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R.I.P. 林 聡No. 320

「林さん」 田中朝子

2000年に林さんが始めたギャラリーノマルで個展をする縁に恵まれ、初めて林さんに会いました。

当時の林さんは、私と歳が大して離れていないのに、はるかに年上の風貌、巨漢だったのもあるけど、貫禄がすごかった。
デブ(←敢えて言います)で、タバコを常時くわえ、相手が初対面だろうと目上であろうとなんだろうと、一貫してフランク。当時すでに林さんとノマルのアレコレを担っていたsaraさんと日々ひたすら美味しいもの探しては食べていたそうです。あと、自社の前に設置された自動販売機の某スポーツドリンクをチェーン飲みしていたそう。とても豪傑で貫禄ある林さんでした(その後、林さんは太ったり痩せたり、食べたい時に食べたいものを食べ、食べたくない時、仕事や何かに没頭したりしているときは全く食べないという、自分の身体に対しては無頓着な風でした)。

でもそんな風貌とは裏腹に林さんは、「面白い」、「繊細」、「温かい」人、でした。林さん率いる会社のスタッフをそれぞれ愛称で呼ばれていましたが、それはほぼ林さんの命名で、少々イジりが入っていたりするんだけど、軽妙洒脱、それが当人にしっくり馴染み、かつスタッフそれぞれへの親愛の響きがありました。
会社のボスとして、美術界の第一線の開拓者としての自負を持ちながらも、敬愛していた作家の今村源さんがギャラリーノマルでの個展に同意された時につい涙ぐんだというお話を聞きました。扱い作家が若くして癌に罹った時は、当事者と共にどん底に陥り、共に苦しみ、手術が成功した時はおそらく当事者と同じくらい、もしかしたらそれ以上に歓喜し、ノマルのただの一作家である私にまで電話をしてきて溢れる喜びをわけてくれました。あの分だと私だけでなくスタッフ、作家、あちこちに電話をしていたんだろうなと思います。そんなところからも、林さんは作家もノマルも家族のように思っていたことがわかります。そういえば、時にお兄ちゃん様に遊んでくれました。美術のことだけでなく、音楽のこと、文学のこと、美味しいご飯のこと、その店のオモロい店員のこと...色々たくさん話してくれました。

そして作ることも作家任せではなく「共に創る」という姿勢で色々なアイデアやコンセプトを作家に投げかけました。
「そんなにアイデアが出るのなら林さん自身が作家をやればいいのに」という声もありましたが、林さんはそれはせず、あくまで裏方仕掛け人、作家本位の姿勢でした。
そんな林さんが投げかけたコンセプト、勧めたアイデアで作ったものが世に評価され、大きくなった作家さんもたくさんおられます。私は林さんの勧めに乗り損ねたりしたせいか(林さんに「頑固者」と紹介されるほど)、大きくはなれていませんが、それでも林さん、林さんのノマルのおかげで、作ることをずっと楽しみながら続けてくることができました。最近特にそう感じることが多々ありその度に心の中で感謝していました。今思えばその都度、口に出して「ありがとう」と言えばよかったです。それを聞いた林さんはニヤニヤ笑顔で何かオモロい皮肉を返してくれたと思います。今も想像はできるけど、その時ならニヤニヤが網膜に、皮肉が鼓膜を響いたのになあ。

これからはもっと林さんの声に耳を澄ませて、林さんと林さんのノマルと一緒に作っていきます。大きくなります。
林さん、言葉にするのが遅くなりましたが今までありがとうございました。これからもよろしくお願いします。これからも時に遊びましょう。

*写真キャプション
2015年、ノマルのオフィス林聡席での打ち合わせ時。


田中朝子

大阪生まれ、奈良在住。日常的な視点から捉えた些細な錯覚(ズレ)を、写真・版画や立体作品によって繊細に、また大胆な発想で表現。視覚の純粋性と不確かさを浮き彫りにする。
展覧会の他、公共空間での作品設置や「本」をテーマとした作品の制作、アートブックの編集・出版など、“美術作品”の枠組みに捕われない制作活動を行っている。主な著書に『♭』(赤々舎)、個展に2019年「blanc」、2022年「light in a pool」(共にギャラリー・ノマル)がある。

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