#1590 『ARASHI (Akira Sakata, Johan Berthling, Paal Nilssen-Love) / Jikan』
text by Kazue Yokoi 横井一江
PNL Recordings PNL045
Akira Sakata 坂田明 (as, B♭cl, vo)
Johan Berthling (b)
Paal Nilssen-Love (ds, per)
1. Saitaro-bushi Arashi
2. Jikan
3. Yamanoue-no-Okura
4. Tsuioku (Remembrance)
Recorded Live in Concert at Pit Inn, Tokyo, Japan, September 11th 2017
冒頭のチリリリ、リーンと打ち鳴らされた鈴の音が不穏な空気を予感させる。近年、ヴォイスによる表現に一層磨きがかかった坂田明が<斎太郎節>を唸りはじめた。言葉が、歌が、即興的にデフォルメされ、ヨハン・バットリングの軋む音やニルセン・ラヴの打音と絡み合っていく。決して荒々しくはないが、不気味さを孕んだサウンドは、板子一枚下は地獄、そのような海原を想起させる。演奏はもちろんそれで終わらない。哀愁を湛えたサウンドからやがて錐揉みするように咆哮するアルト、唸りを上げるベースと加速するドラム、<Jikan>を過ぎて、疾走する怒涛のサウンドがフリージャズの本懐を聞かせる<Yamanoue-no-Okura>。これは山上憶良のことだろうか。語りとも朗唱ともつかないヴォイスは黄泉の国からの言霊のようでさえある。そして、シンバル音が拓いた空間にクラリネット特有の情感を漂わせる<Tsuioku (Remembrance)>で終わる。暴風雨あり、凪あり、あっという間に時間は過ぎ去っていった。
坂田明と北欧の2人ヨハン・バットリング、ポール・ニルセン・ラヴとのトリオ「ARASHI」は、フリージャズ特有のダイナミズムと緩急自在な表現によって、我々をその音世界に引きずりこむ。そこに今日的なアクチュアリティを感じるのはなぜだろう。フリージャズという表現形式は、スタイルではなく、演奏者の表現がダイレクトに反映される音楽だからだ。3者による演奏はフリージャズの今日的な有効性をよく表していると言っていい。本盤では、坂田の『平家物語』以降さらに深まった言葉/声による表現とフリージャズとの抜群の相性が、よりドラマティックな音世界を表出していた。かつてのフリージャズ草創期の荒々しいサウンドからは、アメリカで公民権運動、各国で学生運動などが起こった時代性を反映させた「怒り」が聞き取れた。だが、「ARASHI」のサウンドからは言い知れぬ不安感・不穏感を私は感じるのだ。それは「ARASHI」というバンド名がもたらした錯覚なのだろうか。いや、あちこちで箍(たが)が外れたような現代の諸相のなかで、私が今そう感じているからなのかもしれない。いずれにせよ、時代やそこに生きる人と共振してこそフリージャズなのだ。