#1388『Stephan Crump | Ingrid Laubrock | Cory Smythe / Planktonic Finales』
text by Narushi Hosoda 細田成嗣
Intakt Records – Intakt CD 285
Stephan Crump: Acoustic Bass
Ingrid Laubrock: Tenor and Soprano Saxophones
Cory Smythe: Piano
- With Eyes Peeled
- Tones for Climbing Plants
- Sinew Modulations
- Through the Forest
- A House Alone
- Three-Panel
- Submerged (Personal) Effects
- Pulse Memory
- Bite Bright Sunlight
- As if in Its Throat
- Inscribed in Trees
Music by Stephan Crump, Ingrid Laubrock and Cory Smythe.
Recorded August 13, 2015, at Oktaven Audio, Yonkers, NY, by Ryan Streber.
Mixed by Stephan Crump at The Butler Plaza, Brooklyn, NY. Mastered by Liberty Ellman at 4D Studios, Brooklyn, NY.
Cover art and graphic design: Jonas Schoder. Liner notes: Christoph Wagner.
Photos: Richard A. Ingebrigtsen (Plankton), Stephan Crump & Ingrid Laubrock (Musicians).
Produced by Stephan Crump, Ingrid Laubrock, Cory Smythe, and Intakt Records, Patrik Landolt.
スポンティニアス・コンポージングの可能性
昨年リリースされたリーダー作『Serpentines』も話題を呼び、いまやニューヨーク・ダウンタウンにおけるアヴァンギャルドなフリージャズ・シーンに欠かすことのできない存在となったサックス奏者イングリッド・ラウブロックと、メアリー・ハルヴァーソンとのデュオやヴィジェイ・アイヤー・トリオのベーシストとしても知られるステファン・クランプ、そして現代音楽の世界で活躍しながらもフリージャズ・シーンとの交流も持つピアノ奏者コーリー・スマイゼの3人による、全十一曲のトリオ・インプロヴィゼーションを収めたアルバムである。ただしインプロヴィゼーションと言っても、それは全く事前の準備が無い状態でなされたわけではないようだ。ライナーノーツによれば2015年の初夏、ラウブロックはクランプおよびスマイゼとセッションを行うために、二人をブルックリンにある彼女のリハーサル・スペースに呼び込んだ。そのときに手応えを感じたため、後日もう一度セッションを行う機会を設けた際に、クランプの提案から直接スタジオに入って演奏を録音することになり、この3人の共演を収めた初めてのアルバムが生み出されることとなった。そこでは一度めのセッションから得られた様々なアイデアが、試行錯誤を経ながらも、いくらか方向付けられた即興演奏として実践されることになったのである。
たとえば響きと響きを折り重ねていくようなやり取り、点描的なフレーズが火の粉のように飛び交うサウンド、あるいはときにフォービートな演奏にもなり、さらには激しく炸裂するフリージャズ・セッションも行われる。そうした数々のアイデアが即興演奏のヴァリエーションの豊かさとして結実しているとともに、それらがどのセットにおいても、かつてギャヴィン・ブライアーズが批判したような即興演奏のマンネリズム――興奮と弛緩の単調な繰り返し――を回避するかのような構成的なありようをみせているのは、優れた即興演奏家であるだけでなく作曲家としても特異な才能を発揮する三人の個性が、ここでは自然発生する音の構造化として現れているからなのだろう。それをライナーノーツを手がけたクリストフ・ワーグナーは「スポンティニアス・コンポージング」と呼んでいるが、あらためて述べるまでもなく、即興音楽における自発性の称揚はなにもいまに始まったわけではない。しかし60年代にジョン・スティーヴンスが活躍していたころの「スポンティニティ」が、作曲のヒエラルキーに対する演奏の権利奪回に向けたものであったとするならば、ここではすでに同等の権利を獲得した作曲と演奏が、より柔軟なかたちで自発性を発揮することへと向けられているように思われる。それは作曲の否定や即興の称揚というよりも、インプロヴィゼーションによって現れるだろうオルタナティヴな構造化への探求である。少なくとも本盤に残された有機的に発展していく「即興音楽」は、そうした行為のありようを物語っている。