坂本龍一 〈Ex-Jazz 〉by 矢澤孝樹(音楽評論家)
text by Takaki Yazawa 矢澤孝樹
私の音楽的指向性(というか無節操なまでの多指向性)は、中学3年の頃から追いかけ始めた坂本龍一の音楽、そして当時NHK-FMで放送されていた「坂本龍一のサウンド・ストリート」に多くを負っていることは疑いない。坂本龍一は世界のあらゆる音楽や文化に対し開かれた姿勢を備え、自らの音楽と行動で実践し、私たちの耳と眼と心を広い世界へと解き放ってくれた。
私の坂本龍一追悼は、突き詰めれば以上の言葉に集約される。それを形を変えて、ふたつの媒体に既に書いた。
だが、これは『JAZZ TOKYO』であり、かくも幅広い音楽的視野を備えている坂本龍一とジャズについて考える機会ととらえ、記述を試みてみる。
高校生時代にジャズ喫茶に入り浸ってジョン・コルトレーンやアート・アンサンブル・オヴ・シカゴを聴いていたというエピソードの割には坂本龍一とジャズはあまり結びつかないようだが、特に活動初期においては、さまざまな接点がある。そもそも坂本龍一がその名を主役として刻んだ最初のアルバムは土取利行とのフリー・ジャズ・セッション、『ディスアポイントメント-ハテルマ』である(同時期には阿部薫ともセッションしている)。高橋悠治と富樫雅彦の『トワイライト』にも坂本の名がある。その後も、フュージョン的な要素も強い『サマー・ナーヴス』があるし、山下達郎『IT’S A POPPIN’TIME』などに代表されるセッション・ワークは「当時最先端の柔軟な対応力を備えたフュージョン・キーボーディスト」と形容して何ら不自然ではない。渡辺香津美のKYLYN BANDにも参加しているし、YMOの最初の海外ツアーではその渡辺香津美が同行していて、YMO「散開」後に出たライヴ盤『フェイカー・ホリック』で壮絶なプレイを聴くことができるが、リアルタイムで出た同ツアーのライヴ盤『パブリック・プレッシャー』では契約の関係で渡辺のプレイは消され、代わりに坂本のシンセサイザーがオーヴァーダビングされた。ところが「ジ・エンド・オブ・エイジア」などでは坂本のキーボード・ソロが猛烈に格好よく、とても後からオーヴァーダビングされたとは思えない「ジャズ的」ソロが展開されているのである。その後のYMOでも『BGM』収録の「千のナイフ」の歪みまくったキーボード・ソロ、『テクノデリック』の「階段」中間部のユーロ・ジャズ風のピアノ・ソロなど、「ジャズ的」瞬間がいくつもあった。『音楽図鑑』では清水靖晃や近藤等則(彼らはもちろん狭い「ジャズ」の定義に収まらない音楽家だが)を、『NEO GEO』ではトニー・ウィリアムスをゲストに起用している。また『東京ミーティング1984』はビル・ラズウェル、近藤等則、高橋悠治らとフリー・セッションを展開している。
だがこの頃の坂本龍一は一方でジャズについては冷淡な発言が多く、「ジャズは死んだ」とまで言い放っていた。『メディア・バーン・ライヴ』には終わり近くに「EX-JAZZ」と題したスタジオ収録の小品が現れるが、ジャズ的イディオムを用いたその曲はまるでジャズの葬送曲のように暗い。
なぜなのだろうか。
その鍵となる発言が、『ミュージック・マガジン』2016年2月号の吉村栄一によるインタヴュー内にある。「ただ、一時、ジャズは形骸化してしまって、テクニックはすごいけれども、ジャズを発展させることのないプレイヤーがもてはやされるようになった」「ああいうのは博物館に入ったジャズのミイラみたいなものでしょう」おそらくこれは70年代後半、坂本龍一がポピュラー音楽シーンに登場してきたころのフュージョンの状況(あるいはその後の「新伝承派」に代表されるハード・バップ・リヴァイヴァル)に向けられた言葉である。要するに坂本龍一はジャズそのものを否定しているのではなく、クリシェ化したジャズを批判していたのだ。事実、坂本は同じインタヴュー内でマリア・シュナイダーや狭間美帆を高く評価し、彼女らを初めとする新しい世代のミュージシャンが繰り広げる「100年のジャズの歴史を蓄積した地底湖をルーツとして繋がりながら、他の新しい音楽からもたくさんの影響をもらっている」新たなジャズを称揚している。
そして21世紀に入ってからの坂本龍一の音楽に、私はこうしたジャズの新しい潮流との連動を感じる。モレレンバウム2/サカモトのジョビン再解釈にはアコースティック、アルヴァ・ノトやクリスチャン・フェネスとのコラボレーションはエレクトロニック、双方において即興性は重要なファクターとなっている。さらに『OUT OF NOISE』『async』など晩年のソロ・アルバムは、環境音も含むあらゆる音事象との「セッション」だといえよう。ここには肯定的な意味での坂本龍一ならではの「EX-JAZZ」がある、と私は思う。
そして病魔と闘いながら録音された生前最後のアルバム、『12』。リハビリのようにシンセサイザーの「音」を確かめるところから始まる12トラックは、少しずつ手数を増やし、旋律をとらえようとしてゆく。坂本龍一は最後に、たった一人での「生命とのセッション」を私たちに遺したのだ。
矢澤孝樹 やざわたかき
音楽評論、ニューロン製菓株式会社・株式会社アンデ代表取締役社長。
1969年山梨県塩山市(現・甲州市)生。慶應義塾大学文学部卒。1991年~2009年まで、水戸芸術館音楽部門学芸員および主任学芸員として勤務、演奏会企画制作、解説執筆等を行う。2009年よりニューロン製菓(株)に勤務、2013年より代表取締役社長。2018年に(株)アンデを合併、同社代表取締役社長。並行して音楽評論活動を行い、『レコード芸術』音楽史部門新譜月評他、朝日新聞クラシックCD評、『CDジャーナル』誌、タワーレコード&ユニバーサル『ヴィンテージ・プラス』シリーズ等のCD解説、演奏会解説など執筆。『200CD バッハ』(立風書房)、『最新版名曲名盤500』『不滅の名演奏家たち』『クラシック・レーベルの歩き方』『クラシック不滅の巨匠たち』(以上、音楽之友社)など共著多数。山梨英和大学市民講座『メイプルカレッジ』で音楽学者・広瀬大介氏と共同音楽講座を行う。山梨日日新聞で「やまなし文化展望」連載中。演奏会プレトークなども多数。