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R.I.P. 近藤等則No. 271

さようなら、近藤等則さん。また何処かの河岸で逢いましょう。 LAL 小野健彦

text by Takehiko Ono 小野健彦

10/19の朝早く目覚めて、電気ラッパの近藤等則氏が17日夜、71歳で逝去されたことが、自身の公式HP上にて息子さん達の連名で発信されているのを眼にし、動揺した。それは本年5月から開始されたCD-R月刊ミュージックマガジン「BEYOND CORONA」の刊行やTwitter、YouTube等での積極的な情報発信など、この方ならではの行動的な活動がその死の直前まで続いていたからに他ならない。

私が、氏とごく近くで、かつ密に直接あいまみえたのは、結局、一度きりとなってしまった。それは、今年の7/18に行われたベースの菊地雅晃氏とのセッションでのこと。氏の私に対する第一声は、「ところで小野さんは、俺を何(なに)で知ったの?」だった。それに対して、私はある程度の反応は予期しながらも、事実として、氏の旧作アルバム達の名を出した。すると、氏の反応はあきらかに失望の色濃く、吐き捨てるような、君もか!的なものであり、続けて「今の俺の音楽を聴いてくれよ」の力説 (説諭?) がひとしきり続いていった。勿論、私はそれへの反駁として、だから、それを直接目撃するために行動し、今夜ここに来たのだということを主張することには臆さなかったけれども...。

とにかく、氏の関心は過去にはなく、今現在と、さらには、より未来に強くあるというのが強烈な印象として私の中に残った。

そんな未来をまだまだ沢山見たい半ばでその生涯を閉じざるを得なかったことに想いを馳せると胸が痛む。

近藤等則さん、今は清浄なる世界でゆっくりとお休み下さい。

2020年10月19日  小野健彦

引き続き以下では、氏の最晩年のライヴのひとつに立ち会ったものの一人として、上記でも触れた7/18ライヴについて、本誌270号 (2020.10) の私のライヴ・レポ 連載 ≪Live After Live≫ で掲載させて頂いたものをほぼそのままの形で再度掲載させて頂きます。

#093 7月18日(土)

私にとって怩懇のベーシスト菊地雅晃氏が、最近繁く行動を共にするトリオに驚きのゲストを迎え、自身馴染みのハコに出演するというニュースが私の眼に飛び込んで来た。

早速、久しぶりに雅晃氏に連絡をし、「凄いことになりましたねえ」と切り出すと、直ぐに「近藤さんとのこと?」との返事が返って来た。続けて、「でも、俺、近藤さんのこと、あんまりよく知らないんだよねえ」とも。

この辺りが、叔父にpooさんこと偉大なるジャズピアニスト故菊地雅章氏を持ちながらも、既存のジャズ界のしがらみに絡みとられることなく、我が道をノンシャランに進んでいる氏の人柄が滲み出ていてなんとも愉快な気分になってしまった。そう、そうして私の今夜のライヴは@masa2sets 小田急読売ランド前店。

雅晃氏によれば、こちらの本店にあたる向が丘遊園店を互いが利用していたことが今回の驚きの共演に繋がったとのことであった。

キーボードに弱冠22歳の市川空氏、ドラムにベテラン藤井信雄氏を擁した菊地雅晃トリオが迎えるのは、エレクトリックトランペッター(電気ラッパ)の近藤等則氏である。私は氏とは、新宿ピットイン50周年コンサートの際にほんの少しく会話させて頂く機会を得たが、その際の先鋭的な音楽とは一見対照的な極めて物静かな物腰の柔らさが強く印象に残っていた。言わば「武闘派の衣を着た超人情派」とでも言おうか。

今宵も、時間と空間を鋭くしなやかに切り裂きながらも、終始その音場はウタゴコロ(麗しきメロディとリズム)に溢れていた。しかし、小さなケーキ屋の脇にある細い袋小路の、そのまた奥の、狭い階段を降りた地下スペースに、いかにして、太陽を、月を、風を、花を、鳥を、川の流れを、そうして荒野迄をも呼び込んだのであろうか?

どこからともなく現れ、未知の方向へと去って行った、とてつもなく大きな気が畝った2ステージ全約1時間強。それはまるで陰陽師の如く、否、「地球を吹く」を長くライフワークとして来た氏らしく、自らが地球との媒体となり、その事象の具現者/触媒として在ったそのひととき。聴き人は、その魔術妖術に引き込まれ、解き放たれ、最後は、眼の前に突如差し出された母なる地球の自然の断片の前で途方に暮れるしかなかった。浅川マキさんがもしこの場にいらしたら「やられたわね。そう、これ、まさにゼロアワー」と呟いたに違いない。なんてことをふと思ってしまった。その近藤さん、このコロナ禍の中で、自身のスタジオに行ってもラッパに全く手がのびない日々もあったようだが、最近では、この時期だからこそと、創作の炎も再び燃え盛り始め、コロナ禍前に「地球を愛そう」をテーマに制作した6アルバムに続くかたちで、CDR「月刊ミュージックマガジンBEYOND CORONA」をこの5月から鋭意敢行中。(内容、購入手続きの詳細等は、氏のHPに詳しいので、ご興味のある方は是非ともチェックされたし) しかし、何とも得難いご縁を頂けた稀有な覚醒の夜だった。氏にとっては、5か月振りのステージだったとのことで、ステージ後の談笑の中に垣間見えたその何とも充実感に溢れた表情も特に印象に残った。その決して昔を振り返ることなく、これからを見据えつづける表現者との濃密な時空から立ち去り難く、さらにはご機嫌で盃を重ね過ぎたて店に携帯電話を忘れ一度駅まで行きながらまた店に戻るなどの大ポカをしたせいで、私は、結果終電を逃すという、これまた長く思い出に残るであろうオチ迄付いた夜だった。

小野 健彦

小野健彦(Takehiko Ono) 1969年生まれ、出生直後から川崎で育つ。1992年、大阪に本社を置く某電器メーカーに就職。2012年、インドネシア・ジャカルタへ海外赴任1年後に現地にて脳梗塞を発症。後遺症による左半身片麻痺状態ながら勤務の合間にジャズ・ライヴ通いを続ける。。

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