ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #31 R+R=NOW <Change Of Tone>
この5月4日にロバート・グラスパーがスーパーバンドを結成し、来たる6月15日に新作を発表するというプレスリリースが公開された。バンド名、またはプロジェクト名は「R+R=NOW」、R+Rとは‘Reflect’ and ‘Respond’のことだそうだ。これはニーナ・シモンの名言、「アーティストの責任は時代を反映し、それに応答することである。」に起因するとグラスパーは説明する。筆者にとってこれは即マイルスだ。マイルスはその時代の要素をかき集め新しいものを生み出す天才だった。グラスパーがそれを継承するということに筆者は胸がいっぱいになる。そして、このアルバムは、最初から最後まで聴いているあいだ中ドキドキさせてくれるのだ。
このアルバムのタイトルは『Collagically Speaking』。このCollagicallyという単語は辞書にないが、コラージュを意味していると思われる。つまり、『寄せ集め的に発言してみれば・・』という意味と判断する。その意図は多分メンバーひとりひとりの個性の強さから、グラスパーの個人的なリーダーバンドではないと表明したいらしい。ただしアルバムに針を落としてみると最初から最後まで100%グラスパーのカラーだ。さて、メンバーだ。グラスパーに関しては過去2度楽曲解説で取り上げているので、そちらを参照頂きたい。
このプロジェクトのグラスパーの相棒は、若手鬼才Terrace Martin(テレース・マーチン)だ。筆者は昨年10月ハービー・ハンコックのボストンでのライヴで、マーティンがアルトサックス、キーボード、ヴォコーダーで参加しているのを見て思いっきりぶっ飛んだ。ヴォコーダーに至っては、掛け合いでハービーのヴォコーダーがマーティンと同レベルに全く達せなかったのを鮮明に記憶している。ハービーの舞台での紹介で知ったのだが、実はマーティンは凄腕のプロデューサーとして有名で、スティービー・ワンダーやスヌープ・ドッグなどを数多く手がけており、ハービーの言い方では演奏の方が副業のようだ。今回興味が湧きマーティンの6作目『Velvet Portraits』を入手した。グラスパーほどの音楽的な斬新さは感じられなかったものの、サウンドはさすがに新鮮だ。冒頭の強いコンプレッサーとオクターバーのかかったアルトサックスや、2曲目で登場するギターソロはヴェロシティーを利用したフィルターを軽くかけ、一瞬ギターソロなのかシンセソロなのかわからないようなお洒落な加工がしてあるかと思えば、3曲目ではヴォーカルにSoundToysのDecapitatorまたはそれに類似したサチュレーション系のエフェクトを使用して、ディストーションを加えている反面、登場するアルトサックスはドライシグナル(録音そのままの未処理音信号)に近く、はっとさせられる。ともかくサウンドの構築に対するアイデアで聴くものを捉えるのだ。
次にトランペットのChristian Scott aTunde Adjuah(クリスチャン・スコット・アトゥンデ・アジュアー)だ。奇妙な形のトランペット数種類の写真で目に止まる彼は、かのドナルド・ハリソンの甥っ子にあたる。マイルス教の信者である筆者にとってトランペット奏者を聴くことはあまりない。例外はクラーク・テリーとランディ・ブレッカーくらいだろうか。そんな筆者でも本誌No.237で取り上げたようにシオ・クローカーは耳に止まった(記事リンク→)。スコットはどうであっただろうか。聴いたことがあったのは2008年のニューポートでのライヴ盤だけだった。印象は、音楽の内容は面白いが、筆者が好むタイム感を楽しむタイプではなかったので、ほとんど覚えていない。今回『Stretch Music』を入手してみた。これは以前の印象と違い、かなり楽しんだ。ただし彼のトランペットのスタイルとしては、このアルバム4曲目の<West Of The West>を聴くまでやはりそれほど興味が湧かなかったが、この曲ではものすごいグルーヴ感を聴かせてくれる。
次にベースのDerrick Hodge(デリック・ホッジ :ホッジというよりはハッジなのだが)だ。これはもうグラスパーの「The Robert Glasper Experiment」でお馴染みの大好きなベースだ。彼はアップライトも完璧にこなすが、彼がグラスパーのトリオで演奏する時のタイム感はがっつりオン・ザ・ビートでグルーヴするタイプなので、筆者としてはエレクトリックだけにすればいいのに、と常々思う。筆者はオン・ザ・ビートのアップライトベースが苦手なのである。ところが、だ。Helen Sung(ヘレン・サン)の2005年の作品での彼のアップライトは、Lewis Nash(ルイス・ナッシュ)のドラムに対しオン・トップ・オブ・ザ・ビートで思いっきりドライブしており、グラスパー・トリオでのタイム感との違いに驚かされる。ホッジは実は作曲家として有名で、スパイク・リー監督映画数本をはじめ、数々の映画音楽を手掛けているだけでなく、シカゴ交響楽団の委嘱でクラシック曲も作曲していることに驚く。彼の2013年発表のソロデビュー・アルバム、『Live Today』ではその作曲とプロデュースの手腕を披露し、続く2016年発表作品の『The Second』ではほとんどの楽器を自分一人でこなし、恐るべき才能を披露している。いや、だが、何はともあれ、彼のグルーヴしまくりベース演奏の姿が、むちゃくちゃかっこいいのだ。
ドラムを担当するJustin Tyson(ジャスティン・タイソン)の情報があまり見当たらない。ホッジ同様「The Robert Glasper Experiment」のメンバーで、YouTubeでは数々の驚異的なパフォーマンスが見ることができる。テクニックだけでなく彼のグルーヴ感はともかく素晴らしい。今回取り上げた『Collagically Speaking』の9曲目<Respond>での彼のグルーヴはおそらく他の誰にも出せないだろう。冒頭からドキドキさせてくれ、失神しそうになる。彼はエスペランザ・スポールディングのバンドメンバーとしても知られているらしいが、筆者は残念ながらそれは聴いていない。全く関係ない話で申し訳ないが、余興話が一つある。エスペランザがまだバークリーの学生だった頃筆者は彼女とブラジル人バンドで一緒に演奏したことが何度かある。彼女はラテン系の血が少し混ざっているというだけでメキシコ語が話せるだけでなく、ポルトガル語もペラペラで、だからブラジル音楽もネイティヴのようにグルーヴしていたスーパーガールだった。ある日彼女の弟が他の州から遊びに来ていて、アルトサックスで飛び入りして来た。とんでもなくすごい演奏をするので、どんな活動をしてるのかと聞くと、なんと音楽は趣味で自分はビジネス専攻で大学に行っている、と。『だって音楽じゃお金稼げないから』だって!なんだか思いっきり悲しかったのを覚えている。
最後になるが、ボビー・マクファーリンの息子、Taylor McFerrin(テイラー・マクファーリン)がシンセとビートボックスで参加している。筆者は彼にも馴染みがない。今回彼の『Early Riser』を聴いてみたが、自己プロデュースのこの作品、最初の2曲のコンプレッサーの使い方に好感が持てず、聴いているのがつらくなった。トランペットのスコットもそうだが、演奏や音楽の内容というよりはサウンドの作り方の面白さがキャラクターになっている最近のコンテンポラリー・ジャズシーンで、このアルバムのようにサウンドの構築がうまく行ってないとなかなか興味をそそられないのが残念だ。昔ならジャズの録音といえば録音が悪くても演奏内容で充分楽しめたものだが、今はアイデアを駆使して音のレイヤーを構築する時代だ。ミックスの聞きづらさをなんとか無視して3曲目を聴くと、音楽的には悪くない、と思ったものの、ここで聴くのをやめてしまった。
『Collagically Speaking』
さて、こうやってメンバーの経歴をみると、なるほどプロデューサー兼作曲家だらけだ。特にグラスパーとマーティンとホッジは功績からしても力関係のバランスが大変ではないかと危惧した。ジャズ・フェスなどでオールスターと銘打って、合わないリーダー格のミュージシャン達をかき集め、全くグルーヴしないステージにがっかりすることがよくある。そんな危惧をよそにこのアルバムのタイトルは『寄せ集め的に言うと・・』、だ。メンバーのインタビューによると、ロスのスタジオに3日間集まり、何も決めずにただ演奏を始めた、つまりこれはジャムセッションから発生したアルバムらしい。届いたプレス・リリースからは誰がプロデュースしたのかわからないが、前述したようにグラスパーのサウンド一色だ。まずグラスパーのヴォイシングやリフはもちろんのこと、サウンドの構築もすっかり『Everything’s Beautiful』を継承している。それともうひとつ、スコットが見事にマイルスしているのである。これはスコットの自己作品からは聞こえなかった要素だ。そして、このスコットの音はフェイザー・エフェクトで上手に処理してあり、マーティンのアイデアを想わせる。なぜならマーティンのヴォコーダーに掛かっているエフェクトと同じだからだ。いずれにせよマイルスをたっぷり印象付けているのにマイルスのサンドにはしていないその手法に感嘆した。
このアルバムには多くのゲストが加わっているが、ラッパー数人の他にオマリ・ハードウィック、テリー・クルーズ、アマンダ・シールズ、ヤシーン・ベイなどの俳優が参加しているのが興味深い。これは最近のブラック・コンテンポラリーのトレンドである「語り」のためだ。アルバムが発売されるまで詳しいクレジットはわからないが、6曲目<The Night In Question>、9曲目<HER=NOW>、11曲目<Been On My Mind>、そして日本リリースのボーナストラック、12曲目<Reflect Reprise(これは多分グラスパー本人の語り)>はどれも映画の1シーンを観ているような気分にさせられる。
<Change Of Tone>
アルバム1曲目のこの曲はシングルとして先行発表されている。7分半に及び、4つのセクションに別れる組曲のような構成で、また全員を上手に無理なくフィーチャーしている。Apple Musicでの試聴はこちら(リンク→)。Apple Musicのメンバーでないと2番目のセクションしか試聴できないので、この記事の末尾にYouTubeを挿入することにする。
この4つに分かれているセクションだが、予想に反して起承転結構成になっていない。後述するが、エネルギーの流れ的には下降系で、最後のセクションはマイルスの『You’re Under Arrest』の最後の<Then There Were None>を思い起こさせられたのは筆者だけだろうか。今回はこの4つのセクションを個別に解説する。
第一セクション
まずタイソンのハイハットから始まり、グラスパーが「Just keep the time digging」と言い、はっはっはと笑う。これはとても日本語訳にしにくい。「そのままグルーヴしててくれ」だろうか。この始まり方は、本誌No. 220で取り上げたグラスパーの『Everything’s Beautiful』(リンク→)アルバム冒頭に収録されているマイルスの語りと同じだ。グラスパーはしょっぱなからマイルスなのだ。
そしてグラスパー得意のクラスターが始まる。
F#-7とG♭Maj7の2コードだが、これは古くからある手法、モーダルインターチェンジであるところの同主調解決である。採譜の際に筆者がF#Maj7と書かなかったのは、便宜上G♭Maj7と書いた方がヴォイシングが読みやすいからとご了承頂きたい。
グラスパーのクラスター3小節目からタイソンのマーチングバンド的なリフが始まる。このタイム感がすごい。タイムの幅を目一杯とってグルーヴしており、バックビートではなくストレートに打ち降ろすスネアの位置がビハインド・ザ・ビートだというだけでこんなに官能的になるのかと驚愕してしまった。6小節後に始まるこの第一セクションのビートリフがこれまたかっこいい。最初のリフと合わせて採譜してみた。
タイソンのグルーヴで充分楽しんだ後、テーマのメロディーが始まる。興味深いのは6/4拍子小節を挿入してタイソンの洒落たフィルが挿入されていることと、グラスパーのコードだ。採譜してみた。
相変わらずグラスパーのヴォイシングはクラスターだ。マイナー11thコードは当然9thも含む。興味深いのは、後半のコードは前半以上にクラスターで、後半最初のコード、EマイナーではDorianヴォイシング、F#マイナーではAeorianヴォイシングになっているということだ。このAeorianヴォイシングで、アヴォイド音である♭13音をクラスターの中に埋め込み、モードをはっきり提示している。恐るべしグラスパー。
このメロディーの音源はおそらくマクファーリンのMoog(モーグ)系シンセだ。70年代に使い古されたサウンドを何の違和感もなく登場させるプロデュース手腕が光る。このメロディーの繰り返しパートで、マーティンのヴォコーダーとホッジのベースがユニゾンで加わる。
第二セクション
全く違和感なく、別の曲だというような印象も与えずスムーズに第二セクションに移行するが、テンポが若干遅くなり「何かが変わった」ことを知らせる。第一セクションは4分音符92BPMあたりだったが、第二セクションで突然4分音符88BMPほどになる。筆者にはこれが別テイクから縫い合わされたものなのか判断できなかった。その理由はタイソンが第一セクションのDnBグルーヴから第二セクションのバックビートに実に自然に移行しており、何ともおしゃれなのである。つまり、ストレートビートであるDnBから、スイングビートであるバックビートに移行すれば、同じテンポでも遅くなった様に聞こえるものだ。それを利用して実際にテンポを落としているのだ。
ところで、日本で使われる4ビート、8ビート、16ビートは和製英語で、意味をなさない。英語で4ビートとは1小節に4拍のこと、8ビートは1小節に8拍のことだ。つまり4分音符小節ではそれぞれ4分の4拍子、4分の8拍子を表す。重要なことはこの言い方に付随する弊害があるということだ。日本ではメトロノームに対する縦ノリのストレートビートと、ジャズ、ファンク、ロック、ソウルなどに使う3連フィールを伴うスイングビートの区別がない。例を挙げよう。日本にはブレッカー・ブラザーズが世に広めたファンクビートと、それ以前に一世を風靡したハービー・ハンコックの『ヘッド・ハンターズ』のファンクビートとの違いを譜面で指示できない。アメリカでは前者を「ストレート・ファンク」、又は「ストレート16th」、後者を「ラウンディッド・ファンク」、又は「スイング16th」と指示し、演奏者はどちらのスタイルで演奏すればいいかすぐに理解する。ちなみにラウンディッド(Rounded)とは3連フィールを意味する。
話を元に戻す。興味のある読者は是非この第二セクションに入った部分のタイソンのハイハットに耳を傾けて頂きたい。16分音符で叩くハイハットはメトロノームに合わせた16部音符の連打ではなく、チンチキのジャズのスイングのタイムフィールを使用している。そしてこれを、16ビートではなく、Rounded 16th、ラウンディッド・ファンク、スイング・ファンクなどと呼ぶ。
さて、このセクションはグラスパーのピアノソロのセクションである。このコード進行が例によって例のごとく奇抜だ。
何と3小節フレーズであり、進行も5度圏の重力に逆らい、半周したところで正反対側に戻るというようにも考えられるが、グラスパーはわざとモードを限定する音を弾いていないので、何を考えているのか確定はできない。実に新鮮だ。その新鮮なコード進行で、何と彼はトラディッショナルな、エロール・ガーナーやレッド・ガーランドが好んだ、内声に2度を埋め込むブロックコードのソロを推し進める。どこまでもおしゃれだ。もちろんグルーヴ感は抜群で、身を委ねて楽しむことができる。
このセクション最後で第三セクションに導くために単純な2コードに移行する。E♭-7とA♭-7だ。
第三セクション
第三セクションへの持って行き方が面白い。このセクションはかなりエネルギーを下げてトランスセクションとし、スコットの多重録音したトランペットが何度も繰り返され、マーティンのヴォコーダーが断片的に入る、その入り方が美しい。まずそのトランペットのリフの採譜だ。
ご覧の様にモーダルな4thのヴォイシングになっている。このラインからも、またグラスパーのコンピングからも分かるように、最初のE♭-7はAeorian、続くA♭-7はDorianで、ところが聴くものには心理的にA♭-7が主調に聞こえる。やはりグラスパーはジョージ・ラッセルのリディアン・クロマチック概念を意識しているとしか思えない。
もう一つこのセクションで面白いのは、マーティンがヴォコーダーに使用するフェーズ処理のエフェクターをスコットのトランペットに使用しているのに対し、マーティンはここでだけそのエフェクターを自分のヴォコーダーから外しているのだ。これがまた効果抜群だと思う。もうひとつ言及したいのは、そのフェーズ処理の上手さだ。フェーズ処理と言うのはもともと位相をズラすので、もし聴き手がモノラルしか再生できない機材で聞いたら相殺されて音が消えてしまう。それを避けるために対象の、トランペットなりヴォコーダーなりのトラックを、強制的にモノラルシグナルに変換して相殺現象が起こった状態をまず作り出し、そこから処理している。位相反転のスピードをあたかもヴィブラートのように聞こえる工夫がされていたり、Comb Filter現象と言って、通常干渉する倍音が消えてなくなり、耳障りなチリチリした音質になるのだが、それも上手に回避する工夫がされている。その上、何と対象のトラックのリヴァーブまでモノラル処理しているので、上手に浮き出るように聞こえるのだ。このテクニックは筆者も是非試してみたいと思った。
第四セクション
最後のセクションはA♭-7一発の静かなアルペジオで、消え入る終わりを提示しており、後半でGoapele(ゴアペレ)のヴォーカルと、それに続いて、クレジットが手元にないので誰か分からない男性のヴォーカルが入るのだが、どちらのヴォーカルトラックも中周波数を残して高周波数も低周波数もカットしたEQ処理で、安物ラジオ再現エフェクトを使っており、どうにも言葉が聞き取れなかったのが残念だ。
この一見ダラダラと浮遊する最終セクションも、とんでもない仕掛けが入っている。全員のテンポをわざとバラバラにしてあるのだ。いや、バラバラに聞こえるようなおしゃれな細工がしてあるのだ。まず冒頭ベースが2拍3連でピアノとズレて聞こえる。続くタイソンのライドはベースと同じ2拍3連で、思わずこれは3拍子の曲なのかと思いきや、キックドラムとスネアがハーフテンポのバックビートで入って来る。このバックビートがライドより思いっきり前に喰っているのだ。但しこのびっくり喰いはコンスタントに続くのではなく忘れた頃にポンと入って来るのでドキッとする。何というアイデアであろうか。実におしゃれだ。その後始まるマクファーリンのシンセとマーティンのキーボードはグラスパーのピアノと同期しているので、タイソンの不思議な位置のグルーヴが余計際立つ。
この4セクションからなるアルバム1曲目、前述したように起承転結ではなく起転承結という構成で、テンポはセクションごとに遅くなり、アルバムの冒頭の曲だと言うのにエネルギーは下がって行くという、なんとも不思議な曲だ。しかも7分半。アルバム1曲目が長いと、残りを聴きたいと思わせるのに苦労する場合も多々ある。ところがこの曲は不思議とそんな心配をさせない。まずアイデア満載オンパレード。グラスパーの奇抜なコード展開や、グルーヴしまくるピアノソロももちろんで、全員が平等に貢献したというこのアルバムプロジェクト、やはりグラスパーの主導権は否めない(アルバムジャケットではグラスパーがひとりで偉そうに真ん中に鎮座している)ものの、他全員のアイデアも見事に活かされている。ただ、この曲はアルバムに対する先行シングルリリースなので、1曲完結の必要性もあったのかもしれない。いずれにせよ、すごい構成力だ。新しい・面白い・かっこいい、の三拍子。
最後にひとこと:筆者にとってグラスパーはやっぱりマイルスだ。