#2371 『Tomasz Stanko Quartet/September Night』『トーマス(トマシュ)・スタンコ・カルテット/セプテンバー・ソング』
text by Masahiro Takahashi 高橋正廣
ECM2650
01.Hermento’s Mood
02.Song For Sarah
03.Euforia
04.Elegant Piece
05.Kaetano
06.Celina
07.Theatrical
Tomasz Stanko (trumpet)
Marcin Wasilewski (piano)
Slawomir Kurkiewicz (double bass)
Michal Miskiewicz (drums)
Concert Recording : September 9.2004 at Muffathalle ,Munich
Produced by Manfred Eicher
芸術的な進化・深化を忘れて、マンネリに陥り”芸能化”することを最も忌避するのがジャズのグループの在り方だろう。同一メンバーで20数年もグループを組んだM.J.Q.やD.ブルーベック四重奏団は別格として、グループのマンネリ化自体を活性化させ前進させるのはジャズの場合、いつの時代も新しい血を入れることに始まり、尽きるのだと思う。
既に一家を為した大御所と目されるミュージシャンが若手のリズム・セクションを起用して彼らを育てながら、自身も彼等から大いに刺激を受けてその音楽性を深化させるという営みは何時の時代も不変だ。かつて渡辺貞夫が増尾好秋(g)を、日野皓正が益田幹夫(p)を起用したように。
ポーランドを代表するトランペットの巨匠トーマス(トマシュ)・スタンコ(1942~2018)は1962年に自己のグループを結成、その後はポーランド・ジャズ史上最大の巨人クシシュトフ・コメダのグループに参加して名を挙げた。オーネット・コールマンやジョン・コルトレーン、ジョージ・ラッセルらに影響を受けたとされるスタンコはシリアスでフリー・インプロヴィゼーションも厭わない硬派のスタイリストとして同国のミュージシャンから尊敬を集めていた。
通常、トランペットの演奏スタイルは多くのバッパーがそうであったように、吹奏のエネルギーを集中・収斂させてソロのテンションを凝縮する手法が大勢を占めるものだ。D.ガレスピーやC.ブラウンの演奏を聴けばそれは納得できる。それに対して異色な吹奏スタイルを形成したのがブッカー・リトルだろう。彼のTime盤「Booker Little」を聴くとトランペットから吐き出された音は空中に飛翔し拡散してゆくばかりでエネルギーとして収斂することはない。この異色性を継承したのがイタリアのエンリコ・ラヴァであり、その3歳年下にあたるスタンコではないかというのが筆者の仮説なのだが。
そして本作品を語るに際して最も重要なのがマルチン・ヴォシレフスキ、スラヴォミール・クルキェヴィチ、ミハル・ミスキェヴィチのリズム・セクションだ。今や彼等はマルチン・ヴォシレフスキ・トリオとして21世紀のECMを代表するピアノ・トリオの地位を不動のものとしているが、筆者にはSimple Acoustic Trioを名乗っていた1999年に吹込んだ「Habanera」の中の1曲<Habanera Excentrica>に完全にノックダウンを食らった。
以来、このトリオには注目していてその前1995年吹込みのコメダ曲集「Lullaby For Rosemary」も好盤であった。ECM移籍後当初は彼等のオリジナリティが充分に発揮され、2004年の「Trio」も聴き応えがあったが、2008年の「January」辺りから次第にECM的に漂白された感が強まったのは少し残念だが、それはまた別の話。
スタンコは当時若手であったマルチン・ヴォシレフスキ・トリオを引き入れて1993年から自己のグループとして活動している。本作品は当時60歳のスタンコがグループ結成後10年という脂の乗り切った時期に米欧で大規模なツアーを行った際のライヴ音源。しかしライヴ音源にもかかわらず観客のノイズを極力抑えて、彼等の清浄な音楽性に寄り添ったアルバムにしている点が如何にもECMらしい。フリー・インプロヴィゼーションの05<Kaetano>を除きスタンコのオリジナル曲となっている。
クルキェヴィチのベースにいざなわれてスタンコのオープンな吹奏が始まる01.<Hermento’s Mood>はヴォシレフスキ、ミスキェヴィチの2人が加わることで密度感を挙げてゆくが、スタンコの熱量に対してクールネスを持続しているのがヴォシレフスキ以下のリズム・セクションでこの辺りのバランスが絶妙なのだ。
02.<Song For Sarah>はピアノのテンポ・ルバートが実に美しく、スタンコの哀愁感に溢れたメロディラインが心に刺さる。やはり女性の名が付けられた曲にはリリカルな名曲が多いことがここでも証明されている。ヴォシレフスキの瑞々しくも抒情的なピアノを味わうには好適な1曲。
続く03.<Euforia>はクルキェヴィチのベースが雄弁に語り始める。スタンコのエネルギッシュなブロウが煽り立てるのに呼応するかのようにヴォシレフスキがシリアスでカッティング・エッジなソロで応戦。このグループのスリリングな一面が良く出ている演奏だ。スタンコのソロはハイテンションでブリリアントなものだが、そのフレーズは断片性が強く何処か拡散的だ。
スタンコが04.<Elegant Piece>で見せる静謐な世界は彼のトランペットの自由に飛翔する拡散性が遺憾なく発揮されたと言えるだろう。プロデュ―サーのM.アイヒャーも気に入ったのではないか。ヴォシレフスキの才気を感じさせるソロワークも必聴。
4人共作名義の05.<Kaetano>はフリーとは言ってもすこぶる纏まりの良いトラックであり、長年演奏を共にしてきた彼等のインタープレイの完成度と集中力の高さが存分に発揮されている点が特筆されよう。
06.<Celina>はトランペットのテンポ・ルバートで始まる。ドラマチックでアンニュイなテーマからスタンコの屈折感のある抒情性が滲むようだ。インテンポとなってヴォシレフスキ・トリオが軽快な疾走感を示すのに対してスタンコは安易に追従しない。寧ろ彼等を自由に泳がせる度量を見せつけているように超然とした吹奏に徹している。
アルバムのラストとなる07.<Theatrical>は低音・低速で始まるメランコリックな印象のナンバー。スラブの伝統性が何処かに潜んでいるのかもしれない。Theatrical=「芝居じみた、不自然な」が意味するものは何か、それは聴き手に委ねられるばかりだ。途中、スタンコが爆発的なブロウを展開すれば、ヴォシレフスキはクールダウンに徹するという枠組みがアルバムのフィナーレを彩る。
本作品、改めて思うことはスタジオ録音かと思う程に全員の緻密で理性的な集中力が素晴らしく、ライヴ盤らしくないアルバムの統一感に優れている。この時のコンサートツアーが如何に充実したものだったかを物語っている証に相違ない。スタンコは2018年に惜しくも彼岸へと旅立ったが、その薫陶を受けたヴォシレフスキ・トリオは間違いなく21世紀の欧州ピアノ・トリオの中核として、これからもその存在感を増して行くことだろう。
細かいことだが曲間のブランクも通常より長く取られていて、無音の美を追求するECMらしい配慮がなされていることも本作品の特徴として挙げられる。
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