられると思う。

沖さんは、トランペット1本で幅広く多彩な表情を出せる人。シリアスなフリーから、スタンダード・ナンバーまで、他の誰でもない強い個性で演奏をされた。このアルバム『紙ふうせん』でも、「I Remember Clifford」「Old Folks/Tea For Two」が聴ける。残念ながらLPには収録時間の都合で入ってはいません。CDのみで聴けます。

この日の演奏がCD,LPでリリースされた事は、沖さんも凄く喜ばれていた。「あれはいい演奏だ」と何度も沖さんの口から聞こえて来た。ライヴ時の写真を1枚も撮っていなくて、どういう訳だか猫のユニークなイラストのジャケットになっているが、わたしがプロデュースしたアルバムらしいということにしておきます。

沖さんをはじめとした日本のフリージャズの黎明期を飾ったミュージシャン達の多くが鬼籍に入ってしまった。もうあの世の方が豪華メンバーが揃ってしまう。沖さんも今頃は旧交を温めて、真剣勝負のセッションを楽しんでおられることでしょう。

NoBusiness / Chap Chap seriesでは、もう1枚沖さんのアルバムをリリースする予定でいます。生前にお聴かせできなかった、お渡し出来なかった事が悔やまれます。合掌。


末冨健夫(すえとみたけお)
1959年生まれ。山口県防府市在住。1989年、市内で喫茶店「カフェ・アモレス」をオープン。翌年から店内及び市内外のホール等で、内外のインプロヴァイザーを中心にライヴを企画。94年ちゃぷちゃぷレコードを立ち上げ、CD『姜泰煥』を発売。95年に閉店し、以前の仕事(貨物船の船長)に戻る。2013年に廃業。現在「ちゃぷちゃぷミュージック」でライヴの企画、子供の合唱団の運営等を、「ちゃぷちゃぷレコード」でCD/LP等の制作をしている。リトアニア NoBusiness Recordsと提携、当時の記録を中心としたChapChap seriesをスタート、第1期10タイトルに続き、今秋から第2期がスタートする。

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