#10 『阿部海太郎 / 世界で一番美しい本』
『Umitaro Abe / Le plus beau livre du monde』
text by Takashi Tannaka 淡中隆史
THEATRE MUSICA DDCM-8006 (2020年10月7日発売)
1. Une vieille mélodie que quelqu’un m’a donné 遠い昔に教わった歌
2. Janvier -Approche, Approche 一月 アプロッシュ、アプロッシュ
3. Février -Une petite ferme avec bergerie, basse-cour, quatre ruches et un pigeonnier 二月 羊小屋、鶏舎、四つの蜜蜂箱、そして鳩舎を持った小さな農家
4. Mars -Mélusine transformée en dragon 三月 メリュジーヌ
5. Avril -Fiançailles 四月 婚約
6. Mai -Cavalcade 五月 カヴァルカード
7. Juin -Les mains 六月 手
8. Juillet -Songe d’été d’un mouton 七月 羊の夢
9. Août -Parure de robes 八月 パリュール・ド・ローブ
10. Septembre -Le château de Saumur figé dans le temps 九月 絵本に綴じられたソーミュール城
11. Octobre -La chanson de l’épouvantail 十月 かかしの唄
12. Novembre -A l’orée de la forêt 十一月 そこに森がある
13. Décembre -Sonner l’hallali 十二月 アラリー
14. Le presque-rien inoubliable 忘れがたき、ささやかなもの
15. Les Très Riches Heures du Duc de Berry ベリー侯のいとも豪華なる時祷書
All are composed, arranged and produced by Umitaro Abe
Conductor: Takuya Nemoto
1st Violin: Kumiko Kasugai, Ayuko Sakamoto, Kazuha Takahashi, Tsukasa Miyazaki, Chioki Aihara, Miyuki Nishikata
2nd Violin: Chisato Maehara, Megumi Kasugai, Ami Kamada, Takamori Arai
Viola: Emi Hashimoto, Asuka Magara, Masahiro Chihara, Tomohiro Kobayashi
Cello: Kazune Koshikawa, Aya Fukui, Hajime Terai, Masao Watanabe
Comtrabass: Naomi Kohata, Akiko Mikami
Flute and Piccolo: Satoko Seki
Oboe: Yuka Asahara
Clarinet: Masahiro Onoue, Keiko Shinozuka
Bassoon: Sayaka Nakata
Horn: Kenta Yano, Masaaki Mukai
Piano: Mica Bando
Celesta: Mayu Gonto
Accordion: Hirofumi Nakamura
Harp: Aya Horigome
Percussion: Genichiro Furukawa, Manami Kakudo, Koichi Hosono, Yuto Ishikawa
Piano, Harnmonium. Accordion, Music box, etc: Umitaro Abe
Recorded at NHK 509 Studio and 506 Studio, 2019
Mastered at Philosophers Barn Mastering, Norfolk, UK
Recording and mix engineer: Kensuke Irie (NHK)
Mastering engineer: Eric James
Pre-mix engineer for Track 3,14: Ryo Amakasu
2019年にNHKテレビで放送された「世界で一番美しい本」 (Le plus beau livre du monde) の音楽。阿部海太郎6枚目のオリジナル・アルバム。四季12ヶ月それぞれの情景をあらわした各編5分間の番組のための断片たちからなっている。「中世の秋15世紀のフランス、パリ郊外のシャンティイ城に残された「ベリー侯のいとも豪華なる時祷書」は「世界で一番美しい本」として現代まで語り継がれてきた。金やラピスラズリを使って華麗で細密に描かれた祈りの本。ページを繰るたびに600年前、森の奥深く猟犬を連れて狩りをする貴族、自然や動物たちと暮らして糧を得る農夫たちなど大地の恵みに包まれて生きるヨーロッパの生活が美しい筆致で現れる。絵と共にきこえてくる音楽は穏やかでうつろいやすく、はじめて聴くのにいつか見た景色のように懐かしい。映像の驚きによりそった音楽がつくりだされている。
「世界で一番美しい本」では時代考証として当時のゴシック後期の音楽や、ピリオド楽器の奏法がなぞられることはない。中世の、というよりむしろコンテンポラリーミュージックの揺籃期、20世紀前半のエッジーなクラシック音楽だったサティ、ドビュッシー、メシアン、古典期のストラヴィンスキーなどの投影がひびく。一方でブラジルのショーロがたたずまいも美しく同居している。阿部海太郎はいつものようにピアノと弦、木管楽器などの仲間たちをあつめて「室内楽」を展開する。でも、今度はほんの少し編成を変えて狩をあらわすホルンやチェレスタが加わっていたりする。浮かんでくるアイディアにはデリカシーと密かなユーモアが込められて、まるで音を慈しむような、作者の愉しみが伝わる「しごと」ぶりだ。アルバムの終曲で遠くに響くパーカッションは「音楽手帖」、「ペンギン・ハイウェイ」でも聞こえていたあのアクセント、阿部さんらしい「句読点」なのか、と妙に感心して納得する。木管楽器からホルンへの呼吸と音のつながり、奏者のブレスの音までも息を呑むほどの美しさだ。オーボエと向き合うピアノには特別のリバーブがそっと(実は大胆に)添えられている。音づくりのひとつひとつに繊細な陰影とニュアンスが封じ込め込められている。
阿部海太郎の音楽をはじめて知ったのは2007年のファーストアルバム『パリ・フィーユ・デュ・カルヴェール通り6番地』。暮らし慣れたパリの街並みの音をフィールドレコーディングでひろいあつめては自身のピアノとモンタージュする。「環境の音」そのものをざっくりと切り取るその潔さは現在の耳にも新鮮だ。続くセカンドアルバム『SOUNDTRACK FOR D-BROS』(2008)は「架空のホテル」という現実と空想とが混交するサウンドトラック。サードアルバムの『シネマシュカ、ちかちかシネマシュカ』(2012)は展覧会、舞台、TV番組、映画、ファッションショーのための楽曲がまとめあげられている。
4枚目の『The Gardens-Chamber music for Clematis no Oka』(2013)は文字どおりの「室内音楽集」。ベルナール・ビュフェ美術館やカフェ&ショップ「TREE HOUSE」のための10曲を集めたもの。ここでの弦楽四重奏や木管五重奏、ソプラノ、マンドリン、自身のピアノを含む独特の楽器編成やスタイルはその後、現在に至るまでの作品やライブでの基盤となっているようだ。
5枚目の『音楽手帖』 (Cahier de musique 2016) はNHKの「日曜美術館」のテーマ曲などテレビ番組のための音楽集。京都を舞台にしたドラマのための楽曲ではあからさまな和の表現はていねいに退けられている。それでいながらまるで「架空の京都」を彷徨うようなサウンドスケープ感にとても不思議な気持ちになる。「京都慕情」(作曲:ベンチャーズ、初出:渚ゆうこ 1981)に接した時は(リアルタイム派として)ずいぶんと驚いたけれど、武田カオリの美しい歌声に聴きなじむうちにいつのまにかなくてはならないナンバーになった。着古したお気に入りの衣類に袖を通すときのように作家の手になじんだおとの立ち居振る舞いの虜になる。
アニメーション映画のサウンドドラック『ペンギン・ハイウェイ』(2018)は「いとも豪華な」50人に近いオーケストラを擁している。しかし、この少し変則の大編成オーケストラはまるでジョン・ケージの「ナンバーピース」のオーケストレーションのよう。トゥッティで声高に鳴ることはない。オーケストラというダイナミズムの塊でもある力学装置をフルに起動させることなく、穏やかで微細な音の揺らぎを求めて細部へ細部へと遡行していく。目立たないようでいて真に独自な音楽の語法なのだ。1988年生まれ、才能あるアニメーション作家の石田祐康監督/スタジオコロリドによる長編アニメーション映画との「共作」は大きな国際的発信力を持つ。
阿部海太郎の作品の多くはCMや劇伴、サウンドトラックといったさまざまなコマーシャルな用途に応じてつくられたものだ。とこどきの発注を受けた「しごと」はやがては丁寧に集められ、束ねられて自己のレーベルからアルバムとしてリリースされた。それぞれのアルバムがあまりにも自然な結晶をなした「かたち」を持っていることに驚いてしまう。
現代のシステムのなかで「職業音楽家」のあり方とは何なのか?それに対する最も真摯で美しく謙虚な答えが彼の「プライベート・ミュージック」に聴くことができる。その音に彼独特のレトリックを探し、見つけては有頂天になるのは大きな悦びだ。その美しい佇まいにいつも微笑んでしまう。阿部海太郎の音楽への若い世代を中心として彼のカメラータは確実に増えているのがライブの現場でよくわかる。この貴重な個性をこれからもずっと注目していきたい。