#126 後藤雅洋著『ジャズ喫茶いーぐるの現代ジャズ入門』
Jazz Kissa Eagle Presents The〝New〟Shape Of Jazz To Come
text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
著者: 後藤雅洋
書名:ジャズ喫茶いーぐるの現代ジャズ入門
判型:A5版
頁数:192ページ
版元:シンコミュージック・エンタテイメント
腰巻きコピー:
シーンの最先端をいく「現代ジャズ」の魅力を、ジャズ喫茶のオヤジが徹底解説!
こんなに面白い音楽を聴かないなんて、もったいない!
・・・不思議なのは、こうしたさまざまな「変容」を受けつつ、ジャズは相変わらず”ジャズ“と呼ばれ続けてきたという事実です・・・そしてその・・・「変化の過程」が、現代ジャズなのです(本書より)
ジャズ喫茶はかつて「学校」とか「道場」と呼ばれてきた。私語が禁止され、新聞や雑誌のページをめくる音にめくじらが立てられ、1杯のコーヒーで滞店時間が制限される場合もあった。リクエストを受け付けず、時にはオーナーの独断と偏見に満ちた解説を聞かされる。しかし、筆者がジャズを学んだ6,70年代のジャズ喫茶は競うように海外の新譜を揃え、国内ジャズ・レーベルの新譜サンプルが持ち込まれ、ジャズ評論家によるアルバム紹介が企画されるなどジャズ情報の発信基地としてめざましく機能した。必然的にジャズ喫茶のオヤジ(年齢に関係なくジャズ喫茶のオーナーは親しみを込めて、時には敬愛の念を持ってオヤジと呼ばれた)と客の間に交流が生まれ、お互いに切磋琢磨し合いながら耳を肥やし、ジャズの知識を蓄積していった。東京四谷・ジャズ喫茶「いーぐる」のオヤジ 後藤雅洋の新著のタイトルを見ながらかつてのジャズ喫茶に思いを馳せた。タイトルに “ジャズ喫茶いーぐるの”と冠せられているからだ。これは、他でもないジャズ喫茶いーぐる、すなわちオヤジの後藤雅洋が考える“現代ジャズ”の入門書なんだよ、と念を押された感じ。表紙にいーぐるの看板の写真まで登場しているのを見ると、一種のマーケティングかな、と勘繰るムキも出てくるかも知れないが、今さらだろう。
いーぐるは1967年創業。後藤が慶大在学中に開店したという。上智大とは目と鼻の先という立地。以来半世紀を優に超えて、この道ひと筋。オヤジやゲストが出演する講義なども交えながらの営業で、かつてのジャズ喫茶文化を体現する数少ない老舗である。そんな中から村井康司や佐藤英輔、柳楽光隆というジャズ評論界の逸材を輩出している。たいしたもんだ。オヤジの後藤雅洋自身、多くのガイドブックを書き下ろしていることはよく知られている通りだ。
本書は3章から成る。第1章「現代ジャズ紹介」の3部を通して「現代ジャズとはなんぞや?」を解き、第2章で「現代ジャズの面白さを伝えるアルバム200選」を紹介、第3章「ジャズ史における現代ジャズの位置付け」で締める。著者が捉える “現代ジャズ”とは主として 21世以降のジャズ。90年代後半の閉塞期を経て新たに芽吹いたジャズを指す。70年代までの「相対的に芸術的要素に傾いた“モダン・ジャズ期” 」に対して、「ポピュラリティを恐れない自己表現派」が活躍する“現代ジャズ”の象徴としてカマシ・ワシントンやロバート・グラスパーが挙げられる。これを著者はジャズ史の「揺り戻し」と捉える。著者の強みはジャズ喫茶のオヤジとして半世紀以上主にLP、CD を通じてジャズを聴き続けてきたこと、さらにはU-SENの番組制作者としてジャズの動向を知る必要があったこと。例えば200選はU-SENの番組制作のために聴いた1000枚の最新アルバムから厳選したという。データに乏しいのが難だが、これは付記されたQRコード読み取ってspotifyに飛び、音楽と同時に情報も取れということなんだろう。著者は「あとがき」で、今年2023年、秩父で開催された「Love Supreme Jazz Festival」を見参、グラスパーやラッパーを見聞きして現代ジャズの進行形を確認したことを報告している。ちなみに筆者は数年前の「東京JAZZ」でチャールス・ロイドとカマシ・ワシントンのユニットを続けて聴く機会があったが、そのあまりの音楽的落差に唖然としたことを告白しておきたい。筆者の耳はいまだ教養的ジャズ鑑賞の傾向に飼い慣らされ過ぎているのだろう。
英文タイトルをオーネット・コールマンの顰(ひそみ)に倣い「〝New〟Shape Of Jazz To Come」とした著者の意気や軒高である。本書が触れなかった(藤井郷子のCDが拾われてはいるものの)もう一方の「現代ジャズ」の潮流、「フリー/インプロ」編を、版元には例えば原田正夫を起用、「ジャズ・カフェ 月光茶房の現代ジャズ入門」などとしてぜひ刊行願いたいものだ。(文中敬称略)