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CD/DVD DisksNo. 216

#1291 『ジョルジュ・ケイジョ、千葉広樹、町田良夫/ルミナント』

text by 細田成嗣 Narushi Hosoda

Amorfon AMORFON014 2000円+税 ‎

ジョルジュ・ケイジョ (drums, percussion)
千葉広樹 (bass, electronics)
町田良夫 (steelpans, gamelan)

1. Leave
2. Sand
3. Scab
4. Particle
5. Place
6. Acne
7. Dither

all compositions by Jorge Queijo, Hiroki Chiba & Yoshio Machida
Track 1&5:recorded at Apollo, Tokyo, Feb. 11, 2015
Track 2,3,6&7:recorded at the Foxhole, Tokyo, Feb10, 2015
Track 4:recorded at the Foxhole, Tokyo, Feb 13, 2014
Recorded, mixed and mastered by Yoshio Machida

楽器の潜在性を照らし出す響き

スティールパン奏者の町田良夫とコントラバス奏者の千葉広樹が、ポルトガルを拠点に活動する打楽器奏者のジョルジュ・ケイジョを迎えて、2014年と翌2015年に都内のジャズ・バーで行ったセッションを収録したアルバムが、町田みずからが主宰するレーベル〈アモルフォン〉からリリースされた。セッションは即興で行われたものの、アルバムを聴けばわかるようにそれぞれの演奏にはモチーフとなるようなサウンドの流れがあり、収録された七曲すべてが異なるイメージを特色のあるやりかたで打ち出すものとなっている。即興演奏に固有の相互触発と変転がありながら同時に楽曲としてのまとまりをなしているのは、前もってどのような演奏を行うか決めていたことを示唆しているというよりも、三人ともがインプロヴァイザーであるにとどまらずほかの様々なジャンルにおいても多面的に活躍する才能を持ち合わせていることが、こうした機会に活かされているということのように思われる。どの奏者も機に応じてリズムとメロディを担っていく演奏は、慣習的にあらかじめ規定された楽器の役割を演じなければならないという拘束から自由であるとともに、ひいてはリズムやメロディをもたらしそれらと不可分でもある音響の次元において、楽器そのものに根差した即興的交感をその清澄な佇まいのなかにあらわしていく。

そうしたなかでとりわけ異質に響く四曲めの<パーティクル>は、もちろんここでのみ町田がスティールパンではなくガムランを叩いているという違いはあるものの、この楽曲だけが2014年に行われた演奏であることをふまえれば、より本質的なところで、三人が対峙する緊迫感を見事に捉えた録音だということができる。大友良英ニュー・ジャズ・クインテットの<フラッター>や、そのアイデアのもとでもあるオーネット・コールマンの<ロンリー・ウーマン>を思わせるような、ひたすら小刻みに叩かれるドラムスと余韻を響かせながらたゆたうガムラン、持続するウッド・ベースの低音、そしてそれらとはまるで無関係に反復するエレクトロニクス・ノイズが絡み合うこの演奏からは、いまだ互いの深みを警戒し合うかのようにしてじわりじわりと進みゆく音楽的時間を聴き取ることができるだろう。ほかの楽曲が共同して静謐さ――それは音量の小ささをそのまま意味しない――を紡ぎ出していくのに比して、際立って緊張感溢れるこの演奏を収録楽曲の並びの真ん中に据えることが、アルバム全体に求心化する作用を与えることになる。あるいはその異質性によってほかの楽曲の音響的側面がより注視できるといったらいいだろうか。<パーティクル>が音楽の水平的な構造を前面に出すとしたら、そのことがかえってほかの楽曲の垂直的な構造を前面に押し出してくれるのである。

そこから聴こえてくるのは、たとえばカリビアン・ミュージックからほど遠い領域で音楽を生み出そうとする町田良夫の美学的な態度である。彼はスティールパンが民族音楽の表徴となることを注意深く退けながら、あくまで即物的に捉えたこの金属製打楽器の響きを聴かせてくれる。三曲めの<スカブ>における、続く四曲めで楽器を持ち替えることの導きとなるような、驚くほどガムランに近似したスティールパンの音色にあらわされているように。同様に千葉広樹が発するエレクトロニクス・ノイズが不意にコオロギの鳴き声にも聴こえることがあるのは、虫の音のような電子音(それはどこまでも電子音でしかない)を目指しているからではなく、それが音響の次元において捉えられていればこそ訪れる思いがけない一致であるはずだ。そしてこうした心性は、別のプロジェクトにおいてガムランを用いながら、あくまで西洋的なミニマル・ミュージックを組織しているジョルジュ・ケイジョにも共有されているように思われる。すなわちここには三者三様のしかたで探求してきた「音響」の世界がある。それはたんなる「美しい音色」と取り違えられてはならない。歴史性や制度性によって覆い隠されてしまう楽器の潜在性を、物質の次元において解放していくような態度のことであるのだから。即興演奏という手段を介することで、そうした三様の世界が保たれたままに、ひとつの音楽へと結実していく。その潤沢な記録がここには残されているといえるだろう。

細田成嗣

細田成嗣 Narushi Hosoda 1989年生まれ。ライター/音楽批評。2013年より執筆活動を開始。編著に『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(カンパニー社、2021年)、主な論考に「即興音楽の新しい波──触れてみるための、あるいは考えはじめるためのディスク・ガイド」、「来たるべき「非在の音」に向けて──特殊音楽考、アジアン・ミーティング・フェスティバルでの体験から」など。2018年より「ポスト・インプロヴィゼーションの地平を探る」と題したイベント・シリーズを企画/開催。

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