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CD/DVD Disks~No. 201R.I.P. ポール・ブレイ

#1100『ポール・ブレイ/プレイ・ブルー』

ECM 2373

ポール・ブレイ(p-solo)

1.Far North
2.Way Down South Suite
3.Flame
4.Longer
5.Pent-Up House

Recorded August 2008

ついに、あのときのポール・ブレイが…

ポール・ブレイ。1932年生まれ。現在81さい。

Paul Bley/John Gilmore – Turns [Full Album] [HD] You Tube > https://www.youtube.com/watch?v=HchxgpCZuFo

Remembering – Paul Bley Solo
You Tube > https://www.youtube.com/watch?v=kIkGoUS9YT0&list=PLtx3SJ5w8kQ2HzEsUoRAjBaX7aE3dq21t

Paul Bley-Mister Joy (Haarlem Live 1966) HD
You Tube > https://www.youtube.com/watch?v=BJHAmisdu7Y

Alfred Harth: Transformate, Transcend Tones & Images
You Tube > https://www.youtube.com/watch?v=AxCSQwvm6gw

いきなりお気に入りのYouTubeを並べてしまう、ECMは著作権きびしいから今のうちに。

ポール・ブレイのソロと言えばECM初期の名作『Open To Love』(1972)、まず代表作として挙げられる。

いやさ、当時ブレイはECMアイヒャーの音の仕立てに本心は合点が行ってなかったんだと思うよ、11さい年下のドイツ人の若造がアパートにやってきて壁にかけてあったカセットテープを持ち帰って、興した自主レーベルECMで『Ballads』や『With Gary Peacock』リリースにしていたものだが、わざわざスタジオまで行って録って出てきたもんが『Open To Love』たあ、これはおれの音ではない、アイヒャー、お前さんの音だろう?、そんじゃオレ様も自主レーベルImprovising Artists Inc.(iAi)を作って見せつけてやろうじゃないかとリリースされたのが『Alone Again』、こっちのほうが音の人工的なバイアスとか虚無なファンタジーが投影されていないナマのポール・ブレイっていうわけさ。

若い時分はそんなんで、『Open To Love』よりも『Alone Again』が上だと、ジャズ通ぶる人でなし。

どちらも正解、というか、どちらにも鬼気迫る創造の痕跡が瑞々しいものだと、最近になって思う。

レーベルとしてはECMは徐々に成長し、ポール・ブレイはコア盤『This Earth! / Alfred Harth』(ECM1264)にサイドメンとして復帰…(ここで、タガララジオ35をチェック>http://archive.jazztokyo.org/column/tagara/tagara-35.html)…(このコラム、面白いな!自分で書いて忘れて自分で読んで多幸感でいっぱいになる)…、その後のブレイの活躍はご存知のとおり。

ECMレーベルが父の名を明かした、ジミー・ジュフリー・トリオ、他のレーベルから買い取ってまでも音を調整してリリースしたジャズ史的事件、ここでのピアノがブレイであることや。

多くのリスナーやミュージシャンへのフィールドワークからしても、キース・ジャレットを聴いてさらに高みに向かうときにポール・ブレイに気付くのであって、その逆の反応は皆無であること。

そんなことをここで書いて何になる的なことを、やっぱり書いているわたしだが、

国際的に活躍するピアニスト/コンポーザー/インプロヴァイザーの藤井郷子が、ブレイによって見出されたのは有名な、そして重要なことだ。

1999年6月にポール・ブレイは23年振りの来日をした。狭山で聴いた藤井郷子とポール・ブレイのデュオが忘れられない。当時ブレイ67さい。聴いたことのない速度の指の、もあれ状の聴覚かく乱を放つインプロヴィゼーションに唖然としたのだ。テクニカルに、ではない。師の圧倒するピアノに対し、これまた堂々と渡り合った藤井の凛とした自由度と精神も見事だった。会場は狭山の市民会館のようなホールだった。そこでECMもNHKも録音機を回しているようなことがあったなら。

そのときのポール・ブレイが聴ける、のが、新作『プレイ・ブルー』1曲目「Far North」だ。08年録音というから、ブレイ76さいである驚異もある。老境になっても、こんなに初々しく、瑞々しく、ピアノは鳴るものなのか。それにどうして6年も寝かせておくのだ、ECM(怒)。

3曲目「Flame」はOwl盤『Tears』(1984)に、4曲目「Longer」はJust In Time盤『Changing Hands』(1991)、いずれもソロ・ピアノにあったコンポジションだが、スタンダード・ナンバーの風格を漂わせながら、ブレイはカラリと質量を外しながら現在の戯れに自由になっている。

ラスト5曲目「Pent-Up House」はソニー・ロリンズのナンバーで、若い頃は一緒にツアーに出て録音もしているブレイの心境を想う。
Pent-Up House / Sonny Rollins plus4
You Tube > https://www.youtube.com/watch?v=yIlpEnsa2d8&feature=kp
この56年のプレスティッジ盤と、聴きくらべてみる。50年代には、モントリオールでジャズの研究会を主宰、チャーリー・パーカー、レスター・ヤング、ベン・ウエブスターとも共演していたブレイの経歴。まさにリヴィング・レジェンド、この5分ほどのトラックに20代の少年のようなときめきと不安げな表情を凝縮させてしまっているようなのは、ブレイのようなピアニストならではだろう。

人生は一瞬なのだね、ポール。

29年ぶりにECMからリリースされたソロ『Solo in Mondsee』、ライブ録音であるにもかかわらず、『Open To Love』のネクスト・ステージを垣間見せたのは、そのジャケに映る湖上の桟橋を歩む二人はアイヒャーとブレイであり、創造の神さまのように訴えかける。膨大なECMカタログでアイヒャーがミュージシャンとジャケに収まることは無かった(その後Enrico Rava/Stefano Bollani『The Third Man』ECM2020に靴とシルエットでタイトルや演奏に相応しく写っているが)。

絶対にアイヒャーもブレイも演ってはくれないだろうが、今の二人でオープントゥラヴ全曲アゲインというのを夢想する。音楽は聴こえる音の彼方にも存在する。想う、2014年の「アイダ・ルピーノ」、...

おっと、稲岡編集長のこんな記事「ポール・ブレイが新ピで<アイダ・ルピーノ>を弾く」(http://archive.jazztokyo.org/inaoka/v11/v11-3.html)があった、ああ、15年前にタイムスリップしたい。(多田雅範)

多田雅範

Masanori Tada / 多田雅範 Niseko-Rossy Pi-Pikoe 1961年、北海道の炭鉱の町に生まれる。東京学芸大学数学科卒。元ECMファンクラブ会長。音楽誌『Out There』の編集に携わる。音楽サイトmusicircusを堀内宏公と主宰。音楽日記Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review。

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