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悠々自適 悠雅彦No. 270

悠々自適 #95 田村夏樹と藤井郷子のデュオCD『PENTAS』について

text by Masahiko Yuh 悠雅彦

『田村夏樹|藤井郷子デュオ/PENTAS』
Not Two Record (Poland) MW999–2

田村夏樹 (trumpet)
藤井郷子 (piano)

1.    Not  Together (藤井郷子)
2.    Pentas (田村夏樹)
3.    Wind  Chili (藤井郷子)
4.    Itsmo  Itsmo (田村夏樹)
5.    Stillness (田村夏樹)
6.    Rising (藤井郷子)
7.    Renovation (田村夏樹)
8.    Circle (藤井郷子)

Recorded at dts Studio by Rafał Drewniany, Novemver 19, 2019
Mixed by Rafał Drewniany, Novemver 26, 2019
Mastered by Rafał Drewniany, December 19, 2019
Produced by Marek Winiarski for Not Two Records


田村夏樹と藤井郷子のデュエット演奏にはこれまでも一度として裏切られたことはない。といって大絶賛したこともない私がわざわざ文頭に書くのだから、この新作にはよほどの感興をおぼえたからに違いないと思っていただきたい。
CDに寄稿した田村の一文から借りれば、この夫婦デュエット演奏盤はこの新作が7枚目に当たるそうだが、これまでどの1枚も欠かさず聴いてきた私が、過去に一度として経験したことのない奇妙なとしか言いようがない戦慄を覚えるくらい、かろうじて最後まで聴き終えたあと、なぜかしばらく考えこんでしまったのも、彼らの語る物語が飛び切り面白かったというよりは彼らの語り口から極く自然に漏れ出てきた思い、演奏や表現を超えて訴えてくる彼らの音楽の底から溢れでてくる声、その声の奥底に潜む情緒の渦のようなものが当方の想像を超えてあまりにも深く、しかも強烈だったからに違いない。彼らのデュエット演奏には過去の6枚のアルバムはおろかステージでの演奏も含めたら、恐らくは数え切れないほどといいたいくらい聴いてきたと言ってもいい私がこんな言い方をすると夫妻から思いきり揶揄されそうだが、それくらいこの夫婦デュエットには特別な感興を禁じ得なかった。
ある意味で不可思議なその感触がこのアルバムをいっそう印象深いものにしたことは恐らく間違いない。両者の演奏ではむしろ常だった柔らかな風のような語り口が、ここではむしろ二人の詩人が口もとを決して緩めることなく、その上いつもは自然とこぼれるような笑みも屈託のない冗談もなく、真剣な眼差しでその瞬間に最もふさわしい音を発しながら対峙しあっているのだ。田村と藤井夫妻がこんな真剣味で演奏しあったことがかつてなかったとは決して思わないが、ときに雪崩のように襲いかかる藤井郷子の、こんな奔放で遠慮がないとさえ言いたくなる闊達極まりない奏法は、記憶をいくらたぐっても思い出せない。それほどここでの彼女の演奏の激越さや変化に富んだ奏法の多彩さには驚くと同時に、かくも彼女の演奏表現に触れて脳内を洗われたような新鮮さを体験したのは、私には初めてだったような気がする。それだけにと言うべきか、冷静で沈着な田村夏樹との対比が実に際立って素晴らしく、それが田村夏樹&藤井郷子という異色デュオの存在価値はおろか、世界でこの田村=藤井が生み出す音楽を高く評価する声が高まりつつある背景となっていることを、恥ずかしながら初めて実感したことをここに吐露したい。
このデュオ演奏については、CDジャケットに田村夏樹が書いている。アルバム・タイトルの「Pentas」は田村本人が作曲して2曲めで演奏しているオリジナル作品だが、この作品中私が秀演と太鼓判を押した演奏に貫かれた1曲で、演奏自体も本作品中の白眉といっていいものだった。日本のジャズ・ファンにはにわかには信じ難いかもしれないが、この田村夏樹=藤井郷子の演奏と音楽を愛し、熱心に応援する熱狂的ファンが世界中に大勢いることは余り知られていない。その、まさにその一人が、ニューヨークでコンサートを主宰し、田村=藤井のような個性的音楽家を熱心に応援しているエリック・スターンという人だったということだ。この人がいかに田村、藤井のような音楽家を応援しているかは、過去に一度も会っていない二人をみずからが主宰しているコンサートに招待した一事で明らかだろう。しかも二人にとってはレコーディング後初のコンサート出演だった。そのデュオ・コンサートが行われたのはニューヨークのブラック・ボックス劇場(Black Box Theater)で、二人はそこで初めてエリック・スターン&クリス夫妻と初めて顔を合わせたのだ。
思わぬことが突然起こったのはコンサート終了後のことだったらしい。田村はCDのノーツにこう書いている。「会場で初めて会ったエリックは体調があまり良くなく、歩くのも杖をついて大変そうだった。奥さんのクリスがほとんどを切り盛りしていた」。
「翌日ニューヨークのJFK空港で、主催者エリック夫妻を紹介してくれた友人にお礼のメールをしたところ、昨夜のコンサート終了後タクシーで帰宅したエリックが倒れ、亡くなったことを知らされた」。この秀作がエリック&クリスというスターン夫妻に捧げられたことにはこうした事情が背景にある。事実を知らされた田村、藤井がいかに大きな衝撃と落胆を味わったかは改めて言うまでもない。人生では何が起こるか分からないとはよく言ったものだ。それにしても、過去に一度も交歓しあったことがない田村夏樹=藤井郷デュオを、想像するに送られてきたCDを一聴しただけでコンサートに招き、公演を実施を決定したエリック・スターンというプロデューサーの鋭い勘と決断力には驚くほかはない(むしろ仰天した、と書き換えたいくらいだ)。
この『Pentas』という二人の新作に収録された8曲は、どれを抜き出しても感銘を誘わずにはおかない演奏で、何より二人の新鮮にしてイマジネイティヴな音楽を生み出す能力には、単なる驚きを超えた強烈な感動を覚えたことを付記しておきたい。いつも以上に二人の息の合った展開が、ときに迫真的なスリルを生む「Wind Chili」。ここでも藤井の演奏は冴えに冴え、刺激を受けた田村の意気込みがその演奏のアイディアに直結する。次の ItsumoItsumo 」でも、いつも以上に真剣勝負の快と怪の生むスリルがなんと刺激的なことか。ここでも藤井の演奏が冴え渡る。静寂を縫うような「Stillness」を経て「Rising」でのハープシコードを思わせる藤井の演奏が面白い。ここでも田村は負けじと息高らかに歌い、変化に富む瞬間の美を生み出す藤井とのコンビネーションの妙が何とも印象深区心を捉えて放さない。「Renovation 」を経て最後の「Circle」へ。一点の曇りのない田村のトランペットによる単独ソロ。じっと聴き入っていた藤井がやおらみずからのソロで虚空を縫うような音を紡ぎ出し、最後のエンディング・テーマの合奏へ入ってアルバムを閉じる。
アルバムには小さく<Tribute to Eric and  Chris Stern>の刷り込みがある。黄泉の世界で静かに微笑んでいるエリック・スターンと、彼に優しく手を振るクリス、それに応えるかのような田村夏樹、藤井郷子 の静かな演奏で幕が下りる。(2020.9.15記)

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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