#2165 『土取利行/サヌカイト・ライヴ』
text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野Onnyk吉晃
立光学舎レーベル RG-19 ¥3,300(税込)
演奏:土取利行(サヌカイト)
1.石占 (いしうら) Ishiura 13’ 41”
2.石逕 (せっけい) Sekkei 7’02”
3.石舞 (いわのまい) Iwanomai 14’ 24”
4.石壺 (いしつぼ) Ishitsubo 6’15”
使用楽器:サヌカイト 、ガタム(南インドの壺太鼓)
サヌカイト 提供:宮脇磬子
1984年 日本楽器高松ホールでのライヴ
編集:赤塚俊一
マスタリング: 鈴木浩二
プロデューサー:桃山晴衣
『なるいしや かみよはとおく なりにけり』
1983年3月13日、私は土取利行さんを盛岡に呼んだ。ソロライブを企画したのである。土取さんは新幹線で先に盛岡入りし、ドラムセットその他がバンで運 ばれる筈だった。ところが予期せぬ大雪が降った。この時期の盛岡では無い事ではない。楽器到着が遅れている事を聴衆に伝える。そして開演数分前、ドライバーから会場に電話が入った。サービスエリアに足止めされ、1時間以上遅れる見通しだと言う。 それを告げると土取さんはこともなげに「では会場にある臼を使わせてもらおうかな」と言う。この店の数個のテーブルは大きな臼の上に板を載せただけのものであることを見抜いていた。店主に話すと面白いと思ったのか了承された。 店主は額縁製作もしていたので、丸い木の棒を30センチほど、二本切ってもらった。 土取さんは、それで叩いて臼を二つ選ぶと、「楽器が届くまでこれでやります」と説明し、何の気取りも無く叩き始めた。
二つの臼が小気味良く語りだした。 臼も棒も当たる位置によって音は様々に変化する。単純かつ複雑。聴衆は始め 驚き、そして妙技に吸い寄せられて行った。これはどこかの部族音楽、トーキ ングドラムそのものだ!
40分ほど、臼の演奏が続くと土取さんはいきなり唸りだした。それはゆっくり倍音成分を膨らませ、遂には二つの声となって木製の高い天井に響きだした。 これが私の最初のホーミー経験である。ひとしきり歌い終わって、第一部が済 んだ。丁度車が着いた。 土取さんは衣装も替え、いつものドラムセットと、肩からかける太鼓を用いて、後半を盛り上げた。しかし正直言って前半の面白さに圧倒されてしまったのは私だけではないだろう。 演奏後私は色々な事を質問した。そして土取さんは丁寧に答えてくれた。「臼だろうと壷だろうと、空間のあるものは、そこに神を呼び込むということ によって鳴る」
「その空間に種のようなものが入っているとなお良い」「ホーミーは決して常人が真似して良いものではない。現に僕もこれをやると 首が腫れてしまう」といって触らせてくれた。もっと色々な話をしただろうが覚えているのは僅かだ。いずれこれほど印象的 だったライブもそう無い。まさにヒョウタンから駒であった。
玄米のエナジーを吸収し、サウンドのパルスを放射する土取。ミルフォード・グレイヴスと共感し、ピーター・ブルックと共同し、彼は常に、現在の生活に失われたアニマ、身体の根底に潜むクンダリニを導きだそうとする。それがときにカルトな姿に見えても仕方がない。なぜなら彼は、声をだし~sing、手をたたき物をうちならし~rhythm、脚を踏み鳴らし髪ふりみだす者~dance、自ら高め何物かに変わり~trance、衆をして共感せしむる者~shaman なのだ。
土取少年は、村祭りの太鼓の太鼓に夢中になった。 ムラ社会の祭礼とは一年というサイクルを意識させるものだ。そうでなければ、 ムラはアルカディア(理想郷)ではなく、ユートピア(存在しない場所)となり、時の流れが止まる。時が流れなければ事物は存在せずユーフォリアは死の 別名となる。ムラ社会の精神象徴的中核をなすのは祭礼とそれに伴う芸能である。この事実 は、天災の多い我々の生きる時代、瓦解した共同体の再建において、多くの人に再認識されている。土取が、幻のコミュニティ、そのモデルとしての古代社会に注目したのは故なきことではなく、土取少年のノスタルジーとロマンチシズムは燠火のように燃え続けている。そこにはヒューマニズムもデモクラシーもいらない。五線譜も録音技術もない。ロゴスの権威は消滅し、マントラだけが耳に聞こえずに響いている。
1万年つづいた縄文時代。西欧ならばケルト期、環境と生活と信仰と娯楽が一体だった。その期間に徐々に分離が進んでいった。 思えば、土取利行が高木元輝と 1975年に製作したアルバム「オリジネイション」のジャケットには、縄文時代を象徴する遮光器型土偶の図像が据えられている。用途不明の多孔縁土器を、本来皮を張った太鼓であると、また銅鐸を一目で祭祀楽器であると見抜いた土取の慧眼は、土産物屋にあったカンカン石=サヌカイトの本質に気づいた。土取は民俗学者ミルチャ・エリアーデを引いて、人類の石への信仰を、自らの子供時代の石鏃への熱中を告白する。宮沢賢治が「石っこ賢さん」と呼ばれた事も連想させる。また中沢真一の父が 行った丸石神信仰の研究も。縄文、弥生、旧石器時代への憧憬、いや回帰を宿命とする音楽家土取利行は、その故郷讃岐でサヌカイトに出会う。 石器の材料として古代人に珍重されたサヌカイトは、明治以降、長尾猛、宮尾 磬子父娘によって仏教音楽の打楽器「磬」(けい)として用いるべく採取、研究 された。
また 1964年の東京オリンピックで、選手村食堂に流された音楽は秋山邦晴(高橋アキの夫)がサヌカイトを用いて作曲した。
このアルバム、1984年高松でのライブで用いられているのは宮脇磬子氏より提供された選りすぐりのサヌカイト群であり、1 メートルから 10数センチまでの 多様さがある。これを殆どは生木の撥で打ち、あるいは指先でも奏したという。「石占」(いしうら)はグラミー賞にもノミネートされたという。邦楽的な平調子を思わせる音階で、まさに序破急といえる展開がよどみなく響き渡る。「石逕」(せっけい)は「小石の多い道」を駆け抜けるような軽やかさがある。 「石舞」(いわのまい)は音律が変わり、ガムランやアフリカの打楽器群を思い 出させる。土取の心身の躍動が伝わってくる。そして石達が歌っている。 最後の「石壷」では南インドの壷太鼓ガタムも使われる。この太鼓には皮が無 い。開口部を手で押さえ、その広さで内部の共鳴を変えて様々な音を出す。J.マクラフリンとシャクティや、J.ハッセルとイーノにも用いたアルバムがある。ここで土取は小さなサヌカイトを微細な音で絡ませている。古代人ならずとも壷を叩いて酒宴を盛り上げることもあろう。 全ての音楽、楽器は生活に結びついている。
物質的支配は唯物論的世界を、精神的支配は精神論・神秘的世界を招来する。生産は血縁から生じ、氏族は結縁から生まれる。流通は空間・地理的支配とな り、時下って地政学となる。 暦・天文・気象を読むことは時間の支配となる。暦を創らぬ政権は早晩滅ぶ。
人為でままならぬことを天と交わす存在を巫覡(ふげき、シャーマン)と呼ぶ。 そして最も天意通ずる者は王と呼ばれる。 巫覡は山に登り、磐座(いわくら)に籠り、巨岩を崇拝する。原初の磐座の形は女陰に似る。また巨石、丸石信仰は、旧石器時代のドルメン、ストーンヘン ジ、石棒に通じ、これを中心に建てるストーンサークルはヒンズーのリンガム (男根)信仰に似る。建築の始まりである。 そして神域~神殿建築は空間芸術であり、オブジェ(立体造形・建築)となる。 一方時間芸術は音楽・舞踊となる。そして両者を繋ぐのは言霊~聖音~真言で ある。 政治と信仰、生産と宗教。それらは言霊ではなくロゴスによって運営される。 しかし無事に運行するには祭祀としての音楽・舞踊を必要とする。 神を、精霊を、祖霊を降ろし、また帰す。その場は結界で示される。注連縄と 紙垂(しで)は、雲と稲妻の象形である。その中で反閇(へんばい)が為され ると、音響にのって舞踊になる。舞いは捧げものであり、踊りは共同体の同調 性である。 音響と動きは振動である。それは空気と大地を媒体とする。空震としてのウタ、 鼓、そして地震としての舞踊。 かくして邪気祓いと、神霊の召喚、勧請が為される。 人やモノ、あるいは地域を統べるものは王だが、時・暦の支配をするのはシャ ーマンとしてのマジシャン~ミュージシャンだ。
音楽は確かに時とともに大気に拡散する。しかしそれをまた召還することさえもできるのだ。その依代としてのサヌカイトが再び鳴り渡る。貴方のスピーカーから、ヘッドフォンから。
土取利行、サヌカイト