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CD/DVD DisksNo. 312

#2306 『板橋文夫/渡良瀬~ECHO~』

text by Masahiro Takahashi 高橋正廣

P-VINE PCD-25373 ¥2,750 (税込)

01. <Umi~Watarase (from Takeo Moriyama / Fumio Itabashi 『Oborozukiyo』)>
02. <Watarase w/Kazutoki Umezu (@ Kamakura City Lifelong Learning Center Hall)>
03. <Watarase (FIT! @ Naha, Sakurazaka Theater Hall)>
04. <Watarase For Melodica (FIT! @ Naha, International Street)>
05. <Watarase (from Moriyama / Itabashi Quintet “STRAIGHTEDGE LIVE AT Shinjuku PIT INN”)>
06. <Watarase (from Fumio Itabashi 『Jambo! Obrigado! BRAZIL』)>
07. <Watarase (1981 Demo)>[Unreleased]

もう20数年前のことになるが、筆者は毎年3月に行われる渡良瀬遊水地の葦焼きを観に行ったことがある。葦焼きは渡良瀬遊水地を囲む広大な葦原に火を放って枯葦に潜む病害虫の駆除や葦簀の原料となる良質の葦の生育を助けるという目的で地元関係者数百人によって実施されている。初めて現地を見学したときにはその業火の凄まじさ、幾筋も立ち上る白煙の巨大さに圧倒された。猛烈な火焔竜は正に大地の持つエネルギーそのものであり、そのスケールの大きさと迫力は渡良瀬という地を特別なものにしているという印象だったことを鮮明に記憶している。

板橋文夫は1949年栃木県足利市出身。国立音楽大学付属高校から国立音楽大学へ進学後、先輩である本田竹廣のピアノ演奏を聴いて、ジャズに開眼。在学中より演奏活動を始め、1970年渡辺貞夫クインテットでプロデビューという幸運なスタートを切る。1974年から79年にかけて日野皓正クインテット、森山威男カルテットに参加する傍ら、自己のトリオを結成。その旺盛な活動はジャズの領域に留まらずは柳町光男監督の傑作「19歳の地図」の映画音楽を担当する等、その後も映画音楽、クラシックや様々なジャンルで活躍する人達とセッションを組み、常に己が目指す音楽の源流を模索し続けている。

そんな板橋にとって最も重要な作品となったのが1982年発表のソロアルバム「WATARASE」だ。DENONレコードからの発売に合わせて全国縦断101ヶ所のライヴスポットで敢行した「渡良瀬一人旅」ツアーは当時大きな反響を呼んだという。筆者が所有するCD「WATARASE」は幻の名盤の復活として23年後に再発されたディスクであり、筆者は当然のことながら”遅れてきたファン”の一人ということになる。

さてミュージシャンにとって代表曲を持つこととは一体どういう意味があるのだろう。一般に歌謡曲・ポップスの音楽業界では1曲の大ヒットがあればそれだけで一生食ってゆける「一発屋」という人種がいる。それ故に一旦ファンの中に固着したイメージは終生付いて回ることになるのだから一長一短であることは確かだ。しかしジャズ・ミュージシャンの場合はそうはいかない。過去の自己からの脱皮を繰り返して常に前進し、進化することで次なる音楽的なエネルギーを生み出すことの宿命、必然性を知っているゆえに、代表曲と言えども糊口をしのぐための単純な再生に止まらないことは当然なのだ。己が築いたものは己の意思でそれを破壊し、再構築し、新たな感動装置として創造してゆくプロセス、これこそがジャズにおける進化であり深化に他ならない。

板橋文夫にとり<渡良瀬>という曲は産土というバックボーンを抜きにして語ることはできないだろうが、第三者が渡良瀬と<渡良瀬>という曲の関係性について安易に言及することを許さない板橋の見えざる意思を感じるのは筆者だけだろうか。それは板橋自身が機会あるごとに繰り返し、繰り返しこの曲を演奏し続けていることと決して無縁ではないだろう。

本盤は<渡良瀬>1曲のみのアンソロジーという極めて特異な構成であることはプロデューサー若杉実氏の意思であり板橋の意思でもあったことだろう。本盤のライナーノートで若杉氏は『この企画では<渡良瀬>を主体とすることで、板橋のあらゆる表象化を試みた。演奏者と楽曲の主従関係を反転させ、<渡良瀬>に”板橋文夫”という人間を歌わせたのである』として本盤の本質を突いた見解を述べていることからも明らかだ。

01.  <海~わたらせ (森山威男・板橋文夫 “童謡 おぼろ月夜”)> 2016年の森山と板橋のデュオ・アルバムから。童謡「海」を導入部として引用して始まるこの演奏は森山のタイコと板橋の88鍵だけなのに何と芳醇なのだろう。幾度となく演奏してきたからこその熟成感はこの2人によって完璧なイマージュとして立ち上る。

02.  <渡良瀬 w/梅津和時> 2015年7月4日”鎌倉はなし会”のライヴ企画より。大いなる怒涛のような板橋の左手が繰り出す音塊に<渡良瀬>の旋律が浮沈する中、梅津のアルトサックスを誘い出す。梅津のアルトには板橋の怒涛に揉まれながらも必死でもがくような可憐さを感じずにはいられない。これも<渡良瀬>という曲の力か。

03.  <渡良瀬 (FIT!)> 2014年3月9日Music Birdライヴ音源より。板橋が結成した新トリオ”FIT”が沖縄の那覇市で録音された音源で、板橋のリーダーシップの下、レギューラートリオとしての一体感が感じられる。途中のリズムチェンジでサンバ・テイストを織り込む辺り、通り一遍の演奏に終らせない板橋の意思が明確だ。サイドメン瀬尾高志(b)、竹村一哲(ds)にも十分なソロスペースが与えられている。

04.  <メロディカのための渡良瀬 (FIT!)> 2014年3月7日Music Birdライヴ音源より。前曲から2日前の音源。板橋の副楽器とも言えるメロディカを駆使したストリートギグを収録した演奏で、一聴自由過ぎる演奏だが決して座興でもなければ箸休めでもない。那覇の国際通りの雑踏音に紛れ込む<渡良瀬>の何と新鮮なことか。

05.  <渡良瀬 (森山・板橋クインテット)> 2014年1月2日新宿PIT INNでのライヴ・アルバム「STRAIGHT EDGE」より。川島哲郎(ts)と類家心平(tp)のフロントに加藤真一(b)を擁したクインテットのニューイヤー・ライヴの音源は実に端正な<渡良瀬>が展開される。川島の大らかなテナーを捉えて離さない<渡良瀬>という曲の力に吃驚するばかりだ。

06.  <渡良瀬> 2001年7月13日  “Jambo!? Obrigado! BRAZIL”より。2001年4月にソロアルバム「一月三舟」をリリースした板橋は同年7月単身でブラジルへの演奏旅行を決行、大成功を収める。ここでは1曲目と同様「海」の引用から始まる。アグレッシヴで力強い打鍵と相反する繊細で感受性豊かなメロディ・センスは板橋ならではのもの。単身での楽旅という昂揚感と己を客観視するクールネスが同居する異空間がここにある。

07.  <渡良瀬 (1981 Demo)> 板橋自身が私蔵していたデモ用マスターテープ音源。オリジナル盤となる「WATARASE」の原型なのか発展形なのか定かではないが<渡良瀬>という曲の歴史を塗り替える音源であることには間違いなく、板橋のこの曲にかける熱量を汲み取ることができる貴重なドキュメントだ。

本アルバムに収められた全7曲を聴き通して思うことは、<渡良瀬>は板橋文夫という一個の人間にとって楽曲以上の存在であることは勿論、産土としての渡良瀬が畏敬の対象として常に己の心底に在り続けた結果、板橋の血となり肉となり肉体化した存在として在るのだと受け止めたい。<渡良瀬>は板橋が作ったもう一つの名曲「Good-Bye」(前述「19歳の地図」挿入曲)と共に和ジャズの中の十指に入るオリジナル楽曲だ。筆者の耳には今も渡良瀬遊水地の葦焼きのエネルギーを持った楽曲「渡良瀬」が地鳴りのように響いている。

高橋正廣

高橋正廣 Masahiro Takahashi 仙台市出身。1975年東北大学卒業後、トリオ株式会社(現JVCケンウッド)に入社。高校時代にひょんなことから「守安祥太郎 memorial」を入手したことを機にJazzの虜に。以来半世紀以上、アイドルE.Dolphyを始めにジャンルを問わず聴き続けている。現在は10の句会に参加する他、カルチャー・スクールの俳句講師を務めるなど俳句三昧の傍ら、ブログ「泥笛のJazzモノローグ」を連日更新することを日課とする日々。

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