Walter Lang 来日トリオ公演(2018年11月)とCD『Pure』(2019年・アトリエ澤野)by 岡崎凛
text&photos by Ring Okazaki 岡崎 凛
ウォルター・ラングのピアノを初めて聴いたのは大阪市西天満の「ジャズライブバー・いんたーぷれい8」での福盛進也トリオ公演だった。その後このトリオがECMデビューし、『For 2 Akis』Japan Tour 2018を行ったとき、阿倍野区民ホールで再び彼のピアノを聴いた。穏やかで凛とした彼のピアノの音は、CDでもコンサートでも、いつも変わらなかった。
本誌JazzTokyoに初めて寄稿したのが阿倍野区民ホールでのライヴレポートだったので、福盛トリオでのウォルター・ラングの演奏ももちろん思い出深いが、ここではその後のリーダー・トリオ大阪公演と、彼が最近アトリエ澤野からリリースしたアルバムを中心に書いていきたいと思う。そして彼がどれほど親日家であったかに触れたい。東北出身の女性ヴォーカリスト室舘彩とのアルバム(地底レコード)を出したり、精力的に東北、中越など日本各地で公演したりと、日本中でファンと交流したウォルター・ラングの足跡を分かる範囲で紹介したい。
大阪公演の会場となった東梅田の老舗店ロイヤルホースでウォルター・ラングと話す機会があり、その時の彼のおだやかな声や、親日家らしい言葉を語る彼の表情は鮮明に記憶に残っている。どういうわけかその時一緒に写真を撮らなかったのが悔やまれる。このとき撮影したのは、店の奥のほの暗いステージで演奏する3人が遠くに写るスマホ写真だけだが、それでも自分にとっては非常に大切なものになった。ロイヤルホースで緊張感ある演奏をした後に、穏やかな表情でファンと交流する3人の姿は決して忘れられないものだ。
その一年後にもこのトリオは同じメンバーで来日したのだが、所要があって行けなかった。まさかそれが自分にとって、ウォルター・ラングを聴くラストチャンスだったとは考えもしなかった。ウォルターはまだまだ若いし、これから何度も来日があるだろうと思っていた。彼が60歳でこの世を去るとは…まさかの訃報を未だに信じられないというのは、自分だけではないだろう。
<3年半遅れになるライヴレポートと思い出話>
2018年11月の公演では、ウォルター・ラングのアトリエ澤野アルバム4枚目となるCD『Translucent Red』が店内で販売されていた。会場となった大阪の老舗ライヴハウス、ロイヤルホースでは、店のカウンター席に近いテーブル席に出演者が座っていることが多い。CDを購入して出演者席でサインをもらう前に、別のテーブル席にいたアトリエ澤野の「社長」澤野由明氏にお話を伺う。ちょうど著書「澤野工房物語」がDU BOOKSから刊行されたばかりだったので、こちらにもサインを、とお願いした。
この本の巻末の澤野工房略年表の最後には「2018年 クリスマス公演 兵庫県立芸術文化センター・神戸女学院小ホール 出演:ウォルター・ラング・トリオ」と記されている。本文中にも彼は登場し、「第六章 澤野工房のミュージシャンたち」に「ウォルター・ラング 突然来店した著名ピアニスト」というタイトルで始まるユーモラスな文章が載せられている。大阪市恵美須町にひょっこり現れた彼を想像するだけでも微笑ましい。
購入したアルバムのサインは、まずベーシストのトーマス・マークソンにもらった。彼の隣に座っていたドラマーのマグナス・オストロムはトリオ新加入のため『Translucent Red』には参加していなかったので、持参したオストロム参加のアルバム『Liberetto』(ラーシュ・ダニエルソンのリーダー作)とESTのCDにサインをしてもらった。
その後ラングに声をかけると、にこやかにサインの依頼に応じてくれた後に、「僕は以前に日本の女性ヴォーカリストと共演した。そして…」と語り始めた。私はその話を知っていたが、咄嗟にうまく英語で返事ができなかった。とりあえず、「知っています。そしてあなたは、東北をよく訪れていますね」と答えた。その後の彼の言葉はきちんと覚えていないのだが、日本への愛着がひしひしと伝わる語り口だった。
彼と共演した女性ヴォーカリストとは室舘彩であり、ラングは来日時に偶然彼女の歌を聴いて感銘を受け、ドイツで彼女とアルバムを録音した。このアルバム『Lotus Blossom』(2003)は地底レコードから発売されている(室舘彩+ウォルター・ラング・トリオ/『ロータスブロッサム』)。
もしかすると彼は『Lotus Blossom』の続編を作りたいと考えていたのかもしれない。これは単なる推測だけれど、とにかく彼の言葉の隅々に日本への熱い思いが感じられた。この時のラングの言葉は、福盛進也トリオで日本の歌曲を詩情豊かに演奏していた彼の姿と重なり、今後どんな作品が生まれてくるのか期待せずにはいられなかった。
<Walter Lang Trio/『Pure』>
上記のコンサートの一年後に発売されたウォルター・ラング・トリオのアルバム『Pure』を、目の前で見た3人を思い出しながら聴いた。
『Pure』はアトリエ澤野から2019年12月にリリースされた。上記の大阪公演に参加したマグナス・オストロム(Magnus Öström)が本作からレコーディングにも参加している。彼は元EST(エスビョルン・スヴェンセン・トリオ)のドラマーだ。本トリオの演奏で静かなドラミングに徹するときも、彼のサウンドは常に躍動感とスリルに満ちている。
以前からトリオに在籍するベーシスト、トーマス・マークソン(Thomas Markusson)のソロには、さらりとした歌心があるが、長々と歌い上げるようなソロはとらない。このトリオでは各自の「名演」を聴かせるよりも、曲のコンセプトを共有し、トータルな音楽構築を目指しているようだ。マークソンはラングの軽やかなピアノの流れに寄り添い、オストロムのドラムも丁寧に2人に反応する。だがあまりジャズっぽい対応はしていないように思える。トリオはできるだけソフトでシンプルな音で丁寧に音を紡ぎ、ラングの描くストーリーを完成させていく。淡い色合いの繊細な表現が重なり、華やかさと陰りがじっくりと描かれる。
(ロングショットでの撮影ですが、大阪公演での3人の写真を添えます)
ウォルター・ラングが得意とするのは、移ろいゆくものの儚い美しさを、できるだけシンプルに描くことかもしれない。彼の軽やかなピアノの音は、宙を舞う雪や夜空にきらめく星屑など、分かりやすく美しいものを連想させる。一つ間違えばありきたりの音楽になってしまいそうだが、そうならずに丁寧な楽曲に収められていく。ピアノの音は限りなく滑らかで、柔らかな光に包まれるようだ。
ぼんやり聴くと、ただ心地よいだけと思われてしまうかもしれない。実は以前、ウォルター・ラングの演奏はやや軽く、粘っこさが足りないと感じたことがあった。だがそれこそが彼の個性につながっていると思う。彼は独自の揺るぎない美意識を持って探究を続けていた。
アルバム『Pure』ではラング流の繊細なサウンド作りにますます磨きがかかっている。ドラマー、マグナス・オストロムの参加によって音の厚みと奥行きが増している。オストロムと同様にマークソンの躍動感も素晴らしい。
その後この3人は、2020年に新型コロナウィルスの影響で海外ツアーがキャンセルされた時期に、ドイツのenjaレーベルからアトリエ澤野在籍期のラング曲のベスト盤のような『TENS』を録音してリリースした。
ラングはこのトリオの活動だけでなく、2021年にはドイツ新進のギタリストPhilipp Schiepekとの共演作をACT Musicからリリースしており、精力的に活動を続けていた。晩年にますます音楽探究に励んだ彼は、がんを患っていたことを周囲に語らなかったようだ。
多くの親友やファンが突如の訃報に驚いて悲しむことになったが、ウォルター・ラングは残された日々をひたすら音楽に捧げて過ごしていたのだろう。
もちろんやりたいことは山ほどあったはずだ。福盛進也とのトリオのセカンド作の構想もあっただろう。でも彼は、何年もかけて取り組んできた計画を胸の奥にしまって、コロナ禍の中、母国のドイツ周辺で精一杯音楽活動を続けていたようだ。その充実ぶりを知れば知るほど、惜別の気持ちが深まるが、とにかく彼の遺したものになるべく触れたいと思う。
<澤野工房訪問>
アルバム『Pure』はずっと買うつもりでいたが、延び延びになってしまい、先月にやっと入手した。このCDはぜひ、澤野由明氏から直に受け取りたいと考えて、アトリエ澤野事務所のある大阪市恵美須町の履物店、澤野工房を初めて訪れた。CDを購入し、2019年のウォルター・ラングの公演に行けなかったのを悔やんでいる話などを聞いてもらった。澤野氏は『Pure』がラングの遺作になってしまったと嘆きながら、マグナス・オストロム(ds)の加入したトリオを絶賛し、『Pure』は澤野レーベルのラング作品の中でもとりわけ素晴らしいと話していた。帰宅してすぐに『Pure』を聴き、澤野氏の言葉に納得しながら、2018年のコンサートで聴いた3人の記憶を辿った。