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CD/DVD DisksNo. 218

#1301 『内田修ジャズコレクション 人物VOL.2 宮沢昭』

岡崎市立中央図書館  OUJC-004

 

1.Rainbow Trout
宮沢昭(ts) 中牟礼貞則(g) 稲葉國光(b) 佐藤允彦(p) 小津昌彦(ds)
1976.6.24 ヤマハ・ジャズ・クラブ第73回~ハロー・マイ・フレンド

2.Rainbow Trout
宮沢昭(ts) 佐藤允彦(p) 望月英明(b) 森山威男(ds)+brass section
1987.11.14 ヤマハ・ジャズ・クラブ第119回~宮沢昭リサイタル

3.Tune for Takako
宮沢昭(ts) 渡辺香津美(g) 井野信義(b) 佐藤允彦(p) 日野元彦(ds)
1981.10.18 ヤマハ・ジャズ・クラブ第100回記念コンサート

4.After the Storm -Rehearsal-
5.King Salmon -Rehearsal-
6.Blue Lake –Rehearsal-
7.Cat Fish –Rehearsal-
8.Cat Fish –Rehearsal-
宮沢昭(ts) 佐藤允彦(p) 井野信義(b) 日野元彦(ds)
1981.3.20 ドクターズ・スタジオ

9.Improvisation
宮沢昭(ts)
1987.5.16 葵博-岡崎’87 ジャズ・ファミリー・イン・オカザキ

録音:内田修
監修:佐藤允彦

 

2013年に始まった「内田修ジャズコレクション」のCD化シリーズが4作目を迎えた。監修者にピアニスト佐藤允彦を迎え、時間をかけた慎重な準備作業を経てリリースされるCDは毎年1作ずつ、このアルバムが4作目になる。シリーズは2本立てで、「カタログ」編と「人物」編に分かれ、「カタログ」編が『60’s』と『late 60’s』、そして、「人物」編の『高柳昌行』に続く第2作がこのアルバム『宮沢昭』ということになる。

日本のジャズにとってかけがえのない恩人のひとり“ドクター・ジャズ”こと内田修 (1929年生まれの86歳だが、数年前まで好きなミュージシャンの生演奏を聴きに東京のジャズ・クラブにまで足を運んでいた) が、生涯を賭けた膨大な内外のジャズ・コレクションは、岡崎市図書館交流プラザで展示・公開されているが、その音源のなかからコレクションの存在意義を広くアピールし、日本のジャズ史を演奏で補完する目的で始まったCD化シリーズである。

音源は、内田が遠く東京まで足を伸ばして録音した東京・銀座の「銀巴里」で行われた高柳昌行を中心とする新世紀音楽研究所によるセッション(後に『幻の銀巴里セッション』として公表)を始め、1964年自宅地下に設営されたドクターズ・スタジオでのプライベート・セッションの録音、同年スタートした名古屋でのシリーズ・コンサート「ヤマハ・ジャズ・クラブ」のライヴ録音等々、その貴重な記録は日本ジャズ史のドキュメンタリーの重要な一角をなすといっても過言ではないだろう。

今回取り上げられた宮沢昭は、1927年松本生まれ(2000年没)。軍楽隊を経て、テナーサックス奏者として戦後の米軍将校クラブなどを巡演したのち、ビッグバンドやコンボでの活躍を通じて日本のモダンジャズの胎動期を支えたひとり。

同時期を生きたスタープレーヤー松本英彦 (1926~2000) の陰に隠れがちだった宮沢昭だが、その実力は衆目の認めるところで、このアルバムのリリースで彼の存在が再認識されるに違いない。

アルバムは内田がプロデューサーを務めた「ヤマハ・ジャズ・クラブ」での3曲と、内田が経営する外科病院脇の自宅地下に設営されたドクターズ・スタジオでのリハーサルから5曲、最後は岡崎市で開催されたイベントにおけるソロ・インプロヴィゼーションから構成される。

宮沢のスタイルはいわゆるポスト・バップで、同年代のデクスター・ゴードンやコルトレーン、ロリンズの影響を受けつつも独自のヴォイシングやフレージングを獲得したと認められている。このアルバムにはカリプソが2曲(<Tune for Takako ><Cat Fish>)収録されていたり、ソロに<Now‘s the Time>(Rainbow Trout) や<モリタート>(Improvisation) のフレーズが飛び出すところからロリンズを彷彿するファンもいるだろうが、よりシリアスでストレートアヘッドな演奏を聴かせるところは宮沢の性格が反映されたものといえるだろう。

このアルバムで宮沢の女房役的役割を務めるのはピアノの佐藤允彦で、解説によると宮沢と佐藤の結びつきは、宮沢が一時在籍していた「ジョージ川口とビッグフォー」だという。59年、高校2年の佐藤がジョージ川口に抜擢されてビッグフォーの一員となって宮沢と出会い、宮沢は81年の復帰作『マイ・ピッコロ』のピアニストに佐藤を指名する。宮沢が佐藤の実力を認識していた証である。その佐藤が35年後にバンマスだった宮沢のドキュメンタリー・アルバムを編む、巡り合わせである。

各曲で佐藤を始め渡辺香津美などバックを務める面々のソロも楽しめるが、ある意味で別の楽しみは5曲のリハーサル演奏である。演奏の合間の打合せ、宮沢はもちろん、佐藤や今は亡き日野元彦の肉声が収録されているのだ。胸を熱くするファンもいるに違いない。
ちなみに、いわな、山女魚、虹鱒(レインボウ・トラウト)、キング・サーモン、鯰(ナマズ、Cat Fish)など魚に由来するアルバム・タイトルや曲名が多いのは、宮沢の趣味が「釣り」だったことによる。

 

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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