Books #106「トミー・リピューマのバラード」
text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
タイトル:トミー・リピューマのバラード〜ジャズの粋を極めたプロデューサーの物語
著 者:ベン・シドラン
訳 者:吉成伸幸/アンジェロ
編 集:池上信次
初 版:2021年4月18日
定 価:本体2,800円+税
判 型:四六版 416ページ
版 元:株式会社シンコーミュージック・エンタテイメント
腰巻きコピー:
ジャズやポップスの名伯楽の波乱万丈な人生をアーティスト=ベン・シドランが綴る
https://www.shinko-music.co.jp/item/pid0650182/
最近、というか、音楽書を読み始めて以来、これほどページをめくる手がもどかしいと思ったことはなかった。村上春樹のタスキの推薦文「とにかく一度読み出すとやめられない」(かっぱえびせんのコピーのような)を半信半疑で見ていたのだが、文字通り一気に読み切ってしまった。
トミー・リピューマ(訳者によると正確な発音はリプーマ)の波乱万丈の生涯を親友として時間を共有するなかで(多くはトミーの好きなワインのグラスを傾けながら)本人の口から語られる様々なエピソードを歌手で著作家でもあるベン・シドランが書き綴ったオーラル・バイオグラフィーである。ベンは、「トミーの生涯は僕が歌うべきバラードだ」と記しているが、それにしてもドラマチックなバラードではある。
トミーは名前から察せられる通り、イタリア(しかもマフィアで名高いシシリー)からの移民2世。靴磨きのアルバイトから何度かの床屋稼業(日本にもふたり理髪師から有力ジャズ・プロモーターに転身した先輩がいた)、ラジオDJへのシングル盤の売り込みをかけるプロモーション・マンを経て、念願のレコード・プロデューサーに。プロデューサーとしてのサクセス・ストーリーは華やかだが、当時の業界の徒花のようなドラッグの耽溺も実名を挙げて赤裸々に語られる。トミーは生涯で8000万枚のレコード・セールスを記録しているが、成功の鍵のひとつとして「ジャズ」がある。自身はローカルバンドでジャズ・サックスを吹いていたジャズ・ピープルで、ビジネスとしてはポップスやR&Bを扱いながらもジャズ志向を堅持していたことがジョージ・ベンソンの『ブリージン』につながる。『ブリージン』の800万枚、近年のダイアナ・クラールの600万枚という数字を目にすると彼我のマーケットの差に目がくらむ。ぼくもトリオレコードというインディで制作マンを経験しているが、ジャズの最大のヒットはキース・ジャレットの『ケルン・コンサート』の25万枚だった(二枚組だったからディスクで勘定すると50万枚にはなるが)。これとて、ジャズ・ファンだけでなく、クラシック・ファンから大きく音楽ファンを巻き込んでの数字である。原盤は独ECMで、ぼくの立場はA&Rに過ぎない。
トミーは印税収入でコンテンポラリー・アート(現代絵画)を買い漁ったが、ペインティングで才能を開花させつつあったマイルス・デイヴィスと話が合い、やがてマイルスのアルバム・プロデュースにつながる。芸は身を助く、といったところだろうか。
ぼくのように音楽制作に身を置いたものには接点が多く、思わず身を乗り出すシーンが何度もあったが、一般の音楽ファンにも業界のインサイド・ストーリーは興味津々だろう。ひと昔前の話のようにみえるが、彼が最後に手掛けたダイアナ・クラールは現役最高のジャズ・ヴォーカリストとしていまだ人気絶頂にある。(本誌編集長)