#2257『藤井郷子ピアノ・ソロ/トレント』
『Satoko Fujii Piano Solo/ Torrent』
text by Masahiro takahashi 高橋正廣
Libra 201 072
Satoko Fujii (p)
1. Torrent 07:24
2. Voyage 12:06
3. Light on the Sea Surface 10:28
4. Cut the Painter 10:05
5. Horizon 05:33
6. Wave Crest 07:15
Recorded on October 10, 2022 at IYO Yume Mirai kan bunka hall by Toshihiro Toyoshima, Akio Ishiyama, Naofumi Sato, and Mitsuru Itani.
Mixed on November 19, 2022 by Mitsuru Itani.
Mastered on February 2, 2023 by Mike Marciano, Systems Two, NY.
Produced by Satoko Fujii
Executive producer: Natsuki Tamura
かつてビル・エヴァンスは1963年『Conversaton With Myself』というオーバーダビングを多用した全編ピアノソロのアルバムをリリースしてジャズ界に大きな驚きを与えるとともに称賛をもって讃えられた(事実、このアルバムはグラミー賞を受賞している)。だがそれは多重録音という手法によってもう一人の自己と競演するところから生じる自己完結型の予定調和的スリルであり自己陶酔ではなかったかという疑問が付いて回ることも事実。
爾来、多くのピアニスト達がソロピアノを手掛けるようになった。1969年に西ドイツでマンフレート・アイヒャーによって創設されたECMレコードはキース・ジャレットを始めチック・コリア、リッチー・バイラーク、ポール・ブレイら気鋭のピアニストのソロアルバムを次々とリリースしてレーベル自体の価値と独自性を確保するトレジャーとなったことは特筆される。
しかしながら、これらのピアニスト達は自身の楽曲をより純粋な形で表現するためにソロという形式に至ったというべきであろう。“表現方法”としてソロを選択するという行為には他者 (共演者) を入れず表現者としての絶対的主体性が確保されている中で楽曲を客観視して “演奏としての完璧性を追求する” ことに他ならない。
藤井郷子は1958年東京生まれ。4歳でピアノを始め高校まではクラシックの基礎を身に付けたがジャズと即興演奏に開眼。藤井の20代は板橋文夫に師事してジャズの基礎をみっちり学んだ期間となる。1985年には渡米してバークリー音楽院へ入学。2年後卒業すると更にニューイングランド音楽院でジャズパフォーマンスの単位を取得する傍ら、ポール・ブレイと親交を深め彼のレッスンを受ける。そして藤井はポール・ブレイとのデュオ作品『Something About Water』(1996)でアルバム・デビューを飾るという幸運に恵まれる。この共演で藤井は「少しずつ自分を受け入れることができるようになった」と述懐していて鬼才ポール・ブレイが彼女に与えた影響の大きさが偲ばれる。
藤井の幸運は更に続き同年には初のソロピアノ作品『Indication』を吹込んでいる。筆者は熱心な藤井郷子ファンとは言えないのだが、この『Indication』は何故か保有しているので今回の『Torrent』と比較しながら筆を進めることをお許し頂きたい。
さてそれからの藤井は実に多彩かつ精力的な創作活動を展開。自己のジャズ・オーケストラを日本各地およびニューヨーク、ベルリンで率いる一方、夫君田村夏樹(tp)とのカルテットを始めとしてピアノ・トリオでのアルバムなどそのエネルギッシュな活動は100枚を超えるアルバムとなって結実している。マイルス・デイヴィス、ビル・エヴァンスといった超ビッグネームでもリーダー作は3桁に乗るかどうかという中で失礼ながら藤井のキャリアからすればその数は群を抜いている。
この旺盛な制作意欲は一体どこから来るのだろうかというのが筆者の率直な疑問だがご本人に訊くことが出来ない以上、以下は推測でしかない。
その仮説としては藤井郷子というミュージシャンは自分の音楽を創造するという行為を越えて自己そのものをあらゆる束縛から解放することを目的としていてその手段としてピアノを媒介にして藤井郷子という存在が表現されているに過ぎないのではないかということ。
従って人間そのものが常に変化し成長・進化・成熟そして退化してゆく存在である以上、常にそれまでとは異なった眼に見えない情動が藤井の體内に浮上しては沈潜していくのではないか。藤井はただそれを指先を通じて鍵盤に伝えているに過ぎないのではないか、そんな想像が湧いて来る。
よって作られた楽曲や楽想には限りがある一方、己の想念には限界がなく無尽蔵ゆえにそれがそのまま創作意欲という形でアウトプットされるのだろう。
更に2019年に発したCOVID-19のパンデミックによりグループによる演奏活動が大きく制約を受ける中で、藤井は自己と向き合い己を見つめ直すに充分な時間が得られるという思わぬ副産物を手にすることになり、このことも想念の広がりに寄与しているのだ。
そして藤井の103枚目のアルバムとなる本作『Torrent』は2022年10月10日、藤井の友人で支援者である松山市の音楽愛好家井谷満氏を中心とするコンサート・チームの尽力により優れた音響環境を備えた愛媛県 IYO みらい館文化ホールにおいて吹込まれた。使用された楽器はスタインウェイのフルコンサートグランドD-274。
前置きが長くなった。それでは収められた楽曲に耳を傾けよう。『Torrent』には全6曲が収められているが楽曲名は後で付けられたものでそもそも演奏時点では無題の完全な即興演奏。それぞれの曲のモチーフはあるにせよ、それらは藤井が自己を解放するための秘密のキイであり内奥の想念を導き出すトリガーとして存在すると言って良い。
1曲目 <Torrent>。「迸る、奔流」を意味する語そのままに藤井の十指が描き出すのは藤井自身の光と影か。圧倒的なテクニックを持つ藤井の指が心の求めに応じて鍵盤上を躍動する。混沌と怒涛のブラックホールから逃れた一筋の光が藤井の胸へと差し込む瞬間を聴き逃してはならない。
2曲目<Voyage>。静寂の中から滴るのはピアノ線の爪弾きと鍵盤を弾くとともにピアノのボディを叩く複雑な音空間。スタインウェイを縁(よすが)として奏でられるのは時を止めることによって自画像と向き合っている藤井の姿だ。どこまでも奈落へと沈潜してゆく藤井の情念が余すところなく捉えられている。
後半のダイナミックな咆哮にも似た爆発力にも藤井ならではの神秘的なパワーが感じられる。
3曲目 <Light on the Sea Surface>とは漁火のことか。闇の中の海面に浮かぶ漁火の揺らめきを遠望するような錯覚に陥るイントロ。映像的かつ重層的な旋律が流れる中、藤井の内奥に潜む something が蠢くような錯覚をリスナーは追体験することだろう。ここには人間のイメージする暗闇というものがヴィヴィッドに表現されているのだ。これは圧倒的に濃密な世界だ。
4曲目 <Cut the Painter>。透徹した空間へピアノの弦が弾かれる音、ピアノを叩く打音に解き放たれてゆく静寂に満ちた時間こそが藤井のイマジネーションの発露そのものに違いない。静かな高揚感が藤井の體内に満ちてゆきアブストラクトなモノローグへと結集してやがて崩壊してゆく。見方を変えるとピアノという楽器の可能性の全てをえぐり出すようなシュールな破壊力をもった演奏。
5曲目 <Horizon>。山奥に発した一粒の水滴が集まって小川のせせらぎとなりやがて大河となって海へと注ぎ込む。そこに見えて来るのは果てしない水平線であり藤井の魂が遊ぶ空間が拡がる。この曲にはそんなイメージが浮かんでくる。
6曲目 <Wave Crest>。「波頭」と題されたラストナンバーはピアノの低域を多用する幾何学的なモチーフから音塊のうねりへと連続的に拡張し巨大化して藤井の精神が解放されてサドン・デスを迎える。無音の闇だけが続いてリスナーはその中に取り残されるのみ。
ソロピアノ第1作『Indication』では藤井は自作の他に日本の伝統的楽曲3曲を演奏しているが、その姿勢は自己と向き合うべき対象として楽曲を捉え一旦は自己の中に取り込んだうえで咀嚼し再構築して吐露するというもので必然的に表現手段としてのピアノを媒介として藤井と1曲1曲が格闘する形を取ることになるのだと思う。
しかし本作の場合は曲間のブランクはあるものの全体が寄せては返す怒涛のように連続しているのであって1曲1曲の解釈は不毛だということが分って来る。
つまりリスナーには『Torrent』を一つの世界としてそっくりそのまま受容していく姿勢が求められているのであり、そのためには藤井の持つ膨大な埋蔵量の音楽的想念と向き合うだけの覚悟と体力が必要なことだけは最後に申し上げておこう。