10/15~『ジャズ・ロフト』(原題: The Jazz Loft According to W. Eugene Smith)公開

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Self-portrait, W. Eugene Smith, ©1959 The Heirs of W. Eugene Smith.

従軍カメラマンとして太平洋戦争を撮影、その後『ライフ』誌のフォト・エッセイで名声を得た写真家ユージン・スミス。70年代には水俣を訪れ、世界に水俣病の実態を伝えた写真集『MINAMATA』を発表している。それを題材としたジョニー・デップ主演・プロデュースの映画『MINAMATA ーミナマター』(→公式サイト)が現在各地で上映中だが、10月15日より彼がニューヨーク、マンハッタンのロフトに住んでいた頃に撮影したジャズ・ミュージシャンなどの写真や録音、そして当時を知るミュージシャンなどの証言で構成された映画『ジャズ・ロフト The Jazz Loft According to W. Eugene Smith』(監督:サラ・フィシュコ、2015年)が公開される(→公式サイト)。

1957年、ニューヨーク郊外に住んでいたユージン・スミスは、家族と別れ、6番街821番地のロフトに一人で移り住む。そこは画家デイヴィッド・X・ヤングが1954年から借りている古いビルだった。ヤングは、ビルの家賃を捻出するために一部を作曲家・ピアニストのホール・オーヴァートンやトランペッター・ピアニスト・作編曲家のディック・キャリーらに又貸し、彼らは練習場所として使うためにピアノを運び込んだ。その結果、自由に音を出せるリハーサルの場を求めていたミュージシャンが有名無名を問わず数多く出入りするようになり、中には住み着く者もいて、毎日のようにセッションが行われる「ジャズ・ロフト」として知られるようになった。スミスはそこに暗室とスタジオを作り、窓から街を眺め、その風景や人々の暮らしばかりではなく、「ジャズ・ロフト」の様子をカメラに収めるようになる。それだけではなく、ケーブルを張り巡らせてマイクを設置し、自室のテープレコーダーにセッションの様子や会話、またラジオや通話も録音し始めた。1964年にデイヴィッド・X・ヤングがロフトを去ってからは、ジャズを巡る時代の変化もあり、ジャム・セッションも尻窄みになるが、彼が引っ越してきてからそれまでの間に撮影したフイルムや録音したテープは膨大な数になる。それらからセレクトされた写真と録音、当時を知るカーラ・ブレイ、スティーヴ・スワローなどのミュージシャンや評論家へのインタビューで浮かび上がる「ジャズ・ロフト」には当時のジャズ・ミュージシャンのリアルがあった。

セロニアス・モンクとホール・オーヴァートン
Photo by W. Eugene Smith, 1959 © The Heirs
of W. Eugene Smith.

とりわけ貴重なのは、ホール・オーヴァートンがアレンジしたセロニアス・モンクのタウンホール・コンサート(*)に向けた準備とリハーサルを、モンクとオーヴァートンの会話も含めた録音に写真を重ね、フィル・ウッズやロバート・ノーザン(ブラザー・アー)へのインタビューも交えて構成したパートだ。ここではオーヴァートンによる<リトル・ルーティ・トゥーティ>のアレンジの秘密が明かされる。
(*後に『The Thelonious Monk Orchestra at Town Hall』(Riverside, 1959) としてリリース)

この映画は単なるジャズ・ドキュメンタリーではなく、「ジャズ・ロフト」での撮影・録音を通して、そしてまた当時のアシスタント、彼を知る写真関係者、息子などの証言から、ユージン・スミスのそれまでの経歴、多くの時間を費やした暗室作業や写真家としての芸術性へのこだわりやスタンス、また生身の人間としての実像にも迫るドキュメンタリーと言っていい。

10 月 15 日(金)より Bunkamura ル・シネマ他全国順次公開
(詳しくは公式サイトをご覧ください)
公式サイト : https://jazzloft-movie.jp/
配給 : マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム

 

【関連記事】
#01 ユージン・スミスと「ジャズ・ロフト」、そしてモンク
https://jazztokyo.org/issue-number/no-225/post-11306/

 

1959年セロニアス・モンク・タウン・ホール・コンサートのためのリハーサル
©1999,2015 The Heirs of W. Eugene Smith.

 

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