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CD/DVD DisksInterviewsNo. 316

#2337 『閔小芬 / METTA』

Text and interview by Akira Saito 齊藤聡

SKU AIR118

Min Xiao-Fen 閔小芬 (pipa, ruan, sanxian, finger piano, sound effects, and voice)
River Guerguerian (Middle Eastern and Indian frame drums, kanjira talking drums, berimbau, doumbek, Chinese gongs, hand-pan, didgeridoo, rain stick, drum set, and voice)

1. Magnetic
2. Mellow
3. Magic
4. Mystique
5. Mingle
6. Mirth
7. Mild
8. Mighty
9. Mudita
10. Maitri
11. Merciful
12. Mantra
13. Muse
14. Mindful

Executive Producer: Tatsu Aoki
Produced by Joel Gordon and Min Xiao-Fen
Composed, arranged and created by Min Xiao-Fen
Recorded at Echo Mountain Recording Asheville, July 2023
Recording Engineer: Josh Blake
Assistant Recording Engineer: Dowell Gandy
Mixing and Mastering Engineer: Joel Gordon
Photo of Min Xiao-Fen and River Guerguerian: Lynne Harty Photography
Graphic Design: Al Brandtner, Brandtner Design
Project Coordinator: Rika Lin
UPC barcode: 708096011824
minbluepipa.com
asianimprovrecords.com
airmw.org

閔小芬(ミン・シャオフェン)は中国出身の琵琶(ピパ)奏者である。おそらく日本のフリー・インプロヴィゼーションの愛好家のあいだでは、ギターの巨魁デレク・ベイリーとのデュオ作品『Viper』(Avant、1997年録音)などによって知られているだろう。もちろん傑作である。だが、同作からは閔の魅力のすべてを感じ取ることができるわけではないことを認識しなければならない。なぜならば、既存の調性から逸脱して12音を平等に扱おうとしたベイリーと、伝統的な琵琶演奏からの逸脱をはかる閔との対照の中でそのおもしろさが際立つからである。

本盤での琵琶の音色はじつに魅力的だ。弦の響きはやわらかく、残響の周波数のプロファイルがゆるやかに遷移する。また閔のヴォーカルは艶やかであり、それは、一音節内の高低昇降やストレスをもつ中国語(*1)の声調の特性を活かしたものだ。大きな空間と長い時間の流れのなかでたゆたうような演奏と声は、ふと気が付くと聴く者を知らない場所に連れていってくれる。そして、静かでゆるやかな間がそのスケールを引き出している。

琵琶は中国において独自の進化を繰り返してきた楽器である。秦漢から唐に至る一時期には多くの撥弦楽器の総称であり、竿の長さ、共鳴箱の形、胴に張ってある素材、弦の数、弾き方(縦横)などに関係なく、すべて奏法が似ているものを一律に琵琶と称していた(*2)。それは長期にわたり改良が加えられ、概ね現在の形に収斂してきた。閔の使う琵琶もその流れの先にある。

閔はセロニアス・モンクの曲を好んで弾く(*3)。筆者も閔の演奏を観たとき、ぎくしゃくとして跳躍するモンク曲が琵琶の音世界とあまりにも優雅に、しかし野心的に、融合していることに驚いた。この冒険を続けてきたからこそいまの迫りくる力がある。

本盤の相方を務めるリヴァー・ゲルゲリアンもまた越境の人である。アルメニア・エジプト・シリア系の親を持ち、カナダで生まれたかれは、中東、インド、中国など実にさまざまな打楽器を操る。その打音のリズムはきわめて複雑なものに聴こえるが、決めるところはストンと決める。

琵琶の硬軟さまざまな音やパーカッションの濃淡(韓国伝統音楽ふうにいえば長短が成り立っている)による複層的な音空間。そこには安寧の強さも対話の愉しさもある。

(*1)朱新建「中国語と日本語の音声の比較―中国語学習者の発音とヒヤリングの指導のために―」『語研紀要』(愛知学院大学、1995年 20-1:135-152.)
(*2)簡其華、王迪、蕭興華、斉毓怡、張式敏 編著『中国の楽器』(シンフォニア、1993年)
(*3)閔はモンク曲に焦点を当てた『Mao, Monk and Me』(Blue Pipa、2017年)をものしている。

ミン・シャオフェンへのインタビュー

― 米国に移住したあとでアヴァンギャルド音楽に進んだきっかけはなんだったのでしょうか。

私は中国の伝統音楽を学び、10年近く南京伝統音楽オーケストラの琵琶(ピパ)の首席ソロイストでした。アメリカに来る前はアヴァンギャルドもジャズの他のジャンルのことなどまったく知りませんでした。伝統音楽だけを演ってきましたし、譜面を少しでも変えることは許されませんでしたから。

アメリカに来たのは1992年です。はじめて人前でインプロヴィゼーションを演ったのはそれから2年後、作曲家・トランぺッターのワダダ・レオ・スミスとのコンサートでした。かれは私のために琵琶の独奏曲<Lake Biwa A Full Moon Pure Water Gold>とアンサンブルの曲を書いてくれました。そのアンサンブルにおいて、事前の話もなく突然、ジャムするよう私を突然指名してきたのです。これにはショックを受けました。譜面なく演奏したことなんてありませんでしたから。どのように即興すればいいのかまったくわかららず、心が空っぽになり、手が凍りつき、何を演奏したのか覚えていません。そのあとの部分は完全に演奏から外れてしまいました。終演後は本当におそろしい気分でした。

1996年になり、ニューヨークからサンフランシスコに移りました。ほどなくして作曲家・サックス奏者のジョン・ゾーンと出会いました。かれが本当に私を励まし、アヴァンギャルドとフリー・インプロヴィゼーションの世界に導いてくれたのです。かれの紹介によって、ギタリストのデレク・ベイリーとの最初のデュオ『Viper』を録音しました。完全な即興演奏のアルバムです。レコーディングスタジオでとてもナーバスになり、ベイリーに受け身でついていった記憶があります。十分な自信も経験もありませんでしたから。

それからというもの、多くのダウンタウンのすごいミュージシャンたちといろいろなクラブでジャムしました。自分が何を演っているのかよくわからない時期からアヴァンギャルドのミュージシャンとして演奏し他の人と共演するようになる時期まで、本当に長い年月が経ってしまいました。

ワダダとは30年近く一緒に仕事をしていますし、『Mbira』などかれのアルバムのいくつかにも参加しました。

― 通常のコード演奏をしないミュージシャンとのコラボレーションについてどう感じたのでしょうか。

デレクにはじめて会ったのは、共演作『Viper』(Avant、1998年)を吹き込んだスタジオでした。セッションは完全即興です。録音の間、デレクはギターをサウンド生成の楽器として使い、メロディを弾かず、そのかわりにアブストラクトなサウンドを創出しました。それは想像力のあるテクニックばかりで、それまで聴いたことのないものでした。途中でギターの弦が切れても、かれは演奏をやめませんでした。かれは切れた弦でフレットを引っ掻き、それによるサウンドの効果が信じられないほどすばらしくインスピレーションに富んだものとなりました。かれには多くのことを学びました。一緒にツアーにも出て、デュオ2作目『Flying Dragon』(Incus、2023年)も出しました。いまも琵琶で多くのテクニックを編み出し、作曲においてもサウンドを独創的なものとできているのは、かれのおかげです。

― セロニアス・モンクの曲からどんなインスピレーションを得ますか。琵琶を使ってモンクの曲を演ることに難しさはありませんか。

ニューヨークに移り住んだあと、ミュージシャンの友人に「モンクの曲を演ったことはあるの?」と訊かれたことがあります。私が「仏教の僧(monk)のこと?」と答えると、かれに爆笑されてしまいました。そんなことがあって、私はモンクという人のことを調べ、音楽を聴くようにしました。独特なぎくしゃくしたサウンド、パーカッシブなアタック、意味のある静寂、優雅なメロディ、そういったものが私にインスピレーションを与えてくれましたし、楽器のことを見直すきっかけにもなりました。

2004年、リンカーン・センターの招聘により、他のソロイストとともにモンク曲の独奏を演る機会がありました。メロディが琵琶に合っていると考え、<Ask Me Now>、<North of the Sunset>、<Crepuscule with Nellie>を選びました。私自身が解釈するにあたり、モンクの音楽的なエッセンスや魂、それに音楽的な声は極めて挑戦的なものでした。演奏後に得たのは本当の満足ではありませんでしたし、かれのレパートリーをもっと学んでいつか演奏するよう自分自身に言い聞かせたのでした。

2017年になり、セロニアス・モンクの生誕百年を祝うつもりで『Mao, Monk and Me』をリリースしました。演奏したモンク曲は、<Ask Me Now>、<Raise Four>、<Children’s Song>、<North of the Sunset>、<Monk’s Dream>、<Misterioso>の6曲です。いまも毎回違うように演って楽しいですし、つねに発展し、学び、創造し、解釈を進化させています。それはアーティストとしての旅でもあります。モンクという天才への感謝は大きくなるばかりです。

私自身の音楽の視野を表現する自由を、本当に楽しんでいます。

― 本盤のプロデューサーとしてタツ青木さんの名前を見つけて驚きました。アジアのミュージシャンたちとの関係からなにか影響を受けていますか。

サンフランシスコには4年間住み、エレクトロニクスのカール・ストーンとのコラボレーションも行いました。そこから30年近くのパートナーシップが続いています。その期間はAsian Improv Artsとの長期に渡る関係も築きました。作曲家・ピアニストのジョン・ジャンやサックス奏者のフランシス・ウォンといった人たちです。ジョンのアルバム2枚(『Paper Son Paper Songs』など)に参加しましたし、多くのコンサートに客演もしました。

ニューヨークに移ってからもジョンとの共演を続けました。サンフランシスコ・ジャズ・フェスティヴァルでタツも参加したのです。2014年にフランシスがレオナ・リー・ダンスの曲<Rescued Memories>を担当し、私もタツとともに参加しました。ジョンやフランシスの音楽は文化遺産と現代ジャズとの独創的な融合です。豊かで異なる文化にまたがる対話を実現させていて、双方のジャンルの地平を拡げ、私の音楽の経験に著しい影響を与えています。

私がAsian Improv Artsに『Metta』の提案をしたところ、皆から熱狂的といってもいいサポートを得ました。このコミュニティにいることを誇りに思っていますし、Asian Improv Recordsから出した『Metta』のプロデューサーを務めてくれたタツには感謝しています。

― リヴァー・ゲルゲリアンとのコラボレーションを行おうというきっかけはなんだったのでしょうか。

ニューヨークからアッシュビルに2020年に移り住んだとき、最優先すべきはその地域のミュージシャンと一緒に仕事をすることでした。私が『White Lotus』のレコ発コンサートをギタリストのレズ・アバシと開いたとき(オレンジ・ピール、2021/6/30)、リヴァーと出会いました。かれが近寄ってきて自己紹介をしてくれたのです。リヴァーのことを知って驚くこともあり、一緒にいろいろなことをやりました。伝統的なバックグラウンドを共有しつつ、文化的なジャンルを越境するのも好きでした。

私たちはニューヨークで作曲家の譚盾(タン・ドゥン)とも仕事をしました。グラミー賞も、また映画『グリーン・デスティニー』(原題『Crouching Tiger Hidden Dragon』)でアカデミー賞も取った人です。

リヴァーが1994年にニューヨークを離れ、私は1996年にニューヨークに移りましたから、出会うチャンスはなかったのですが、なぜだか前から知っているような気がしました。私たちはアッシュビルのブラック・マウンテン・カレッジにおいて「{Re}HAPPENING 10」というコラボレーションをしましたし、それはのちにイシス・ミュージック・ホールでも再演することになりました。かれの熟練した技術、創造的なサウンド、エキゾチックなリズムは印象的なものでした。加えて、リヴァーは偉大な人間です。2023年に私がスミソニアン協会から映画2本のサウンドトラックを委嘱されたとき、リヴァーに参加を呼び掛けるのは自然のなりゆきでした。かれのふるまい、プロフェッショナリズム、協力的な精神があるからこそ、仕事をしていて楽しいです。リヴァーとのコラボレーションの機会はそれ自体名誉なことですし、かれの参加によって私のサウンドトラックの質もインパクトも向上したのだと確信しています。2023年5月6日にはワシントンDCのフリーア美術館でプレミア公演され、そのあと『Metta』として録音しました。2024年3月24日にリリース、そしてビッグ・イヤーズ・フェスティヴァルでは映画上映と併せて演奏もしました。2024年5月10日にはリーフ・フェスティヴァルで演奏しました。

― 日本のインプロヴァイザーとのコラボレーションはありますか。

ニューヨークに住んでいたときに何人かの日本人のインプロヴァイザーと共演する機会がありました。パーカッション奏者の武石聡とは長いこと共演していますし、私のアルバム『Dim Sum』(2012年)でもフィーチャーしています。それから、永井晶子(ピアノ)、灰野敬二(ギター)、イクエ・モリ(ドラムス、エレクトロニクス)、Oguri(舞踏)、親友の三味線の巨匠・田中悠美子といった人たち。みんな独創的・革新的で、音楽のジャンルの境界を絶えず押し広げています。かれらのアーティストとしてのヴィジョンからも、実験的なアプローチからも、多くのものを得ています。忘れがたいコラボレーションもありましたし、アーティストとしてとても成長させてくれました。

― 中国の琵琶は伝統的に四弦ですがあなたの楽器は三弦ですね。ちがいは何でしょうか。

『Metta』では3種類の撥弦楽器を使いました。琵琶(ピパ)、三弦、阮咸です。私が主に使う楽器は琵琶です。琵琶が最初にできたのは秦の時代(前221-206年)のことで、それから二千年を超える長い歴史があります。最初は丸い胴に長い棹と弦が付いたものでした。「ピパ」ということばは中国語ではふたつの音節から成り、それぞれ演奏上のテクニックを意味しています。「ピ」は右手の人差し指で上から弾くこと、「パ」は親指で下から弾くこと。

唐の時代(618-907年)には中央アジアから梨の形をした琵琶がもたらされました。そのときの柱(じ)はわずかに3つか5つで、水平に置いてピックで演奏するものでした。王朝において主楽器として使われ、独奏もオーケストラもありました。

いま私が使っている琵琶は縦に持つ近代的なもので、柱は30あります(指板に大きい柱が6、胴に24)。クロマチックスケールを使い、70の代表的なテクニックがあります。チューニングをして右手の5本の指で弾きます。フラメンコギターに似た奏法もあります。

三弦は琵琶に先行する楽器で、3本の弦、長い指板には柱がないフレットレス、丸い胴。大衆芸能や地域のオペラで使われています。

阮咸は四弦楽器で、月の形、ネックが長く24の柱があるリュートです。これもまた秦の時代にできたものです。琵琶の仲間でもあり、地域のオペラや中国のオーケストラで使われています。

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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