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R.I.P. 坂本龍一No. 301

我が最愛の音楽家、坂本龍一さんご逝去に寄す by 木内秀行(弁護士)

text by Hideyuki Kiuchi  木内秀行

坂本龍一さんが2023年3月28日に逝去されたことが同年4月2日に公にされました。享年71。
ワタシは今でこそ5000枚を超えるCDを所持して音楽を存分に楽しみ、ライブに行って生演奏を楽しみクラブに出かけて楽しく爆音に身を任せ、あげくエンタテインメント会社の法務部長として執務を行った経験を有するなど、音楽と一体化したような人生を送っていますが、それは坂本さんの音楽のおかげです。
かつてワタシは小学生のころ音楽のクソ教師に虐待と言っても過言ではない取り扱いを受けて音楽に対して憎しみにも似た感情を持っていました。しかしそれを一瞬で取り払って音楽の魅力を与えてくれたのが、ワタシが中学3年生の時に聴いたYMOのアルバム『Solid State Survivor』の劈頭を飾る、坂本さんの楽曲である〈Technopolis〉でした。富士カセットのCMに使われていたこの一曲を聴いてえも言われぬ衝撃を受け、その後YMOにのめりこんでいきました。
その結果ワタシはYMO→フュージョン→ジャズ、という流れに従って音楽を聴き、そこから派生して様々な音楽を楽しむようになって音楽とともに歩む人生を送ることになったわけです。これに伴いYMOはワタシの人格形成に色濃く影響を残しています。ワタシの表向きの人格は「Bill Evans、安倍公房、つげ義春」によって成り立っていますが、裏向きの人格は「YMO、筒井康隆、赤塚不二夫」によって成り立っています。それもYMOに坂本さんがいらっしゃったからこその話です。
ですから、坂本さんご逝去の報を聞いて追悼のためにまず聴いたのが、ワタシが音楽人生を歩むきっかけとなった坂本さんのYMOでの楽曲〈Technopolis〉でした。
そんなわけで坂本さんはワタシにとって最愛の音楽家の一人でした。我が最愛の音楽家の一人にBill Evansがいますが、ワタシがジャズを聴き始めたころすでにBill Evansは他界されていました。しかし坂本さんはリアルタイムで追いかけた最愛の音楽家です。それだけに、坂本さんご逝去の衝撃はたとえようもありません。

坂本さんの楽曲、坂本さんの演奏には坂本さんにしかない特色があります。坂本さんの音楽はメロディアスで美しく、パッションを帯びつつも、それに流されることなくその根底に知性と冷徹さが控えており、全体として理知的な音楽となっています。さらに坂本さんの音楽は、秩序と屈折、優しさと暴力、理性と狂気、温かい柔肌と鋭利な匕首がないまぜになっている、という、アンビバレントなものが分厚く深く横たわり、そしてそれらが矛盾なく見事にバランスを保ち調和して芸術の域に達しているものと考えています。そうした坂本さんの音楽にワタシは深く惹かれたわけです。
坂本さんは3歳のころからピアノを初めてクラシック音楽の素養を持ち、東京芸大で小泉文夫教授に師事して民族音楽を学び、初スタジオ録音はフォーク歌手友部正人さんのアルバム『誰もぼくの絵を描けないだろう』でのピアノ。初クレジット作品は土取利行さんとのデュオ作『Disappointment – Hateruma』で、これは現代音楽的な作品。そして坂本さんはかつて阿部薫と音楽をやっているくらいでジャズの素養も当然あり、またYMOでテクノポップを切り開き、『千のナイフ』や渡辺香津美との『KYLYN』はフュージョンそのもの、そしてそれに飽き足らずそこから映画音楽などさまざまな音楽のジャンルをまたにかけて、坂本さんは音楽を創造してきました。
週刊現代の坂本さんに関する記事を読んでいたら、「多くの人がボサノバやジャズやクラシックはそれぞれ違うものだと考え、音楽家をそれでジャンル分けしていますが、実はそんなに違わない。仕切りを取ると、同じ音楽という入れ物なんですよ。それが僕の信念です。」という坂本さんのコメントがありました。坂本さんが現代音楽、ジャズ、フュージョン、ポップス、民族音楽、クラシックなど様々なジャンルを超えて音楽を創造してきた根底にある坂本さんの信念を目の当たりにしました。
そうやって坂本さんが創造してきた音楽は、もはや既存の音楽ジャンルでは包括できない音楽、あえてジャンル分けするなら「坂本龍一」というジャンルの音楽であると言わざるを得ません。坂本さんは「坂本龍一」としかジャンル分けのしようのない、しかも時空を超越した音楽を創造した偉大な音楽家です。
とはいえ、ワタシは坂本龍一さんの音楽をすべて追いかけたわけではなく、実際に聴いていたものには偏りがあります。YMOでの諸作品や『B2 Unit』『Arrangement + Singles』などのアルファ・レコードからの作品、『千のナイフ』や渡辺香津美さんとの『KYLYN』でのコラボ作品を含むBetter Daysからの作品、『戦場のメリークリスマス』『音楽図鑑』『未来派野郎』『Media Bahn Live』といったmidiからの作品、『Summer Nerves』や『Neo Geo』といったソニーからの作品、『Beauty』や『Heart Beat』といったVirgin Recordからの作品などを繰り返し繰り返し聴いてきました。また、坂本さんはCM音楽の分野でも数多くの傑作を残し、特に資生堂の化粧品「Perky Jean」のテーマが好きでした。だからワタシは坂本さんのCM作品ばかり集めたCDをよく聴いていたものです。
ワタシの生活の中には常に坂本さんの音楽がありました。これらの作品のいくつかの曲は、アドリブ部分を歌えるくらいまで聴きまくってそのメロディーが脳髄に染みこみ、iPodなどなくても脳内BGMをできるほどです。
他方、ワタシは「ラストエンペラー」「シェルタリング・スカイ」といった坂本さんの映画音楽作品(そもそもワタシには映画を見る習慣がない)や、例えば「BTTB」などの坂本さんのソロピアノ作品にはあまり接していません。また、「HASYMO」と呼ばれていたり、小山田圭吾や権藤知彦がサポートメンバーに入ったりした、21世紀に入ってからのYMOにもそれほど関心はありませんでした。一度HASYMOのころのDVDを見たことがあるのですが、ワタシが初めて出会った頃のYMOに比べると、何だかすっかり丸くなってしまい、かつてのYMO(ここには「再生」後、「Technodon」のころのYMOは含めてもいいです。)の勢いとか力強さとかほとばしりとか鋭利さのようなものを感じられませんでした。21世紀に入ってからのYMOは、何だか人間国宝みたいで、「もうそこにいて、そこで演奏してくださるだけで感無量、後は何もいりません。」という存在になっていました。
しかし坂本さんのご逝去後、坂本さん最後の演奏に触れたくて、ワタシがあまり聴くことのない坂本さんのソロピアノ作品である、NHKで放送された「坂本龍一Playing the Piano in NHK & Behind the Scene」をワタシは見ることにしました。
モノクロでの演奏シーン、鍵盤をなぞる坂本さんの指先は枯れ木のように細くなり、照明の加減でその細い指や手には色濃くしわが刻まれて痛々しい趣が漂います。ピアノを弾く坂本さんは病のため見る影もなく細く小さくなってしまっていました。それでも坂本さんは魂を込めて一音一音いつくしむようにピアノを弾き、そこから流れ出る音はシンプルながらも美しかったです。最後「Merry Christmas Mr. Lawrence」を坂本さんが弾き終えた時、「ああ、これで坂本龍一のパフォーマンスは永久に終わってしまったのか」とすごく切なくなりました。
演奏と演奏の合間に入る坂本さんのインタビューでは、過去に患った中咽頭ガンのせいかすっかり声はかすれて別人のようでした。しかし意外にも声には張りがあり、ピアニストとしての自分自身や仕事のこと、将来的に構想している楽曲編成のことなど、およそ死を前にしたとは思えない意欲的な発言をされていました。このパフォーマンスのDVDが出たらワタシは絶対買います(是非出してください)。
今はもう坂本龍一さんの音楽に生で触れることはかなわなくなりました。だから今は坂本さんが数多くの優れた作品を残してくれたことに感謝して大事に聴き続けると同時に、我々は坂本さんが数多くの音楽家に与えた影響にいつまでも坂本さんの影を見ることができるでしょう。...と頭ではわかっています。しかし、坂本さんはワタシを音楽に目覚めさせてくださり、そしてワタシがリアルタイムで追いかけ続けてきた最愛の音楽家。そんな大切な人の訃報に接した直後は、感情的にはそんな風にはとても冷静になれません。いったいこの先坂本さんのいない世界でどうやって音楽とともに暮らしていけばいいのか。坂本さんが亡くなった直後、ワタシは祈りの言葉も忘れてただ呆然としていたというのが正直なところです。
12
坂本さんが亡くなる直前に、坂本さんの現時点での遺作である『12』がワタシの手元に届きました。坂本さんご逝去のあと、ワタシは『12』をしばらくの間届いたときのまま封切れずにいました。これを聴いたらなんだか本当に坂本さんのご逝去を認めてしまったかのようで。この時ワタシは未だに坂本さんのご逝去を現実のものとしてとらえたくなかったのです。
しかし坂本さんご逝去の報からしばらく経ち、「もう坂本さんはこの世にいないんだな」と、ようやく気持ちの整理ができて、『12』を聴けるようになりました。坂本さんの最後のスタジオ作品を聴くことで、坂本さんはワタシの心に残って生き続けると思えるし、そうでないとせっかく最後に命を振り絞ってこの作品を作ってくれた坂本さんに申し訳ないからです。坂本さんは一音一音をいつくしんで鍵盤楽器を操り坂本さんの精神の奥底にある感情・情念・音楽観を惜しげもなく注入して音楽作品を創造しました。そこには「坂本龍一」としか言いようのない音世界が展開され、坂本さんの音楽生活の集大成を見る思いでした。
細野晴臣さんは、坂本さんのご逝去にあたり、「坂本くんは数年かけて準備をし永眠しました。御本人も御家族も後悔なく、静かに旅立ったと聞きました」とコメントされています。2014年に発覚し、一度は寛解した中咽頭ガンに続き、2020年6月にステージ4の直腸がんが発覚した時、坂本さんは、「がんと生きる」と覚悟を決め、これからも生きながらえていくために自分自身の治療につき最善は尽くしつつも、心のどこかで自分の命が長くはないことを覚悟していたのかもしれません。だからこそ、最後の最後まで残された時間を意識しつつ自分の体力との関係で自分がいつどこまで何を残せるかを考え、その上でできることをやりつくすべく務めたのでしょう。むろんNHKの番組で述べた通り、まだ将来に向けてやりたい仕事があってそれへの意欲はありつつも、結果的に遺作となった『12』や、「東北ユースオーケストラ」への出演、坂本さんの全世界発信ピアノコンサートで自分の音楽を出し切り、のみならず単行本「音楽の歴史」や、新潮での連載「ぼくはあと何回満月を見るだろう」で自分の来し方を過不足なく描き切り、そして未来に託すものを残して逝ってしまわれたわけです。
かつてワタシがエンタテインメント会社の法務部長だったころ、坂本さんのマネジメントを行っていたその会社の方と坂本さんの話題で飲んでいて、「うちの会社の法務部長でYMOの大ファンがいて、その人にYMOの紀伊国屋コンサートのCDを聴かせてもらったと坂本さんに言ったら、坂本さんが、その法務部長さんに会ってみたいと言ってましたよ」とその方がおっしゃっていました。一度でいいから坂本さんにお会いしてみたかった。
坂本さんが他界されたこと。こればかりはもう動かしようがありません。そして、残された者は引き続き生きていかなければなりません。坂本さん亡き世界で音楽をとともに生きること。ようやくそれを徐々に実感できるようになりました。だから、坂本さんが未来に残してくださった贈り物を、今はただ感謝とともに受取り、そしてこれからも大事にしていきます。
いい音楽をありがとう。RIP…..


木内秀行 Hideyuki Kiuchi
1965年群馬県高崎市生まれ。1989年中央大学法学部卒業。 1993年早稲田大学大学院法学研究科修了。 1999年ペンシルヴェニア大学ロースクール修了。弁護士(日本国・米国ニューヨーク州)。中学生の頃 YMOを聴いて音楽に開眼し、その流れでフュージョンに親しんだ後、大学2年生の時 Bill Evans を聴いて一生ジャズを聴いていこうと決意する。ジャズに親しんで司法試験合格が遅れるが、「ジャズなくして何の人生かな」と一片の反省もない。現在もジャズや R&B など幅広く日常的に聴いている。

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