#53 時代の中で音楽を伝えた言葉と写真〜『超ジャズ 杉田誠一 著作・写真集』を読んで
text by Kazue Yokoi 横井一江
昨年9月に亡くなった杉田誠一が書いた文章と写真が一冊の本に纏められ、『超ジャズ 杉田誠一著作・写真集』と題して刊行された。
目次に続くページにあった一枚の写真に目が止まった。そこには牧杏子、間章、吉沢元治、高木元輝、杉田誠一が写っている。撮影者は朝倉俊博、杉田にとっては写真の師匠といえる写真家だ。この写真とそれに纏わる話をどこかで見た記憶がある。JazzTokyo旧サイトの杉田のフォトエッセイを辿っていくとそれはあった(→リンク)。それによると撮影されたのは1969年夏、場所は羽田。杉田のある意味原点を捉えた写真ともいえる。なぜなら、彼は1969年5月に雑誌『ジャズ』を創刊しているからだ。間章は『ジャズ』の寄稿者のひとりだった。ジャズ・シーンを撮り始めたのもこの年、そして、『アサヒグラフ』の取材でアメリカに行ったのはこの直後だったようだ。この頃、既に日本のGNP(国民総生産)は世界第2位となっていたが、当時はまだ1ドルは360円の固定相場制で、1964年に海外旅行は自由化されていたものの高額なこともあって、海外に行くのは一般庶民にとってはまだまだ高嶺の花だった時代である。渡航費を出してもらっての取材という謂わば幸運を引き寄せたのは、杉田の熱いジャズ衝動があったからだと私は思う。
この本には1967年から1976年まで、杉田が22歳から31歳の間に書いた文章と撮影した写真が収録されている。若かったのは杉田だけではない、彼が主として取り上げているフリージャズもまだ若かった。杉田が最初に文章を書いたのは同人誌『OUR JAZZ』で、銀座にあったジャズ喫茶オレオの常連によって創刊され、同人には後にジャズ評論家となる副島輝人や佐藤秀樹もいた。オレオのママは後に『ジャズ批評』を創刊した松坂比呂である。杉田の著作を纏めた『ぼくのジャズ感情旅行 ニューオリンズからヨーロッパまで』(荒地出版社、1977年)は手元にあるが、『OUR JAZZ』への寄稿文は読んだことがなかった。おそらく2回目の寄稿文だろう「ジャズ・ジャーナリズムは不毛だ!!」とくる。その2年後に『ジャズ』を創刊するに至ったことに納得した。
イントロダクションとして置かれた「われわれにとってジャズとは何なのか」は一種の宣言文と言っていい。こういうところに時代性を感じるし、後の間章による言説にも繋がるものを感じる。本のタイトル「超ジャズ」は『ジャズ』創刊号に書かれた「超ジャズ論手稿──あるいは高木元輝トリオと〝性遊戯〟に熱いキッスを」から取ったのだろう。この文章では当時のジャズをめぐる言論空間に対する杉田の立ち位置がよく表れている。高木や富樫雅彦などに言及しているが、音楽にフォーカスしているのではなく情況をも捉えている。その主観的な語り口に60年代後半の時代性が表れていて、今読むととても興味深い。
クロノジカルに文章が並べられているが、やはり杉田の本領が発揮されているのは『アサヒグラフ』などに書いたルポルタージュだろう。杉田の眼差しはブラック・ミュージックとしてのジャズに向けられている。ビビッドな言葉から、ニューオリンズ、ニューヨークやシカゴのジャズを取り巻く現実、それが状況描写の中から立ち上がってきた。杉田は一歩引いた場所からジャズを捉えるのではなく、現場に足を踏み入れてダイレクトに伝える。安全とはいえないゲットーにまで入り込んで取材している姿から、彼がイマドキの若者だったらYouTuberとしていい仕事をしたのではないかと思った。また、ニューヨーク・ミュージシャンズ・ジャズ・フェスティヴァルやロフトでの取材記事は、単にミュージシャンの演奏を取り上げたものと違って、会場の雰囲気もリアルに伝わってくる。日本人でこのような場を訪れた人は稀だっただけに稀少な情報だっただろう。また、日本のミュージシャンでは高木や富樫雅彦、山下洋輔などが登場するが、『アサヒグラフ』では美空ひばりやなにわ節も取り上げていた。彼の場合は文章と写真がセットになってのルポルタージュだった筈なので、写真は「又、ジャズ幻視行」と別にまとめて収録されているのが残念だった。紙幅の都合があるのでこれは致し方ないことだが、相互が補完し合っていたと想像するだけにやはり惜しい。また、ディスク・レビュー100選が添えられていることで、それらのアルバムをどのように聴き、評価したのかが分かるのも興味深く、聴きながら再考したいという気持ちになった。
杉田は本誌にフォトエッセイ「Jazz meets 杉田誠一」を書いていた(→リンク、旧JazzTokyoへのリンク)。最初にJazzTokyoに掲載された彼のエッセイを読んだ時に、その文体、語り口に1960年代後半から1970年代初めにかけてのニオイを感じたことを思い出す。時代の感性というのがあるとするならば、それをいい意味でも悪い意味でもずっと引き摺っていたのではないか。そうであれば、横浜の白楽で2006年に始めた店を「cafe bar Bitches Brew for hipsters only」と名付けたことも納得がいく。彼が影響を受けたリロイ・ジョーンズは、イマム・アミリ・バラカ(後にイマムは外す)とその名を変えたように。その立ち位置は黒人運動の変遷、ブラック・パワーの登場やその後の政治社会情勢の推移と呼応して変化していった。だが、杉田の政治的なスタンスは知らないが、一本気にさえ見えるジャズ衝動は生涯変わらなかったような気がする。私がジャズを聴き始めたのは、杉田が『ジャズ』を辞める少し前なので、70年代初頭の空気はなんとなくわかるが、それを知らない世代は『超ジャズ』をどう読むだろう。
『ぼくのジャズ感情旅行』のあとがきに「いまさらのことながら、生身の肌で感じた部分でしか語ってこれなかった稚拙さに、赤面してしまう」と自嘲気味に書いているが、「生身の肌で感じた部分で」語っているからこそ、時代を経た現在もその文章を読む意味がある。『超ジャズ』は、現場を知るフォト・ジャーナリストが60年代終わりから70年代半ばにかけてのジャズとりわけフリージャズをどう伝えたのか、日本におけるその受容を時代の文脈から読み解くためにも貴重な本だ。
書名:超ジャズ 杉田誠一著作・写真集
著者:杉田誠一
版元:カンパニー社
初版:2025年9月
価格:3,500円(+税)
判型:四六判並製
ページ数:512頁
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杉田誠一, 間章, 『OUR JAZZ』, 『ぼくのジャズ感情旅行』
