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Monthly EditorialEinen Moment bitte! 横井一江No. 292

#33 ザキール・フセイン、京都賞受賞発表に寄せて

少し前になるが、6月17日に稲盛財団が「科学や文明の発展、また人類の精神的深化・高揚に著しく貢献した方々」に贈る京都賞(→リンク)の今年度(第37回)受賞者を発表、思想・芸術部門は音楽でザキール・フセイン*が選ばれた。高松宮殿下記念世界文化賞では1997年にラヴィ・シャンカールが受賞しているが、京都賞では西洋クラシック/現代音楽およびジャズ以外の音楽家が受賞するのは初めてである。受賞理由は「インドの伝統打楽器タブラーの新たな音楽的可能性を切り開いた革新的創造力に富む芸術家」であり、「ヒンドゥスターニー音楽を代表するタブラー奏者であり、インド伝統音楽の枠組みを超えて世界中のさまざまなジャンルの音楽家と共演して新しい音楽世界を切り開いた。超絶技巧、魅力的なパフォーマンス、そして豊かな創造性により、世界の音楽家たちに絶大なインパクトを与えている」**ことが評価された。

ザキール・フセインは、ラヴィ・シャンカールの伴奏者としても知られるタブラ奏者ウスタッド・アラ・ラカ・カーンの息子で、12歳でプロとしての音楽活動を始めている。70年代にはロックやジャズのミュージシャンとのコラボレーションも行うようになった。中でもジョン・マクラフリンとの出会いは大きく、彼とシャンカールらと結成したシャクティでの活動で広く知られるようになったと言っていい。そして、1986年に彼名義のアルバム『Making Music』(ECM) をシャクティにも参加していたバンスリ(インドの竹笛)奏者ハリプラサード・チャウラシア、ジョン・マクラフリン、ヤン・カルバレクと録音、ハイブリッドなサウンドを表出させた作品を発表している。

その後も多方面で多彩な音楽活動してきたフセインだが、今世紀に入ってからのジャズ・ミュージシャンとの活動では、ビリー・ヒギンズ追悼企画としてスタートしたチャールス・ロイドのトリオが印象深い。ベルリン・ジャズ祭のプログラムでこのバンドを知ったのだが、ロイド、フセインの他にエリック・ハーランドというメンバー構成に不意をつかれたことを思い出す。そのバンドのライヴ盤『Samgam』(ECM、2004年) ではのっけからフセインの超絶技巧に圧倒され、タブラの演奏に乗るようなロイドのサックスのうねりが印象的だった。最近のプロジェクトでは、約3年前にリリースされたデイヴ・ホランド、クリス・ポッターとの『Good Hope』(Edition Records) がある。変拍子なのにグルーヴするこの3人の相性の良さに、以前ヒロ・ホンシュクが楽曲解説で「ホランドの音楽は、変拍子をいかに変拍子に聞こえないようにグルーヴするかに焦点が置かれている」(→リンク)と記していた。3人共テクニック的には凄いことをやっている筈なのに事も無げに演っているように、そして心地よく聴けてしまうところが巧者たる所以か。そのさりげなさにイマジネーションの深さと表現の豊かさを寧ろ感じたのだ。他にジャズ界との繋がりでは、2017年にSFジャズ生涯功労賞を受賞している。

彼のような伝統音楽をバックグラウンドに持ち、多方面にわたって活動している音楽家の場合、評者の立ち位置によって異なった評価になるに違いない。ファンも然り。2005年「リメンバー・シャクティ」で来日した際、その情報を知った長年日本に住んでいるインド人に「ジョン・マクラフリンって知ってる?」と聞かれた。「彼は…」と蘊蓄を少しばかり披露したが、果たしてどのくらい伝わったのだろうか。コンサート後いかにその演奏に感銘を受けたか、即興演奏が素晴らしかったと熱く語り始める。彼にとっての主役はフセインだったのだろう。そして「ギターも素晴らしかった。名前はなんて言ったけ」と聞かれて苦笑する羽目に。2008年に汎インド打楽器プロジェクト「マスターズ・オブ・パーカッション」を率いて来日した時は、客席を見回して、東京にこんなにインド人が住んでいたのかと、インド人比率の高さに驚かされた。果たしてインドの伝統音楽界では彼のような音楽ジャンルを超えて世界的に活動する生き方をどう捉えているのか知りたいとふと思ったのである。

ザキール・フセインの音楽性の根底にあるのは、やはりインド的な発想なのではないか。ロレックスによる音楽。建築、舞踊、文学、音楽、映画、舞台芸術、視覚芸術の各分野の第一人者(「メントー」=指導者)が若手アーティスト(「プロトジェ」=生徒)と交流する機会を提供するプログラム「ロレックス メントー&プロトジェ アート・イニシアチヴ」2018 – 2019年度の音楽分野で、フセインがメントー、マーカス・ギルモアがプロトジェとして参加した。その際のインタビュー(→リンク)で フセインはこう語っている。

インドでは導師は教えないと言われます。知識を引き出すのは生徒なのです。これは、生徒が指導者に刺激を与え、知識を共有できるようになりたいという指導者の欲求が導き出されたときに起こります。逆に、指導者は突如として知識を伝達できる方法がわかるようになるのです。

ここにインタラクティブなコミュニケーションのひとつのあり方が見える。フセインがこれまでに参加した異なるジャンルの音楽家のとのプロジェクトや録音が、単なるオリエンタル趣味を超えた作品になったのは、フセインの共演者への対し方が、生徒であり導師であった、あるいは導師であり生徒であったからではないのか。彼の創造性はこのようなところから、インドのフィロソフィーから導かれているように思う。今日では伝統音楽の演奏家がそこに留まらずに活躍するようになったが、ザキール・フセインはその音楽的な生き方の先鞭をつけた一人であり、大きな足跡を残した音楽家なのだ。

 

注:
* Zakir Hussainのカタカナ表記は、京都賞公式サイトではザーキル・フセインであるが、ザキール・フセインという表記が一般的なのでザキールと表記した。
** https://www.kyotoprize.org/laureates/zakir_hussain/


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横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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