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BooksNo. 261

#099 纐纈雅代『音の深みへ』

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

書 名:「音の深みへ」
著 者:纐纈雅代
出版社:彩流社
初 版:2019年12月15日
定 価:2000円+税
体 裁:四六判 / 104ページ / 並製
腰巻コピー:
道はこれからも続く。次に人生を振り返るのはいつだろうか...御臨終のときだろうか?

 

纐纈雅代のナマを最初に聴いたのは数年前、たしか白楽のBitches Brewだった。オーナーの杉田誠一から声をかけられたのだと思う。纐纈はここで年に何度かソロでアルトサックスを吹き“精神を解放”(著書より)している。その後、CDを数枚聴いた。去年 (2018年) はBitches Brewでリトアニアから単独来日した“東欧最強のサックス奏者”リューダス・モツクーナスとのアルト・デュオに臨んだ。リューダスは単なるインプロヴァイザーではない。ジャズの小国リトアニアで生活していくことは並大抵ではない。必然的にヨーロッパ圏を中心に他流試合を仕掛けていく必要がある。そのためにリューダスはあらゆるテクニックを修得した。Bitches Brewでリューダスと共演した纐纈は終演後リューダスに必死に食い下がりパーカッシヴ・フラッタード・タンギングの奏法について教えを乞うた。対面伝授とはいえ、もちろん、10分や20分でマスターできるはずはなく、纐纈はその奏法を理解した上で、リューダスの模範演奏をスマホに収めクラブをあとにした。

今年は4回纐纈のナマを聴く機会があった。9月の渋大祭での渋さ知らズ・オーケストラでの早坂紗知との共演、11月のニュージャズホール50周年。このステージで纐纈はタップダンサーのレオナ、alive paintingの中山晃子とトリオを組み、聴覚だけではなくダンスとペインティングという視覚に訴えるアーチストとミックス・メディアに挑戦、満員の聴衆の耳目を奪うことに成功した。

12月、纐纈は、モントリオールから突然やってきたアルトサックス奏者フランソワ・キャリリールをBitches Brewのソロ・ライヴに迎え入れ対戦相手とした。演奏開始しばらくカフェバーのマネジャーが耳元で囁いた。「去年リューダスから教えてもらったアレを使ってる!」。そう、その夜纐纈はアタマからフルスロットルで飛ばし遠来の奏者に挑みかかった。一年ぶりに聴く纐纈の進境著しいソロにしばし息を飲んだ。細身の身体から奔流のように迸り出る纐纈のソロにはリューダスから伝授されたパーカッシヴ・タンギングが随所に織り込まれ演奏にアクセントを付けていた。さらに、去年は聴かれなかったサーキュラー・ブリージングが表情を一新させていた。パーカッシヴ・タンギングも循環もともにまだ荒削りではあるが、インプロヴァイザーとしての纐纈の有力な武器になりつつあった。著書を読んで知ったのだが、纐纈は今年の春から初夏にかけ2度リトアニアに出かけ、現地でシットインに挑戦したという。リューダスの軌跡を辿りたかったのだろうか。何れにしてもそのとどまるところを知らない意欲には驚かされた。その後、越生の山猫軒で不破大輔b、井谷享志ds,percとのカルテットを聴いた。ふたりのリズム隊を得て纐纈の演奏に余裕が見られ、フランソワのアルトを聴きながら会話を楽しんでいるようにさえ見えた。ベテラン不破のベースも素晴らしく、この演奏は記録にとどめておくだけでは勿体無いとの感想がもれるほどの内容だった。終演後ピアノでチルアウトするフランソワに寄り添い連弾を楽しむ纐纈がいた。著書によると高校時代まではピアノのレッスンを受けていたということだ。

フランソワは決してインプロ界のトップランナーとは言えないかもしれない。しかし、カナダやヨーロッパで積んだ経験には学ぶべき点も多い。日本のミュージシャンについて感想を求めたところ、「ダイナミック・レンジと音楽のフローにもっと留意すればヨーロッパでも充分対応できるだろう」とのことだった。たとえ、インプロであっても最弱音から最強音まで音の強弱にレンジを持たせ、演奏の流れを組み立てていかないと音楽として成立しない、ということだ。フランソワは “音楽”としての成立、ということを何度も口にしていた。

この本は、纐纈雅代というアルトサックス奏者の半生記である。生まれてから現在に至るまでその半生が語り尽くされている。多感な少女時代から音楽を放棄し夜の仕事を甘受した時代、男性からトラウマとなるほどの仕打ちさえ受けた逆境時代を経て、ふたたび音楽に光明を見出し自立するまで、時に痛ましく、時に愛おしいひとりの女性の生きざまがむしろ淡々と語り継がれていく。終電に乗り遅れた彼女が共演の坂田明と始発を待つ間、問わず語りしたその半生に坂田から「お前、よくそれでここにいられるなあ」と生き延びてきたことに感心されたという。あのツワモノ坂田明にそう言わしめた彼女の半生は月並みに表現すると ”波乱万丈” に近いものだったのだ。しかし、そのことをバネにして現在の彼女がいる、と思う。あの果敢な創作意欲があるのだ、と思う。彼女は、霊感にも恵まれているようで、インスピレーションで描きだされた筆によるデッサンのようなさまざま仏の抽象画が随所に挿入されている。
著書は、山猫軒に出演した際、本人から買い求めた。日本の女性ジャズ・ミュージシャンの自伝を読むのはたしか岩波新書版の龝吉敏子に次いで2冊目だ。それだけに内容は貴重だが、この体裁で税別2000円は少し高過ぎるように思える。これは、版元に対する苦情。(本誌編集長)

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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