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R.I.P. デイヴィッド・サンボーンNo. 314

追悼 デイヴィッド・サンボーン by 五野 洋

text by Hiroshi Itsuno 五野   洋

サンボーンが亡くなった。
ボーっとして数日過ごしてしまった。
デビュー・アルバム『テイキング・オフ』(Warner Bros. 1975) からずっと輸入盤を買って聴いていたから、もう50年近い付き合いになる。基本的にはビバップやビッグバンドを主に聴いて来たが、デイヴ・グルーシン、ボブ・ジェームズ等、当時の言葉でいう「クロスオーヴァー」も好きだった。ジャズ専門誌やジャズ喫茶では異端扱いするところもあったが、アコースティックかエレクトリックの違いはあってもリズム・セクションが作るグルーヴの上でソロイストがアドリブするという基本は同じだと思っている。
最初の邂逅は1980年、野口五郎が当時池尻大橋にあったポリドールのスタジオでコンサートのリハーサルを行なった時だ。以前からフュージョン好きを公言し、自らもギターを弾く五郎がサンボーン、ドン・グロルニック、デヴィッド・スピノザ、リック・マロッタ等ニューヨークの第一線で活躍するミュージシャンを日本に呼ぶと聞いた時はびっくり仰天した。いくらデビュー10周年記念とはいえ、あまりにも大胆かつ、夢の様なメンバーだったからだ。
当時付き合っていた彼女 (今の家内)もサンボーン・ファンだったので急遽連絡して、ふたりで生サンボーンを間近に見て大興奮、その時足が悪いことも初めて知った。
それから1年も経たないうちに人事異動があり、野口五郎担当 A&R になるとはその時は思いもしなかったが。

Photo ©1990 Cheung Ching Ming

その後、ジャズ担当 A&R になっていた1992年、ついにサンボーンをレコーディングする機会が訪れた。当時ステファン・ウィンターというドイツ人プロデューサーと共同で「Bamboo」レーベルという新しいプロジェクトを展開する中、ティム・バーンというNYのとんがったアルトサックス奏者の企画が持ち上がった。少しとんがり過ぎてなかなかセールスに結び付かなかっのでサンボーンと組ませることで注目を集めようとした。ふたりの共通の師匠ジュリアス・ヘンフィルの曲だけを集めてレコーディングしたのだが、それがサンボーンのミュージシャン魂に火を付けたのか、ティム・バーンよりもさらにとんがったソロで圧倒された。何よりもサンボーン自身が一番楽しんで演奏をしていたのが忘れられない。
結局このアルバムもあまり売れなかったが、サンボーンの訃報に際し本田珠也 (ds) がX(旧Twitter)で取り上げ「とにかく暗い!」と呟いてくれたから救われたかな。
(本人のFacebookへのツイートを本人の同意を得て転載)


五野 洋 いつの ひろし
1948年西宮生まれ。早稲田大学商学部卒業。早大ハイソサエティ・オーケストラOB(ギター担当)。ポリドール、ポリグラム、ユニバーサルでジャズを担当後、2004年55 RECORDSを設立。中村健吾、ジェシ・ヴァン・ルーラー、ロバータ・ガンバリーニ等のアルバムをリリース。2007年鈴木良雄、伊藤潔、タモリと共にONEレーベルを設立。鈴木良雄、増尾好秋、大野俊三のアルバムをリリース。

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