#2042 『Takayuki Hashimoto / CHAT ME』
『橋本孝之 / チャット・ミー』
text by 剛田武 Takeshi Goda
Nomart Editions CD:NOMART-117
橋本孝之 Takeyuki Hashimoto : g, as
01 CHAT ME (Flamenco guitar solo) 21:33
02 CLOUDY BLUE (Alto saxophone solo) 26:13
Art direction & Produce: 林聡 Satoshi Hayashi
Art work: 山田千尋 Chihiro Yamada
Liner notes: ミシェル・アンリッツィ Michel Henritzi
Translation: 茨木千尋 Chihiro Ibaraki
Design: 冨安彩梨咲 Arisa Tomiyasu
奏者と楽器のディスタンスを再定義するベッドルーム・インプロヴィゼーション
いわゆるノイズ・ミュージックを形容する際に使われる”物音ノイズ”という言葉がある。ノイズ・ミュージック(単にノイズともいう)とは、1913年にイタリア未来派のアーティスト、ルイジ・ルッソロによる論文『騒音芸術(L’arte dei rumori)』と彼が発明した騒音楽器イントナルモーリをはじめとして、創作楽器や電子楽器などノイズ(雑音・騒音)を出すための機器を用いて演奏されることが多い。そうした楽器を使わず、物体(オブジェ)と物体(オブジェ)が接触するときに発生する具体音を素材とするのが”物音ノイズ”である。そもそも音は何かと何かが接触することで生まれる空気振動が耳殻に伝わることで認知される現象であることを考えれば、殊更に”物音”と言いたてる必要はないはずだが、音を音楽(または音楽用語としてのノイズ)に変えるためには、何らかの人工的な変換作操作が必要だ、という前提(先入観)があるのだろう。
橋本孝之が2020年6月に自宅マンションで独りきりで録音したソロ・アルバムが本作『CHAT ME』。M1.「CHAT ME」はフラメンコ・ギター・ソロ。金属か何かで弦をガサゴソ擦ったり叩いたりする音が続く。音程のある楽音は全く聞こえない。M2.「CLOUDY BLUE」はアルトサックス・ソロ。こちらは時々楽器の音が聞こえるが、連続したフレーズを奏でることはなく、管の中を通る息が気紛れに嗚咽や軋みを生じるだけで、あとは空気の通過音やサックスのキーをパタパタと開閉する音や楽器のボディを叩く音が続くばかり。楽器演奏というよりも、楽器という物体(オブジェ)を用いた物音ノイズと言っていい。にもかかわらずこの作品がノイズ・ミュージックではなく、紛れもない即興演奏として成り立つ理由は、物体の一方が橋本孝之の肉体であり精神であるからだ。
2014年のギター・ソロ作『Sound Drops』ではギターに内蔵されたオルゴールのネジを巻く音、2016年のハーモニカ・ソロ作『SIGNAL』では唇がハーモニカと接するリップノイズと、これまでに橋本は楽音を使わない音楽作品を発表してきた。それらと本作が異なる点は、音の距離の近さである。実際にどのように録音されたかは分からないが、CDを聴く限りではマイクロフォンを音源(楽器と橋本の指)に密着させて録音されたように聞こえる。スピーカーで聴くと音が耳元で鳴っているように聞こえるし、ヘッドフォンで聴くと頭の中にギターやアルトサックスを置いて、橋本が耳から指を入れて弾いているように感じる。微小な画像を顕微鏡が拡大するように、微弱な音がマイクロフォンで拡大されて聴き手に密着するように聞こえるのである。
感染防止対策でソーシャル・ディスタンスが叫ばれ、人と人の距離が問題視された2020年、橋本孝之が挑んだのは、楽器との距離を最小限に縮めて自分と楽器(=音楽)との関係を再定義することではなかろうか?『CHAT ME』=自分とおしゃべり、とはノマル・ディレクターの林聡が直感で閃いたタイトルだというが、楽器の立場に立てば「自分とおしゃべりしようよ」という誘いになる。人間に近づくことが禁止されたならば、楽器と触れ合えばいい。自分と楽器の独り語りをSNS代わりにCDとして世界に拡散すればいい。ポップスの世界では、自分の寝室で宅録によって作った音楽を「ベッドルーム・ポップ」と呼ぶが、『CHAT ME』はいわば「ベッドルーム・インプロヴィゼーション」と呼べるだろう。しかしながら、これまでの橋本の楽器へのアプローチを考えれば、コロナ禍がなくても遅かれ早かれこのような作品を作ったであろうことは想像に難くない。(2020年12月29日記)
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