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R.I.P. ペーター・ブロッツマンNo. 303

追悼 ペーター・ブロッツマン by 内橋和久

text by Kazuhisa Uchihashi 内橋和久

ペーター・ブロッツマンにはじめて会ったのは、ハンス・ライヒェルが僕をFMPフェスティバルに呼んでくれた1993年のこと。フェスティバルの他にもドイツのあちこちでコンサートが組まれ、その間1ヶ月あまりツアーの拠点として、僕は彼の住むドイツの街ヴッパタールに滞在した。ご存知の方も多いと思うがヴッパタールにはFMPの看板アーティストのペーター・ブロッツマン、ペーター・コヴァルト、ハンス・ライヒェルの3人が大袈裟ではなくほんとうに半径50メートル内に住んでいた。

滞在中のオフ日は、僕はもっぱらハンスの家でダクソフォンを弾いて遊んでいた。ドイツ語やチェスを彼に教えてもらったりもした。ある日の散歩中、ハンスが「ペーターを紹介するよ」と言って、自宅の前で植物に水やりかなんかをしてたペーター・ブロッツマンを紹介してくれた。ペーターの隣には猫ちゃんが一匹。彼が猫飼ってる姿が、妙に可愛らしかったのを覚えている。

それから1、2年後だと思う。ペーターが来日してツアーをした。その途中、神戸で僕がよく出演していた三宮のライブハウス BIG APPLE にも来ることになった。コンサートの主催者と一緒に、僕もペーターを新神戸の駅で出迎えた。その日のライブはペーターのソロだったが、彼に「できたら一緒に演奏したい」と直接直談判した。ペーターは「もちろん!」と快諾してくれた。そしてデュオで演奏することに。彼は店に入るや否やウイスキーを注文し、ガブガブ飲みはじめた。演奏前にそんなに呑んで大丈夫なのかと聞くと「ハードリカーは喉が開いて良いんだよ、ハハハ!」と笑って呑み続けた。

演奏がはじまると、それはもう聴いたことのないようなパワフルなサックスの音で、僕はMarshallのアンプで爆音だったにも関わらず、彼はマイクも使わず吹き倒した。僕の真横、耳元で、ブイブイ楽しそうに吹いていた。「感情は必ず音に宿る」と彼はよく語ったようだが、だとすれば嬉々としたパワーの宿った音色だった。僕はといえば自分が何を演奏したか全く覚えてないくらい圧倒されて、ただただ彼から放出されるエネルギーに応えようとひたすらギターを掻きむしっていた。スタイルとか方法論とか好き嫌いを超えた、"音の力"というものを体感した夜だった。

演奏が終わり、頭の中が真っ白になったままの僕をペーターは抱きしめて「今日、僕らは初めて一緒に演奏したんだよ!」と嬉しそうに観客に語った。僕はまだ圧倒されたままだった。

それから月日は流れ、彼と演奏する機会を何度か得た。ドイツやオーストリアで目撃した彼はいつも弛まずエネルギー満杯で、何年振りでも衰えることは決してなかった。フリージャズの立役者のひとりにして牽引者であり続けた彼だったが、それでもスタイルで身を護るようなことはなかった。音楽にとって大切なのは、その人から音に託されるそのものの豊穣な世界、深淵さだという事を、強く教えられた気がする。生き様が音楽そのものだった。そのことは今でも、ずっと心に刻んでいます。ありがとうございました。


内橋和久

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