オマさんは怪物? 宇宙人? by 中村惠介 (trumpet)
text by Keisuke Nakamura 中村惠介
オマさんこと鈴木勲さんのバンドに入ったのは2008年。最初にきた電話でいきなり「レコーディングするからこの日空いてるか?」と。
それまでオマさんの音楽が好きで、よくライブに飛び入りしてたんですが、1年ほど顔を出してなかったらいきなりレコーディングの話でびっくり。
2日間のうち1日しか空いてませんと伝えたら「なんだよ。それじゃーダメだな」って言われてガッカリしたのも束の間、すぐ次の日に「1日だけ空いてるのか?それじゃ、その日空けとけよ」という電話が。
びっくりしたけど嬉しかったです。
それから7年半、鈴木勲OMASOUNDに在籍しました。
毎年のように3週間休みなしのツアーに出てたんですが、当時すでに74歳だったオマさんはやはり怪物ですね。いや、宇宙人かな??
バンドに入って2年目にジャカルタで開催されたJava Jazz Festivalに連れていってもらい、前乗り日に見たRoy Ayersのバンドに刺激を受けすぎたオマさんは、急遽現地でのリハーサルを敢行。
既に日本で4日間にもわたるリハをしてきたのに、内容を大幅に変えて現地で1日だけリハしたセットリストに変更。
「こっちの方がぜーったいウケるぞー!」
とオマさん気合十分。
あれだけリハしたのに現地で予定にないリハをして、セットリストまで変えるというほど、本当に音楽に対して真摯な人でした。
オマさんがライブ前のリハでよく「新曲を練習するぞっ!」って言う時があったんです。
新曲をやるって言っても譜面も何もなく、その場でオマさんが弾いたフレーズを僕らが吹いて曲にしていくんです。
オマさんが弾いた通り吹いてるのに「違う違う!こう!!」って言って、また違う風に弾く (笑) そうやって曲が出来ていきました。
オマさんのツアーで印象深いアクシデントの1つで、ツアー中にベースのネックが折れるって事件があったんです。
あれは北九州小倉でのライブが終わって、オマさんは自分で改造した楽器 “viola da gamba” をキャリーに乗っけてホテルまで運んでた時、帰り道にキャリーごと楽器が倒れて、「あー!!!!」ってなったんですがネックは無事でホッとした数分後、今度はホテルに到着して「フロントに鍵取ってくるから」と言って楽器から手を離した瞬間、二度目の横転。
まぁ、さっきも折れてなかったし今回も大丈夫だろうと思ったんですが、今回はポッキリ根本から折れてて。
翌日は朝イチに博多へ移動して学校公演なので楽器屋へ行く時間もないし、オマさんのあんな特注楽器に匹敵するような楽器なんて日本どこ探したってないので、代替楽器というのも無理。どうするのかなって思ってたら「これからコンビニでヤスリと瞬間アロファ(瞬間接着剤)買ってきてくっつけてみるからよ」と言うオマさん。
嘘でしょ?ネック自分でくっつけるなんて、しかも瞬間接着剤でなんて前代未聞ですよ。
翌朝、ロビーで待てど暮らせどオマさんが降りてこなくて心配してたら、1時間半ほど経って携帯がなり、「部屋に来てみなよー」と言われ行ってみるとネックがくっついてるじゃないですか!
なんと一晩中ネックを手で握っておさえてたとの事。75歳とかですよ?ホント信じられない (笑)
その楽器でツアーは乗り切ったんですが、後日少しネックが曲がってくっついてると気付き楽器屋へ持って行ったら、瞬間接着剤でくっつけてしまったから外れないと言われたそうです。
そりゃそうですよね。外せるようにニカワでくっつけて作ってるわけですから。ネックが折れた時、折れた箇所を見て「こんだけしかノリついてなかったら外れるよなー」って言ってましたけどね (笑)
という感じで、こんなのは面白話のほんの一握りでしかないんですが、とにかく色んなことがあったし、沢山のことを学ばせていただいた7年半でした。僕にとってかけがえのない宝物です。
ありがとうごさいました。
またお会いする時は
“よーいドンの待ったナシ”で!
1977年生まれ。神奈川県横浜市出身。
中学校の、ジャズオーケストラ部でトランペットを始める。
1999年、第30回山野BIGBANDJAZZCONTESTにて優勝。
2001年、吉祥寺JAZZCONTESTグランプリ、2001年浅草JAZZCONTEST金賞をそれぞれ受賞。
日本を代表する様々なミュージシャンと共演し、特に鈴木勲、日野皓正、両氏との出会いによって、日本人にしか出来ないジャズのスタイルに確信を持ち、自己のバンド『HUMADOPE』(ヒューマドープ)ではジャズの伝統文化的側面に敬意を払いつつ、新しいジャズのスタイルを追求し続ける。
現在、鈴木良雄『THE BLEND』や、本田珠也『不穏な空気の中に淀むヘドロまたはヘドロ&カプリシャス』他で活躍中。