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R.I.P. ゲイリー・ピーコックNo. 270

追悼:ゲイリー・ピーコック pianist/scientist 須藤伸義

text by Nobu Stowe 須藤伸義
photo by Hirohiko Kamiyama 神山博彦

ゲイリーの訃報を知ったのは、9月7日に届いた稲岡編集長からのEMAIL。その時は情報が錯綜しているので、フェイク・ニュースかどうか確認できないかというものだった。その悲しい報せは、彼の家族からの声明文を載せた米公共ラジオ局(NPR)の記事で、現実だと確認できた。

1990年代中頃、キース・ジャレットpを通じてジャズに開眼した筆者は、あくまでもメロディアスなキースのプレイを、抽象的なフレイズと切り立つリズム感で応答し、音空間を拡げるゲイリーのベースに大きなインスピレーションを得ていた。ゲイリー参加のアルバム(CD)なら何でも買い揃えるようになったのもその頃からだ。リーダー作第2弾『Voices』(Sony:1971年作品)は、特に印象に残っている作品だ。ゲイリーは日本・禅的音世界を、富樫雅彦perc・菊地雅章pという異能を媒体に、ジャズという枠組みの中で現出して見せてくれた。

初めてゲイリーの生演奏に接したのは、キースとジャック・ディジョネットdsとの「スタンダーズ・トリオ」の1998年11月14日の公演。場所は、ニュージャージー・パフォーミング・アーツ・センターだった。この日の演奏は『After the Fall』として2018年にECMより発表された。シカゴのアパートから10時間程かけてドライブして行った事が懐かしい。

その次の生演奏は、1999年9月4日。ポール・ブレイpとポール・モチアンdsとの『Not Two, Note One』(ECM:1999年作品)のプロモーションでニューヨークのバードランドへ出演した時、またシカゴから出かけた。その時は、余りゲイリーと話せなかったのだが、2007年8月下旬に “ピーコック/モチアン/ブレイ” としてバードランドへ再出演した時、稲岡編集長の口添えで、インタビューをする機会を得た。当時住んでいたバルチモアから車で約3時間半。終始上機嫌でインタビューに応じてくれた事を思い出す。

その時の「即興の基本は耳を使うこと」、「 “体験” しないとノイズが音楽へ変わるプロセス、サムシングは、理解し難い」、「(自分の)チョイスは、スタンダードであろうと、フリーであろうと、何でもプレイする事さ」という答えは、ゲイリーの音楽の本質を表していると思う。

最後にゲイリーに会えたのは、もう10年以上前。キース/ジャックとのフィラデルフィア公演だったと思う。その後、東海岸からサンディエゴに移り住んで、すっかりライブへ通う機会が減ってしまった。だけど、ゲイリーの音楽は、常に身近で響いてきたし、これからも響いていくだろう。ただ最後にもう一度、彼の音、音空間を生で “体験” したかった。

須藤伸義

須藤伸義 Nobuyoshi Suto ピアニスト/心理学博士。群馬県前橋市出身。ピアニストとして、Soul Note(イタリア)/ICTUS (イタリア)/Konnex(ドイツ)の各レーベルより、リーダー作品を発表。ペーリー・ロビンソンcl、アンドレア・チェンタッツォcomp/per、アレックス・クラインdrs、バダル・ロイtabla他と共演。学者としての専門は、脳神経学。現在スクリプス研究所(米サンディエゴ)助教授で、研究室を主宰。薬物中毒を主とするトピックで、研究活動を行なっている。

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