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R.I.P. チック・コリアNo. 275

ありがとう!チック・コリアさん by bassist 井上陽介

Text by Yosuke Inoue 井上陽介

2021年2月12日にジャズ史上で最も偉大なピアニスト、チック・コリアさんが急逝されました。

間違いなく僕の人生に大きな影響を与えてくれた、ジャズ史上最も偉大なピアニストの一人。ピアニストのみならず、作曲家、そしてイノベーターとしての役割も大きかったと思います。まさにジャズの歴史を刷新して改革して、それを多くの聴衆とともに共有できた数少ない人でもありました。

思い起こせば音楽を演奏し始めた頃からチック・コリアさんの音楽に触れていた気がします。

最初にチック・コリアという名前を聞いたのは高校2年生の時。僕がちょうどエレキベースを本気で演奏し始めて、ロックを演奏することが生きがいでしたが、だんだんと物足りなくなり、バンドの間奏の部分の方が楽しくなってきました。そして先輩からずっと間奏を演奏していてもいい音楽があると教えられました。それがクロスオーバーとの出会い。のちにフュージョンと呼ばれる音楽です。

その頃、先輩たちのバンドに混じってセッションする事が増えてきて、とあるセッションで「Spain」という曲をやろうと言うことに。先輩から今度演奏する曲の資料として渡されたカセットテープがチック・コリアの『Light as a Feather』というアルバムでした。クロスオーバーが何か、ジャズが何か全くわかっておらず、リズムもなんとなくサンバっぽいぐらいしか把握できませんでしたがロックには無い、渦巻くリズムと自由なアドリブ、そしてそれに反応して自由に動き回るベースとドラム。それは今までに聞いたことの無い音楽でした。本当に雷に打たれたような感覚でしばらく息もできないほど。何度も何度も聞きました。

特にベースのスタンリー・クラークは馴染みがあったのですが、ウッドベースを弾いているのをちゃんと聞くのは初めてで、それまでのウッドベースという概念をぶち壊してくれたのでした。その時のバンド仲間が則竹裕之くんで、めっぽう情報に強かったので色々と教えてもらっていました。

さて、その後、音楽大学に入学して作曲の勉強のかたわら、今度は本格的にジャズを演奏しようと、ビッグバンドを演奏するサークルに入りました。そこで自分の専門楽器をエレキべースからウッドベースに持ち替えたのです。

ウッドベースの演奏はなかなか身近で聞くことはできなかったので、大学1年生の頃にライブ・アンダー・ザ・スカイというイベントが大阪でも開催され、それにチック・コリアのトリオミュージックが出演するのでこれは行かなくては!とは言え、出演者の情報はそれほど詳しく知らないまま行きました。
その時はソニー・ロリンズとチック・コリアのダブルビルでしたが、どちらも強烈すぎてジャズという音楽の巨大な山を見た気がしました。頂の見えない山です。チック・コリアのトリオのベーシスト、ミロスラフ・ヴィトウスがまた凄過ぎて。ウッドベースを始めたばかりでしたが、自分には無理かもと思ったほどでした。

その頃はまだ、インターネットやCDすらない時代。色々と聞くにはジャズ喫茶に行くか先輩にレコードを借りるしかありませんでした。しかし聞いていくに従って、チック・コリアさんはジャズの歴史の中でも特殊な存在であるという事が解ってきました。その少し後にキース・ジャレットとモーツァルトのコンチェルトを弾くという企画があって、クラシックも自分流に弾いてしまう恐ろしさも見せてくれました。

次に生で聴く機会は、1987年に上京してしばらく経った頃。今度はエレクトリック・バンドを率いての来日でした。またまた違った面、そしてフュージョンというカテゴリーにおいても他の追随を許さない作曲能力と構成力。そしてシンセサイザーでさえ自分の声にしてしまう才能には唖然とするほかありません。

次の機会は1991年に渡米してニューヨークに住んですぐの頃。ニューヨーク大学にて今度はアコースティック・バンドでクリニックがあるという事で参加しました。最初はトリオでデモ演奏。そしてパートに分かれてのクリニック。その際にジョン・パティトゥッチさんとお話しできたのは宝物です。そしてパートのクリニックが終わったら今度はトリオのクリニックでした。

初めてクリニックで沢山話すチック・コリアさんをこの時見たのですが音楽性の高さからは想像できないほど気さくで冗談好きの軽妙なお話しぶりに天才とはこういうものかと感服した覚えがあります。全ての垣根を軽々と超えていく感覚とでもいうのでしょうか。

その後もJVCジャズ・フェスティバルやブルーノートなど幾度も生で見る機会がありましたが、その度に奥深い音楽とそれをわかりやすく聴衆に届けることのできる稀有な才能に驚くばかりでした。

さて、時は流れて、2004年に僕は日本に帰国し東京にて演奏活動をすることになり、その間、様々なご縁をいただいて何とか音楽の仕事で生計を成り立たせる事ができるようになっていきました。その間もチック・コリアさんが来日するたびにコンサートへ出かけて生の演奏に触れていました。

そして忘れられない出来事が。。。

仕事上のトラブルの話なのであまり公にはしてこなかったのですが時効という事で。2016年のチック・コリア・トリオがアジアをツアーしていた時のこと。
ベーシストのアヴィシャイ・コーエンさんが途中でパスポートを紛失されたらしく、日本に入ってこれないかもしれないということで、急遽ベーシストの代役を探していると、日頃からチック・コリアさんと親しくしている小曽根真さんから連絡がありました。

そして初日の代役を務めることになり、チックさんのマネージャーとも連絡を取り合いました。スケジュール的にリハーサルをやる時間がないらしくぶっつけ本番でのオファーです。そういう連絡があったのが2日前。僕自身もその時はツアー中だったのですが、もうアヴィシャイさんには悪いけどそのままパスポートを再発行されないことを願う気持ちは隠せませんでした。

そして一日前。マネージャーさんから連絡があり、「アヴィシャイのパスポートが奇跡的に発行されました!」との連絡が。おいおい、そんな奇跡はいらない、とは言えず、良かったですねー、というしかないですね。

当日はライブに招待していただいた上、楽屋にも通していただき、憧れのチック・コリアさんと長くお話しさせていただきました。「君か、僕たちを救ってくれたのは!」と言っていただき「次こそ共演を」とも言っていただきました。しかし、ライブを聴いて、もしかして代役でこのステージに立たなくて良かった、とも思ってしまいました。それほど緊密で内容の濃い演奏で圧倒されてしまったのです。

人の人生とは宇宙の星々の運行のように感じます。何かの働きかけによって接近したり離れたり。それは人の力の及ぶ範囲ではなく、しかし、何かのきっかけで接近して時には衝突したりする。そんなことを感じたこの共演話でした。

その後、コロナ禍においてもチックさんは自宅からピアノの演奏の配信を積極的に続けたり、時折、元気な姿をSNS上で見せてくれていたのでまさかの急逝でした。
一人の人間が成し遂げたにしては偉大すぎる功績ですが、まだまだ生の演奏を聴けると思っていただけに残念です。

しかし、チックさんの音楽は間違いなく皆の心の中に永遠に鳴り響く事でしょう。

もう一つ、あまり気づかれていない事柄かもしれませんが、アルバムのジャケットに必ず自作の詩を載せていたところに、チックさんの芸術の真髄があると個人的には思っています。

Rest In Peace.

Spain (Chick Corea) – 井上陽介トリオ – Body & Soul 2021年2月12日
井上陽介(Bass), 武本和大(Piano)、濱田省吾(Drums)

【参考】
チック・コリア・トリロジー with アヴィシャイ・コーエン & マーカス・ギルモア
2016年9月 ブルーノート東京:ライヴレポート


井上陽介 Yosuke Inoue – ベーシスト、作曲家
1964年7月16日、大阪生まれ。大阪音楽大学作曲科卒。1991年よりニューヨークを拠点に活動。1997年には初リーダーアルバム『Speak Up』をニューヨークで録音、2019年の『New Stories』まで9枚のアルバムをリリース。在米中、ドン・フリードマン、ハンク・ジョーンズのグレート・ジャズ・トリオなどの数々のグループでのレコーディングやライブハウスやヨーロッパツアーでの演奏など国際的に活動。2004年には活動の拠点を日本に移す。
2014年には『Good Time』を秋田慎治(p)、荻原亮(g)、江藤良人(ds)、丈青(p)らと録音。好評を受け2017年に同メンバーで『Good Time Again』をリリース。2019年には若手の俊英、武本和大(p)、濱田省吾(ds)と共に録音したピアノトリオ作品『New Stories』をリリース。現在、このトリオでのツアーを精力的に行っている。この他、塩谷哲トリオ、大西順子トリオ、渡辺香津美のレギュラーメンバーとして、また、絢香、佐藤竹善、Superfly、May J、JUJUなどJ-Popのサポートも含め、数々のセッションに参加し日本のみならず海外でも精力的に活動している。井上陽介ウェブサイト note「僕の音楽体験」

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