From the Editor’s Desk #12「JazzTokyo 300号とECM国内プレス50周年」
text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
JazzTokyo (JT) がこの4月で300号を迎える。創刊号は2004年6月。来年は創刊20周年だ。ウェブで「JazzTokyo」をサーチするとDisk Unionのお茶の水店 JazzTokyoがトップに座しているが、創業は我がJazzTokyoが Disk Unionに何年も先行している。DUのJazzTokyoが創業する際、当時の菊田専務から「稲岡さん、一業種一社なのでよろしくお願いします」と挨拶があった。それはともかく、ミュージシャン中心のインディ・レーベルが続々自主制作を始めたものの、専門誌の敷居が高くレヴューを扱ってもらえないという嘆きを耳にし、先輩 悠雅彦さんと語らい録音エンジニアの及川公生さんを誘ってweb-magazine JazzTokyoを立ち上げることを決めた。3人ともジャズに偏らずクラシックを始めボーダーレスで音楽を聴いていたので、標語に「Jazz and Far Beyond」を掲げた。その方針通り誌面には沖縄電子少女彩、灰野敬二から矢沢朋子、ギドン・クレーメルまで時には純邦楽やJ-POPまで含みながらじつに多彩なアーティストの活動が報じられている。それぞれの分野を得意とするコントリビュータが随時寄稿しているわけで、じつはこの多彩なコントリビュータの存在こそJazzTokyoの誇るべき貴重なリソースなのだ。
JTにも何度か危機はあった。クラシック・セクションの脱退。コスト削減を図るためサーバーを移行する際、テックの手違いで貴重なアーカイヴの半分近くを失った。副編集長に横井一江が就き、テックにシステム・エンジニアの本宿宏明を迎え、WordPressで現行のシステムを構築以来安定期に入った。安定期とはいえ、編集長の私自身を含め、編集部を構成する横井、本宿はそれぞれ本業を持つ身。横井はカメラマンであったり、時に内外のアーチストのコンサートの企画・制作も行う。ボストン在の本宿はヒロ・ホンシュク名義でジャズ・フルーティストとしても活躍する二刀流だ。システムの維持費は編集部で負担しているが、編集、取材、寄稿はすべてヴォランティア。商業誌等への寄稿では原稿料が支払われるプロの書き手もJTではすべてヴォランティアでお願いしている。これは創刊以来変わらない。今月300号を迎えられるのはひとえに内外のコントリビュータの無償の協力あってこそ、感謝の念に耐えない。惜しむらくは、創刊以来の同志、悠雅彦主幹と及川公生録音担当の勇退である。高齢化に伴う体調不良は如何ともしがたい。
記念すべき2004年6月28日刊行の創刊号の表紙は以下の通りだ。「今月の論説」で悠雅彦主幹の掲げるタイトルは「いったいわが国に健全なジャズ・ジャーナリズムは存在するのだろうか?」、ピックアップ・アルバムはジャズではなくアストル・ピアソラだ。。
300号を記念する特集のテーマに「ECM:私の1枚」が選ばれた。コントリビュータの大いなる協力もありミュージシャンや音楽人からの寄稿がゆうに100を超え、100数十に迫る勢い。しかも取り上げられるアルバムが多種多様でほとんど被りがないのが驚きだ。これは今から50年前の1973年にECMと独占契約を交わし、国内プレスを初めた旧トリオレコードで10年間レーベルマネジャーを務めた私にとって文字通り隔世の感を禁じ得ないのだ。ヨーロッパのリスナーを一義的なターゲットとしたECMを日本のマーケットに根付かせる作業は容易ではなかった。その作業のひとつに編集者 小野好恵と組んだ詩誌「ユリイカ」と「カイエ」への連載エッセイ広告があった。「ユリイカ」では “My Back Page”、「カイエ」では“My Song”と名付けられたエッセイは「カイエ」の休刊まで続き全31本。小野の意を汲んだ詩人の飯田善國、谷川俊太郎、作家の村上龍、村上春樹、評論家の川本三郎、女優の桃井かおりなど詩誌への寄稿者に私が選んだ1枚のECMアルバムの試聴を依頼し、インスピレーションをもとに400字でエッセイにまとめていただくという試みだった。この企画は評判を呼び、ECMが日本で市民権を得るとっかかりに大いに寄与した。ECMの国内プレス50周年とマンフレート・アイヒャーの傘寿(80歳)を記念して拙著「ECMの真実」を大幅に増補改訂した「新版 ECMの真実」(カンパニー社)が今月刊行予定だが、このエッセイが当時の貴重な資料として再録されている。今回の特集「ECM:私の1枚」は、言ってみれば最初期のECMの市場導入の成果を目の当たりにするようで、さすがに50年をかけてECMはこの国で深く静かに浸透、多くの音楽人に感銘を与え、影響を及ぼしている事実に感無量である。
ちなみに、ECM国内プレス50周年というのは、旧トリオレコードがECMと独占契約を結び、ECMのレーベルを使って国内プレスを始めてから今年で50年目という意味だ。ドイツ盤と差別化するために国内プレス盤の色はダーク・イエローに変えた。国内プレス盤の最初の3タイトルは、ポール・ブレイ『オープン、トゥ・ラヴ』、キース・ジャレット&ジャック・ディジョネット『ルータ&ダイチャ』、ゲイリー・バートン『ニュー・カルテット』。それまでの『リターン・トゥ・フォーエヴァー』(ECM1022) までは、例えば、マル・ウォルドロン『フリー・アット・ラスト』とキース・ジャレット『フェイシング・ユー』は旧ビクター、チック・コリア『ソロ・インプロヴィゼーション』は旧ポリドールなどのように代理店経由で単発契約をした各社が自社のレーベルを使って国内プレス盤を発売していた。このあたりの詳細についても上記「新版 ECMの真実」で詳述されている。
最後にECMの象徴的存在であるキース・ジャレットの近況についてひとこと。今年に入ってNPRやDownbeatのインタヴューが公開されたが、驚いたのは2月26日にYouTubeで公開された48分強に及ぶ動画インタヴューである。ミュージシャンでもあるRick Beatoがストレートに質問を投げかけ、真摯に答えるキースの左腕と手はベルトで身体に固定されている。Rickの要望に応えて右手1本でピアノを弾く。僕は幸いにも何度か聴く機会を共有できていたが動画で観る姿は感動的でさえあった。圧巻はRickがスマホで再生する全盛時のソロで弾く<Solar>。演奏が熱を帯びるに従ってキースの感情が高揚していくのが手にとるように分かる。微妙ながら頭を振り、小さく声を漏らす。我々であれば全盛時の演奏を聴かせるのは酷という判断が先に立つが、Rickは5分近い演奏を流し切った。このあたりの露出は顕子夫人の英断によるものらしく、彼女の勇気に拍手を送りたい。拙著「新版 ECMの真実」にも彼女の計らいで日本のファンへのメッセージを掲載することができたが、アイヒャーからのメッセージと並んで読者への心づくしのギフトとなった。写真は、顕子夫人から日本のファンに届けられたキースの近影である。降雪で停電になった部屋で、窓からの光と3台のランタンを使って読書中のキースが捉えられている。