追悼 ジョージ・ムラーツ 録音エンジニア 及川公生
text by Kimio Oikawa 及川公生
『ジョージ・ムラーツ&ローランド・ハナ/Porgy & Bess』
(TRIO PAP-9058 1976)
ジョージ・ムラーツ(b)
ローランド・ハナ(p)
1.サマータイム 2.そうとは限らない 3.ストロベリー・ウーマン 4.ニューヨーク行きの船が出る 5.おゝベスよ、私のベスはどこに 6.おゝベスよ、私のベスはどこに 7.愛するポーギー8.ジャズボ・ブラウン・ブルース
1976年6月28日 モウリ・スタジオ
カバーアート:内藤忠行
思い出多く、この録音が以降の稲岡邦彌プロデューサー並びにオールアート・プロモーションの石塚貴夫社長とのお付き合いに発展する。ピアノとベースのデュオ、これはそれぞれの楽器が浮き立つような録音ができる!と、自分の思い通りになることが何より嬉しかった。なぜか?ドラムスがないからである。トリオの場合、いかにドラムスの音のカブリを避けるか、あるいは取り入れるか、これが難題であり、楽器の音を濁らせないで、それぞれをクリアーに録音するにはかなりの経験を要する。と私が言えるのも、これを執筆している現在までの経験があるからである。ドラムスがない!それだけでピアノもベースも、思い通りのマイクロフォンを選ぶことができ、セッティングも可能になった。
ピアノの音の狙いはカーンと伸びのある骨っぽさと芯の堅い音であった。ちょっとやり過ぎかなあ!と思われるキンキンした音を伴っていたようだが、結果はおおむね好評で、このピアノの捉え方は後々話題になったと聞いている。私がこの録音に臨んだ際に、もっとも力を入れたのはベースであった。もちろん、音楽的にもベースがリーダーであったのだが、ベースの音に異常とも思えるほど燃えていた。ルディー・ヴァン・ゲルダー等、お手本的録音を聴きイメージはできていたが、私はさらにリアルな音で、しかも録音だからこそ聴くことのできる、趣味でもあるオーディオ的快感のサウンドを創り出したかった。
選んだマイクロフォンは、ピアノにノイマンU-87を3本、ベースはショップスCMC-55Uを2本、そしてノイマンM-49である。ベースのM-49は常識的な押さえの意味が強く、私のオーディオ・マニアの音がジョージ・ムラーツに受け入れられなかったら、即座に切り替えられるようにしたものである。この録音では、アンビエンスとか音場感はまったく考えられていない。当時、やっとジャズ録音にこのような考え方が導入されようとしていたが、あの当時の私にはまったく意識になかった。現在であれば、当然、アンビエンスは重要な視点として捉え、それを考慮した録音をしたであろう。したがって、今この録音を聴くのは、当時のジャズ録音の主流を聴くことでもあり、私の録音の思考の移り変わりを聴くことでもある。
ピアノのマイクアレンジは、3本のU-87を30cmの等間隔で、ピアノの弦から高さ40cmの位置でセット。この等間隔は私のコダワリ以外の何物でもなく、ピアノの音色の透明感を得るにはこれしかない!と信じて疑わないものである。さて、ベースは基本的にはM-49を駒より10cm上方、弦より30cm離れた位置にセット。じつは、これはベーシストの安心材料であるのだ。つまり定番で安心してもらって、あのエンジニア、何を考えてんだ!とトラブルの種にならないようにしたもの。私の本命はショップスにある。1本は駒の上方15cm、弦から40cm離れた位置に。そしてもう1本は駒の下方5cm、弦から20cm離れた位置にセット。もちろん、ジョージ・ムラーツにアルコでも邪魔にならないと確認をしている。こうした心遣いがミュージシャンとの信頼につながるからだ。
テスト録音の段階で、ピアノは2本のマイクロフォンでもローランド・ハナらしいサウンドが得られ、ここは難なく期待通りのものであったが、ベースは少々手こずる。自分にコダワリがあるだけに思う音が得られず、何回もスタジオとミキシング・ルームを往復する。ショップスの2本のマイクロフォンの位置を微調整しながら、弦の弾けるビーンとしたテンションのかかった音と、ベースのうなりの低音部のドッシリ感を得る努力をした。アルコで演奏した際、ヤニの飛び散る音が聞こえてきそうな、そんな音を録りたかったのだ。駒の上方のショップス55Uはさらに弦に近付けて20cmとする。駒の下方のショップスは30cmに、やや離れた位置に動かす。これで、かなり狙った音に近付き、満足な結果が得られた。強調しておきたいのは、ショップス55Uをベースに用いたことである。このマイクロフォンのキャラクターによって弦の弾ける緊張は、ガラスを割ったような、ガチガチの音色と音像を創り出した。
テスト録音のプレイバックをじっと聴き入っていたジョージ・ムラーツが「ベースのサウンドの件だけど」と私に近付いてきた。私は、クレーム?とドキッとしたが、「ベースに使っているマイクロフォンは?」「コンソールのEQは?」とメモを用意しての質問。このサウンドが気に入ったのでメモしておきたいのだと言う。私の望むベースのサウンドとジョージ・ムラーツの望むサウンドとは一致したのだ。この喜びは何物にも替えがたく、以後のジャズ録音の自信につながる。EQについては、曲によって中高音部と低音部の若干の強調を行って、歯切れ良さと、どっしり感を得ている。
録音は順調に!と記したいところだが、何しろこの2人は、ノンベエなのだ。まずはビールをガバッと飲み干して、次はブランデー。当時、日本ではブランデーは超高級品であったから(3万〜7万円)、プロデューサーも予算面で真っ青。しかし「いい音楽をやってくれればいいんだよ!」とか言いながら、2本目を買いに行っていた。酔いが回ると言うか、アルコールはジャズの源ではないかと思えるほどに、音楽的な内容はますます良くなっていく。アルコールで力が入ったわけではないだろうが、ピアノの弦が切れた。バリッ!これまで聞いたことのない音に仰天。これはまったく初めての経験で、何事かと驚いた。調律師の話では、弾き方が悪いとか力が入ったとか、そんなことが原因ではないと言う。この録音以後、何度かピアノの弦が切れることに遭遇する。弦を張り替えて再度の調律で、2時間あまり無駄というか空白が生じた。その間に、プレイバックを聴きながら、さらにアルコールが体内に入って行く。これはまずいぞ!と思ったら、案の定、「俺はこんな演奏はしていない!違うテープを回しているんだろ!」
*初出:CD-ROM Book『及川公生のサウンド・レシピ』(Unicom 1998)