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R.I.P. 松風鉱一No. 301

追悼・松風鉱一 by 加藤崇之(ギター)

Text by Takayuki Kato 加藤崇之 (guitar)
Photo by Akira Saito 齊藤聡

19歳の時、初めてアケタの店に行ってみた。
その時演奏をしていたのが松風さんのトリオだった。
かなり自由なジャズで今の松風さんの音よりは荒々しくて大きな音だった記憶がある。
当時、サックスの松風鉱一さん、林栄一さん、梅津和時さん、片山広明さん、宮野裕司さん達は自分にとって中央線ジャズシーンの憧れの先輩でした。
私の場合、アケタの店に定期的に出演するようになってからは徐々にアケタの店に出演しているミュージシャンのグループに呼ばれたりセッションとして呼ばれたりしながらいろんな体験をしていると感じていました。

アケタの店に出演するようになって何年もたってから、ついに松風さんのグループに呼ばれるようになりました。
アケタの店を中心に活動していた当時の自分としては、この流れはタイムリーだと感じていました。
松風さんの見ている先にある景色と私の見ている先にある景色にはリンクするものがたくさんあって共鳴しているという感触がありました。
以来、松風さんのグループでは毎回何かその時だけのヒラメキや面白い世界が生まれていて飽きることなく楽しいライブが続いていました。

最近は松風さんと音楽の話をするようにもなっていて松風さんのオリジナル曲のことで質問したり音階のことなども話し合うことがありました。
松風さんは長年独自の世界にこだわっていてそのための和声や音階をあみ出して研究しながらオリジナル曲を作り自分のグループで試していると思いました。
そしてそのための練習もかなりやっていたと思います。
長い成長過程では音色や呼吸などもかなりこだわりをもって磨いていると感じました。
無理のない呼吸から生まれる音色は小さな音でも乱れることなくピッチもしっかりしていました。

最近は一緒に演奏していると、ついに独自の松風ワールドが出来上がってきたという感触がありました。
これは素晴らしい偉業であり凄いことだと思っています。
ジャズは感じたことをやらなければならない、とか歌わなきゃならないとか、頭で考えたことや練習したことをやっちゃダメみたいなことを言う人もたくさんいるけど、松風さんにはそのような考え方は関係なくて自分の見ている先にある独自の景色に向かって唯我独尊、迷いなく突き進んでいたと思います。
普段はひょうひょうとしていながら清々しく周りの人ともいつも楽しく談話していました。
松風さんの偉業はとても凄いことだと思うし心からリスペクトしていました。

合掌。

(Facebookより転載)

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