#1659 『Evan Parker, Barry Guy, Paul Lytton / Concert in Vilnius』
『エヴァン・パーカー|バリー・ガイ|ポール・リットン/コンサート・イン・ヴィルニュス』
text by Yoshiaki onnyk Kinno 金野onnyk吉晃
NoBusiness Records NBCD 123 / 2019
Evan Parker – soprano and tenor saxophones
Barry Guy – bass
Paul Lytton – drums
1.Part I 14:51
2.Part II 22:06
3.Part III 16:59
4.Part IV 03:32
Music composed by Evan Parker, Barry Guy (PRS/ MCPS/PPL) and Paul Lytton (GEMA)
Recorded in concert at Vilnius Jazz Festival, 15th October, 2017 at Russian Drama Theater, Vilnius, Lithuania
Sound Engineer – Valdas Karpuška
Mixed by Evan Parker
Mastered by Arūnas Zujus at MAMAstudios
Produced by Danas Mikailionis
Co-producer – Valerij Anosov
ここで紹介するのは2017年のライヴ演奏、No Business Records の本拠地リトアニアのヴィリニュスでの記録だ。
手元に今から約30年前のこのトリオの録音がある。アメリカはアトランタでの録音だ。
この時期のエヴァンは今聞いても最高のサックスである。驚くべき集中力とその持続。彼のサウンドは油の切れた幾つかの歯車が高速で回転しているような、軋みと摩擦の連続だった。
その後、彼のソロは次第にある種の調性を得るようになり、私には少し不満が生じた。
デレク・ベイリーが、自らのイディオムとクリシェとサウンドを発明していったその過程と、エヴァンが自らのスタイルを確立した経緯は全く異なる。多くのサックス奏者が、いかにバードの、あるいはトレーンの影響から脱しようか、またはそれに近づくべく努力してきたのに対し、エヴァンはFMPの精鋭達との共演そして、ジョン・スティーヴンスのSMEへの参加から新たな方途を見いだした。それはオーネットやドルフィーとも違う。もしサックスで12音主義を用いたアドリブをやろうというなら、おそらくすぐ手詰まりになるだろう。サックスはギターほど音域が広くない。それでも曲としてならば、リー・コニッツがすでに49年あたりに挑戦している。
フリージャズからの脱却は、まずサウンドそのものの変革だった。そのヒントは民俗音楽に多数見いだされた。例えばディジュリドゥはまさにそうしたモデルの典型だろう。循環呼吸で倍音を利用しながら演奏する。チベットの大腿骨製の管楽器キャンリンもそうだ。指穴のない、つまり口唇と息によってしか分節できない、そして豊かな倍音を含むサウンドは、実は近代音楽が拒否、排除して来たものであり、それを引き継ぐジャズでさえなかなか容認しないものだった。エヴァンは幾つかの自作楽器を作っているが、それはリットンとの共演で多数使用された。
先ほど、エヴァンの調性回帰に不満だったと書いたが、その危惧はあたった。つまりエヴァンはその後電子機器を多用して自らのサウンドを拡散して行く方法をとった。つまり管楽器を原初に帰すというユニークさは、ここで一気に方向転換した。まあ見方によってはマイルスが電化サウンドを採用したのにも近いのかもしれない。
リットンもまたドラマーであるより先に「音色主義」のパーカッショニストであった。60年代後半のエヴァンとのデュオを記録したEmanem のアルバムには当時彼が使用した楽器の写真が見えるが、奇天烈な複雑怪奇さがある。彼と話したとき、一時は百キロにもなり、移動だけで大変だったという。こういう傾向は当時のハン・ベニンク、フランク・ペリー、トニー・オクスリーにもあったが、リットンはかなり極端だった。2017年の同トリオのライヴ演奏、最も意外性があったのは、リットンのサウンドのシンプルさである。勿論幾つかのエクストラなパーカッションは聞こえるが、基本的にはコンベンショナルなドラムセットだと言われてもおかしくない。そしてそれ故に彼のテクニックが却ってよく聞こえるのである。実に小気味よい。パウル・ローフェンスとバリー・アルチュルの中間にあるようなサウンドだ。
バリー・ガイも不思議な音楽家である。ここに聞くような様々にプリペアした弾けるノイズの発散と、鋭いボウイング、またスラップともいえるような激しいピチカートの連続は彼の持ち味であるが、ロンドン・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラのリーダーとして何枚かアルバムを発表しており、そのどれもが強靭な構成力を感じさせる。そしてまた夫人で、ヴァイオリニストのマヤ・ホンバーガーとの協力によるレーベルではバッハなどの作品もリリースしているし、共演もある。
いずれ三者とも60年代半ばから弛むこと無く、即興演奏の可能性を拡大してきた英国人である。その演奏の質も全く落ちていない、といえば言い過ぎかもしれない。しかしそれは個人の趣味志向の範囲の問題であろうか。
残念ながら私は過去に取り憑かれた亡霊のような批評しか書けないのである。
おかしな言い方をすれば、エヴァンのサウンドは30年前に比較すれば、油のよく乗った歯車がゆっくりと回転しているような、滑らかな時計のメカニズムを感じさせるのであった。これが時の流れであろうか。
エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、ポール・リットン、マヤ・ホンバーガー、ロンドン・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラ