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悠々自適 悠雅彦No. 203

悠々自適 Vol.63「ジャズとミャンマーの古典音楽の間で~マイク・ノックと高橋ゆり」

text by Masahiko Yuh 悠雅彦
photos by 高野秀行 (Hideyuki Takano) except * by 田村由美子 (Yumiko Tamura)/上智大学 ** by Courtesy of Yuri Takahashi

マイク・ノック(1940.9.27~)が前作に続いて音楽的に充実したオクテットによる掛け値なしに素晴らしい新作『Suite Sima』(FWM Records)を発表した。私は熟慮したすえ、この1作を2014年のベストCDの1枚(最も印象に残った1作)にあげた。
オーストラリアのジャズ・ワールドがヨーロッパのジャズの在り方とは距離を置き、一方で米国のジャズへの親近性を失うことなく歴史的な進化を経た達成の実りを継承しようとするミュージシャンたちの活動や愚直とも言える演奏の在り方に、以前(2000年11月1日から2週間)ワンガラッタ・ジャズ祭や、シドニー、メルボルンなどの代表的ライヴハウスを探訪した経験から私は好ましさと共感を抱いてきた。その中心的な存在として活動を推進している1人がマイク・ノックである。シドニーを拠点にオーストラリア・ジャズの推進力を担ってきたノックだが、生まれはニュージーランド。同国からバークリー音楽院で学ぶために渡米したのが1961年で、翌62年にはバークリーへ入学した渡辺貞夫とも親交を結んだ。彼が東京ジャズ祭のイベントに参加するため来日した2011年、ジャズ祭後の渡辺貞夫の音楽活動60周年記念ツアーで渡辺と何十年ぶりかの共演を果たしたのもその縁ゆえだった。
さて、ノックの名が一躍知れ渡ったのは、エディ・マーシャル(ds)、マイケル・ホワイト(vln)、ロン・マクルーア(b)の4者で1967年に結成したフォース・ウェイ(The Fourth Way)のデビュー・アルバムが、キャピトルから発売された69年のことだろう。エレクトリック・ジャズ・フュージョンの先駆けとなってサンフランシスコで活動の火蓋を切った彼らは、70年代初めにかけてウェザー・リポートとともにこの分野のパイオニアとして忘れがたい活躍をしるした。中でもノックのフェンダー・ローズ奏法やホワイトのアンプリファイド・ヴァイオリンの新しい響きが注目を浴び、第3作のモントルー・ジャズ祭でのライヴ盤は当時日本でも評判になった。
マイクが米国を去って、オーストラリアで活動するようになったのはフュージョン旋風が一段落した1985年。つまり、2015年はマイク・ノックにとって在豪30年という節目の年に当たる。ハービー・ハンコックと同年齢で、チック.コリア、マッコイ・タイナー、キース・ジャレット、スタンリー・カウエルらとも同世代のノックだが、彼らとは違った道を通って栄光の節目を迎えることになる。オーストラリア・ジャズ界でも屈指の敬愛と信望を集めている音楽家であるが、裏を返せば彼がいかにそうした人望や名誉にふさわしい豊かなヒューマニティの持主であるかを示しているといっても過言ではないはずだ。同国ジャズ界の数々の賞を初めとする栄誉を手にしている彼が、今後どんな試みをするかを注視しなければならないことは、冒頭で触れた新作によっても明らかだろう。
2010年に出版された半生記『Serious Fun~The Life and Music of Mike Nock』(ノーマン・ミーハン著/Victoria University Press刊)の最後の章立てには、「I Feel at Home Here :1985」とある。Here はむろんオーストラリアだろう。この国がどんなに居心地がいいか。彼がいかにオーストラリア国に溶け込んだ生活と活動を活きいきと享受しているかを表している章句だと思うし、微笑ましくも羨ましくも感じられる。ちなみに、この半生記にはバークリーでのエピソードのほかユセフ・ラティーフ、セシル・テイラー、ディオンヌ・ワーウィック、アート・ブレイキー、キース・ジャレット、ジョン・ハンディ、ゲイリー・バートン等々、彼が交流したグループやミュージシャンの話が次々に出てくるので、読み出すと目が離せない。たとえば、ノックがアート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズのピアニストだったことがあることを、私はこの本で初めて知った。それが何と、前任者だったあのキース・ジャレットがチャールス・ロイドのグループに参加することになり、お鉢がノックに回ってきた運命のいたずらだったとは。ちょっとした驚きだった。邦訳はないが、興味のある方には一読をお勧めしたい。

話は変わる。マイク・ノックのCDを送付してくれたのは高橋ゆりさんである。種を先に明かしてしまおう。実は、高橋ゆりさんとは現マイク・ノック夫人である。ノック夫妻とは私がオーストラリア・ジャズ界を視察した折りに懇意になった。その高橋さんから11月初めに送付されてきたメールを読んで驚いた。「マイクが12月初頭に日本へ来て演奏もします。それとは別に、私は仕事で一足先に11月17日に東京へ参ります。上智大学のお招きをいただき、2週間にわたって専門のミャンマー研究の発表と調査を行うためです。講演を3回行いますのでご案内します。ぜひお越し下さいませ」という文面だったからだ。
私が驚いた理由はほかでもない。私がシドニーでお会いしたといってもほんの数回、その後東京で2度ほどお目にかかったとはいえ、迂闊なことに高橋ゆりさんといえばシドニー大学で日本語を教えているということぐらいしか知らなかったし、彼女の個人的な仕事の領域に立ち入る野暮なことはしたくなかったからだ。その彼女がミャンマー研究の成果を大学での講演で披露するというのだ。彼女がミャンマー研究に長らく携わっていると知れば、驚くのは当たり前。ところで肝腎の、上智大学アジア文化研究所の主催で行われた高橋ゆりの講演や公開セミナーは、第1回の11月19日を皮切りに、22日、26日の都合3回、上智大学構内のレクチュア・スペースで行われた。

◯ 11月19日
ミャンマー(ビルマ)伝統音楽の魅力~サインワイン・アンサンブル:演奏と歌とダンスの織り成す世界
● 講演と歌:高橋ゆり(シドニー大学)/踊り:熊谷幸子&タンゾウ
◯ 同22日~公開セミナー(研究会)
ミャンマー(ビルマ)古典歌謡の特徴と現状――ビンチョウ作の仏教歌を中心に――
● 報告:高橋ゆり(シドニー大学)
コメンテイター: 井上さゆり(大阪大学)
◯ 同26日~公開セミナー(研究会)
ミャンマー(ビルマ)近代文学のなかの翻案小説~シュエウーダウン作「探偵サンシャー物語」~ホームズ、ミャンマーに登場!
● 報告:高橋ゆり(シドニー大学)

以上が高橋ゆり講演の全日程とラインアップ。事前にファックスで送られてきた19日講演の案内状には「ミャンマー古典歌謡の歌手として地道に活動を続ける高橋ゆり氏をシドニーから招き、伝統舞踊と歌のライヴを解説付きでお楽しみいただきます」とあり、そこでは彼女が歌手としても登場することがほのめかされている。私の最初の驚きはこの案内を一瞥したときだった。すなわち、高橋ゆりさんはミャンマーの古典歌謡を歌う歌手らしいこと。この一事だけでも私には想像外のこととて驚くに充分だったが、のみならず彼女はこれらミャンマー伝統音楽の研究者であり、かつミャンマーの歴史や古典文化(音楽や文学)について一家言を持つ専門家らしいことが、おぼろげながら分かったからだ。それらのことは19日の当日、夕刻に始まった彼女の講演と歌のステージで明らかになった。

彼女はまず、ミャンマー古典歌謡を演奏する最もベーシックで代表的な演奏形態であるサインワイン(Saing Waing)・アンサンブルの紹介から講演を開始した。ミャンマーは打楽器(太鼓)が大変豊かな国で、王朝時代に栄えた太鼓文化がこの国の伝統音楽の中核を形成しているのだという。サインワインはその中心的打楽器で、腰の高さに吊るした21個の筒(太鼓)を環状に配置し、円形の輪の中に入った奏者が吊るされたその筒(太鼓)を指と手のひらで叩いて音階(旋律)を発する。初めて見たせいもあるが、超人的な技術を要求される太鼓奏法と演奏に目をみはった。この太鼓の名手はミャンマーにしかいないそうで、高橋さんが映像で見せてくれた8人(基本構成)の現サインワイン・アンサンブルの伝統音楽が、どことなくバリ島のガムランをしのばせたりはするものの、周囲のアジア諸国の音楽とは異質なニュアンスの旋律とサウンドを強く印象づけた。サインワイン・アンサンブルの演奏する古典音楽は大半が歌であり、<12の喜び>や<輪廻>などの仏教歌や<家の亭主は芝居好き>といった世俗的な歌謡を含む6曲をすべて、何とカラフルな衣装をまとった高橋さんがサインワイン・アンサンブルのカラオケをバックに歌い通したのだから、驚いて当たり前だろう。これだけで彼女がミャンマー語に堪能であると分かって敬服したい気分に襲われた。えっ、これがマイク・ノック夫人? それも全曲そらで歌ったのだから、ダブルで驚いた。数曲ではインドネシアやインドをしのばせる伝統舞踊が入り、日本では滅多に見られないミャンマー祭りの雰囲気が会場をおおった。会場には在日ミャンマー人も数多く見え、彼女がアンコールで歌った「マンダレイの丘の木陰で」では数人のミャンマー婦人も2人のダンサーと一緒にステージで踊ったが、彼女たちの心は故国を思いやって感無量だったかもしれない。これら婦人たちは民政移管が実現する前の軍事政権時代に日本へ逃れてきたのだろう。高橋さんによれば、シドニーには世界でも名高い規模の大きなミャンマー・コミュニティがあり、その灯明祭で彼女は同地の伝統音楽アンサンブル「ローカナッツ」のメンバーとして公演に参加したという。恐らく高橋さんはきっとミャンマー人もびっくりするようなビルマ語を操ってこのコミュニティの人々との邂逅を楽しんだのに違いない。

ミャンマーといえば、映画『ビルマの竪琴』で辛うじて今日のミャンマーに思いを馳せる人が少なくないはずだ。もっとも、映画は2度にわたって制作されており、新旧とも監督は市川崑だった。私にとっては中井貴一や石坂浩二らが出演した新作より、安井昌二や三国連太郎らが演じた旧作の方が懐かしい。とりわけ音楽を担当した作曲家が伊福部昭だったと後で知って、旧作への親近感が倍加したような気がする。それはともかく上智大学のアジア文化研究所がこうした複雑で厄介な問題を避けて通ろうとせずに、真摯にアジアのさまざまな問題と向き合うことを忘れず、しかもアジアの風土や民衆の中から生まれた音楽(芸能)や文学にアプローチしようと地道に活動している在り方に敬意を表したいと思う。むろん問題がないわけではない。たとえば、民政移管がスムースに進んだミャンマーだが、ほどなく世界のさまざまな企業が安価な土地や労働力を狙って殺到するであろうことは、容易に想像される。現に国境を接するカンボジアが今日、海外企業の進出を受けて、結果として各地で土地の収奪が日常化し、多くの人々が住んでいた土地を追い出されたり、立ち退きに抗議する住民が弾圧に遭ったりしている憂慮すべき事態に陥りつつある状況に目を留めれば、ミャンマーがそうした危機を回避するだろうなどという楽観論には組しえない。そうした状況の中でよりいっそうの民主化に向けた努力が期待される所以である。
同国の民主化運動といえばアウンサンスーチーの名がクローズアップされるが、もう1人注目されている指導者がいる。かつての軍事政権時代に指導者として運動の先頭に立ち、民主化された国家の実現を訴えたが、89年に逮捕され、投獄されて20年の刑を宣告されたあげく、民政移管される2011年までの大半を牢獄で暮らした筋金入りの闘士、元学生リーダーのミンコーナイン氏である。高橋ゆりの講演会が一段落した5日に初来日(笹川平和財団の助成と外務省の後援で実現)したミンコーナイン氏は、アジア文化研究所の公開セミナーで「変わるビルマ、変わらないビルマ~市民の視線から」と題する講演をおこなった。支障がなければ、ぜひ参加したいと思っていた講演だったが、あいにく6日はマイク・ノックが急遽来日して披露する演奏会と重なってしまった。アウンサンスーチーとタッグを組んでミャンマーの民主化運動に生涯を捧げる覚悟でいるミンコーナインの講演とあれば、高橋ゆりさんも同じ思いに違いないと思って尋ねてみると、彼女は何のためらいもなく言葉を返した。「いや、私はマイクの音楽を愛していますから、講演には伺いません」。
返す言葉がなかった。

マイク・ノックの演奏会が行われる銀座のライヴハウス「No Bird」は急遽実現したマチネーのコンサートにもかかわらず、熱心なファンや関係者で盛況だった。トリオ編成による2部構成の演奏会で、来演すれば決まって共演する杉本智和(bass)と大村亘(drums)とのトリオ。ドラマーの大村はオーストラリア生まれ。司会をしたのがシドニー大学でマイクの教えを受けたピアニストのキムハクエイで、いわば2人はマイクの秘蔵っ子みたいなもの。すばらしいベーシストの杉本は現ハクエイ・トリオで大村とともにキムとコンビを組む。オープナーはガーシュウィンの『ポ-ギーとベス』の<Ain’t Necessary So>。肩ならしの感じだった演奏が1曲ごとに、エンジンが温まるかのごとく、みるみる熱く熱していく。1stセットは3曲目の<Song for the Children>から調子に乗った。2ndセットはどれも聴きごたえ充分で、まさに緩急自在のノリのよさを発揮した演奏となった。何度も組んで演奏している杉本も大村も、勝手が分かってからはシャープでパワフルなプレイでマイクを盛り立てた。2曲目の<Sweet Pumpkin>、決まって演奏する彼の作品<The Wind>などは当日の白眉とでもいいたい円熟味豊かな秀演。<Lollipop And Roses>からアンコールにこたえた<Embracing>まで、74歳とは思えない闊達なピアノ・パフォーマンスで熱心なファンの声援にこたえた。私のすぐ傍で熱心に耳を傾けながら熱い拍手を送っている高橋ゆりさんの姿はあたかも熱狂的なファンを思わせ、講演会でミャンマーの古典音楽を語ったり、ミャンマーの文学状況を解説したりする 彼女とは別人のようだった。まさにマイクの音楽をひたすら愛している彼の愛妻の素顔がそこにあった。
マイク・ノックの新作については冒頭でご紹介したが、詳しくは今回か、もしくは次回のCD評で改めて取り上げたいと思う。
一方、ノック夫人の高橋ゆりさんは、ミャンマー古典音楽の音楽家として念願のDVDを制作し、ミャンマー語字幕版を2012年3月に完成させた。彼女はミャンマー古典音楽マハーギータの音楽家としての誇りを持っており、「2011年に(ミャンマーの音楽家仲間と)自分たちが本当に演奏したい曲をやりたいねと話しているうちに、それなら文学者で音楽家のピョンチョウ(1878~1928)を顕彰する作品集をつくろうということになった」(11月22日の報告会の参考テキスト)結果、完成したのがこのDVDだという。この作品は演奏会のつど会場で実費頒布する形をとったが、そのささやかな販売だけで2ヶ月の間に600枚が売れるという好評を得たといい、その反響に応えて英訳字幕版DVDを完成させ、世界のミャンマー/アジア音楽ファンに向けて発表する緒に就いた。正確には『イェーナインリン&高橋ゆり/ピョンチョウに捧ぐ』と題された彼女にとってもファンにとっても待望のDVDだ。彼女によれば、ピョンチョウは「マハーギータ(タチンジーともいう)、ミャンマーの古典音楽を愛するものには忘れることのできない人物。古典歌曲の数々が現在にまで伝えられているのも、文学者であった彼が古文書を調査して1冊の『古典歌曲集大成』(1924年)にまとめたことが関係している」(頒布テキストより)という偉大な先駆者である。
ピョンチョウや、セイン・ベーダー(1882~1942)、セイン・ボウティン(1938~1994)らの跡を継いでミャンマーの古典歌曲を今日に伝えている音楽家がイェーナインリンであり、彼も現在自身のサインワイン楽団を率いて活動を続けている、現代ミャンマーを代表する優れた音楽家だ。高橋ゆりさんにとってもイェーナインリンは同僚であると同時に優れた先輩であるのだろう。彼女によれば、「文学と音楽のコンビネーションである芸術 ”マハーギータ” は、古来より大量の歌詞が書き直しを伴いながら保存される一方、音楽面は師匠から弟子への耳による伝授だった。そのため1曲が複数の演奏のされ方/歌い方をされることも珍しくない。他方、マハーギータ音楽家の編曲やアドリブによってさまざまな演奏がなされる自由な世界でもある」(同テキスト)。
東京では11月、国際舞台芸術祭「フェスティバル/トーキョー(F/T)」が行われ、アジア全域から公募した若手による自主上演が話題になった。毎回アジアの1カ国を選んで特集するシリーズでは今年の韓国(多元芸術)に続き、明年の2015年はミャンマーの映像と観客参加の作品集がクローズアップされることになっている。モ・サ構成・演出による『彼は言った/彼女は言った』が大きな注目を集めることになるだろうが、それに先立ってすでにアサヒ・アートスクエアで上演されたこの試みが改めてスポットライトを浴びることになり、来年はこの日本で新たにミャンマー文化への関心が喚起されるのではないかと予想する。高橋ゆりさんのDVDがその先導役を務めることになれば、こんな嬉しいことはない。ピョンチョウやセインボウティンら巨匠や、ティンイェーナインリンが生まれたエーヤーワディ・デルタの町チャイラッで苦労して撮影されたこのDVDで、ひとつ皆さんもピョンチョウの優れた仏教歌をぜひ味わっていただきたい。

関連リンク:
FbF#958『イェーナインリン&高橋ゆり/ピョンチョウに捧ぐ』text by 高橋ゆり
https://jazztokyo.org/reviews/cd-dvd-review/post-31459/

FbF#1166『Mike Nock Octet/Suite Sima』text by 悠雅彦
https://jazztokyo.org/features/my-pick/post-49323/ ‎

*初出:2014年12月 (JazzTokyo #203)

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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