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BooksNo. 317

#134 『小沼純一/リフレクションズ』

text by Shuhei Hosokawa  細川周平

小沼純一とは80年代半ば、近い興味の音楽評論家として交友は始まり、発見の多い、読ませる著作に敬意を表してきた。偶然ライブやショップで出会っては「どうしてる?」的な二言三言を交わしてきた。これは彼がジャズ・アルバムを肴に、聴いた当時を振り返る半自伝的な切り貼りスナップショット集で、アーティストや録音の順でも回想の年代順でもなく、主題と変奏と混乱と逆転と結末をうまくつけて一冊の作品としている。名盤珍盤紹介の情熱や知識整理の一冊ではなく、アルバムを触媒に昔の経験と感情を今日の想像を広げながら引っ張り出す。自由構成の詩集のようなつくりで、80年代中頃で話は終わる。本格派なジャズ好きというのにまず驚いた。長いつきあいのなかで話題にならなかった。実は二年前、ジャズ喫茶絡みの戯曲を書いたのも知らなかった。まずタイトルがうまい。反映、反響、反省、反芻。

冒頭はタイトル・アルバム、スティーヴ・レイシーの吉祥寺マンダラでのライブ盤『リフレクションズ』。発売元コジマ録音が邦人現代作曲家を応援していたのに、ある時期感化を受けたと語り、レイシー経由でモンク発見に話題は広がり、武満徹、早坂紗知まで連想が向かう。評論というより思い出語りで連想が次々湧いてくる。レイシーはぼくが同じ頃、生まれて初めて口を利いたジャズ奏者で、音楽も人間も別格の存在だったので、この書き出しはぐっとくる。タイトル曲の作曲者セロニアス・モンクは、続く『モンクス・ミュージック』で登場する。御大が妙なクルマに座っているジャケは誰でも知っている。これもオチはセロニアスとメレディス・モンクを勘違いした作曲家の話で、モンクばかりを聴いたあれこれが展開されている。聴き込んでいたというモンクのリヴァーサイド全集をぼくも相当聴いていたのに、二人の話題にはならなかった。惜しい事をした。

この二枚で主題、つまりタイトルの説明をつけた後は変奏に入り、最後はモダンジャズの王道、『ブルースエット』『クール・ストラッティン』『サクソフォン・コロッサス』で締める。しかし小沼はあまりに三作がお決まりのジャズすぎると距離を取る。あの頃ジャズ喫茶で聴くにはよかったが、家で今聴くもんではない、と。三者弱みをつく。十代で彼は作曲を学んでいたので、分析的に理由づけられる。この定盤トリオにジャズ万歳を代弁させないところが彼らしく、それまでのスナップショットが別に読めてくる。あとがき(「バックトラックは」)が、よくあるジャズ人生謳歌エッセイに終わらせない文の構えを自註している。

54章55枚のうちタイトルを覚えているのは40枚弱、残りは人名から想像がつくだけ。まずは似たようなジャズ歴だろう。共感深く読めたのはジャズを知った1970年前後の盤で、渡辺貞夫の『Paysages』など当時は日本のジャズ勃興といってFMでかかっていたのを何十年かぶりに思い出した。吹きまくりのビバップやモダンではなく、増尾好秋のギターが絶妙にソプラニーノに交わるなごみサウンドに惹かれた。小沼はラジオ番組「ナベサダとジャズ」や「マイ・ディア・ライフ」のスポンサー資生堂の話題を振り、「時代の空気」と呼ぶ。ぼくは早熟な中学生のつもりでその空気を吸っていたが、小沼は過激におませな3学年下、小学生のうちに大学生の空気を吸っていた。たぶん思春期を飛ばして大人になった。

同じ頃「日本的ジャズ」が話題だった。そのなかから水野修孝、富樫雅彦、ニューハード+佐藤允彦が選ばれている。タイトルを言われて何十年ぶりに思い出す。それぞれのレーベル名が同時に蘇る。それが通人に至る道とどこかで覚えた。新しい試みはその後展開したりしなかったりだが、「日本的」がジャズ界のキーワードだった記憶を共有する。そのなかの一枚、小沼が吉増剛造の参加に興味を持った沖至『幻想ノート』は、聴く機会なく今に至る(法政大学でライブを見た記憶がある)。この詩人とは後に知り合ったが、それは話題にならなかった。

当時中学生の著者は敏子=タバキン・オーケストラの『ロング・イエロー・ロード』に、先の国内前衛派とは別の日本趣味を聴き、それが戦時中の満州暮らしにつながり、武満徹と共通すると持論を述べる。ぼくは当時、敏子をハリウッドの二世女優のようにわざとらしいと見て聴いていて、彼女の真価を発見するのは80年代になってからだった。エリントンは『極東組曲』が選ばれている。小学生時代、来日の際にテレビ出演したのを細かく描写している。武満が彼を崇拝しているのを後に読んだそうだ。きっちり自分の尺度で聴き直し、エリントン晩年の旅行譚アルバムを解釈する。ぼくはその日本風が気に入らず、アメリカ人によるジャズ史に寄り添い、ビッグバンド時代しか評価していない。

小沼はピアノを弾くので、70年代前半、ダラー・ブランド(アブドゥラ・イブラヒム)、チック、キース、セシルらが次々ソロ・アルバムを発表し、4ビートのフォーマットを崩し、ピアノの性能を思い切り発揮したことをからだで覚えている。作品の印象よりも楽器に話題が向かう。ぼくらはキースのローザンヌ・コンサートで、楽器が別の次元に達したと別々に確信していた。セシルでは1973年初来日公演『アキサキラ』が選ばれている。ぼくはこの時の公演で、音楽人生をひっくり返すような衝撃を受けた。第二部でマエストロはピアノを弾かず、踊ってばかりいた。もうジャズではないアフロアメリカな何かのはずだった。小沼はセシルと同い年の父親を思い出す。ジャズから離れるが、人生では意味深い。

マイルスからは2年後の大阪公演『パンゲア』が選ばれている。ぼくはこの時の東京公演で訳も分からない昂奮に達し、FM中継をエアチェックし、ステレオのヘッドフォンを最大音量にして聴いていた。しかしある時、聴き尽したと思えてエレクトリック・マイルスには興味を失い、聴くのはもっぱらプレスティッジから『ジャック・ジョンソン』までで収まった。小沼はだいぶ違って『パンゲア』がトラウマとなって、マイルス全般を敬遠していたという。いつものファン・サークルの外にいる。その醒めぶりは熱の披露を競うような類書にはない。今は古典マイルスをどう聴くのか知りたいが、それでどうした、ソー・ホワット?

同じ時期の売れ筋路線からはリターン・トゥー・フォーエヴァー、ウェザー・リポート、クインシー・ジョーンズが語られている。RTFは有名な「カモメ」ではなく2枚目、WRもデビュー盤ではなく2枚組ライブから、新しいサウンドのつくりを精密に論じ、プロになろうとしていた浪人時代を思い出す。クインシーとは中学の学園祭でバンド演奏したテレビ番組「鬼刑事アイアンサイド」のテーマが初対面だったという。ぼくもその番組は見ていて、ここで選ばれたアルバム『スマック・ウォーター・ジャック』の編曲は大好きだったが、合奏なんて思いもつかない。音楽的に相当先を行く別世界で著者は大きくなっていた(大学ビッグバンドでピアノを弾いていたことをベイシーから思い出す)。

MJQの『ラスト・コンサート』は聴いた当初、いつもA面途中で止めて最後まで聴けなかったのだそうだ。今ではその先が素晴らしいと思うのになぜだったのだろうと考察を進めると、ピアノとヴァイブのコンビがガムラン的で、武満的ライヒ的なんだとぴんと来る。クラシックの四重奏を意識しながらジャズっているのがカルテットの個性と思い、ミュージシャン抜きの空虚な舞台写真から、著者は自分が仕事する壮年期を終えて、終末期にいるのを思い起こす。オビに音楽が生まれて消えるのは人生と変わらないとあるのと対応している。くどい言いっぷりだが、ぼくには『ピラミッド』が最初に買ったジャズ盤で、他のコンボと違う思い入れがあり、この断章には感じるところが多かった。

友人の一人語りに誘われて、自分の思い出をさらす恰好となった(今ならツイートっていうのかも)。書評として反則だが、うっかり乗せられた。ある時期にジャズの外に関心は向かい、一部のアルバムについては、呼び起こされる彼の半生ばかりが面白く読めた。じゃ、なしでいいの。ウェル・ユー・ニードント(不笑)。

細川周平

細川周平 Shuhei Hosokawa 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は音楽、日系ブラジル文化。主著に『遠きにありてつくるもの』(みすず書房、2009年度読売文学賞受賞)、『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店、第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞)。編著に『ニュー・ジャズ・スタディーズ-ジャズ研究の新たな領域へ』(アルテスパブリッシング)、『民謡からみた世界音楽 -うたの地脈を探る』( ミネルヴァ書房)、『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング)など。令和2年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

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