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Concerts/Live ShowsNo. 315

#1312 タツ青木のふたつの来日ギグ

Text and photos by Akira Saito 齊藤聡

シカゴのフリージャズ・シーンにおいてタツ青木の存在は欠かせないものであっただろう。AACM(Association for the Advancement of Creative Musicians)を代表するミュージシャンたちとの共演は驚くほど多い。その一方で、青木本人も「あなたは東京で私のことを知っている4人のうちのひとりだ」と冗談を飛ばすように、東京のシーンではさほど知名度が高かったわけではない。それも、長いことシカゴでの活動を続けてきたからに他ならない。

今般の再来日で組まれたギグはふたつ。年齢的にはかなり年下のミュージシャンたちとの自由即興、そして大御所・山下洋輔との邂逅である。

2024/5/26 なってるハウス

Tatsu Aoki タツ青木 (contrabass)
Keisuke Saito 斉藤圭祐 (alto saxophone)
Hikaru Yamada 山田光 (alto saxophone)
Raiga Hayashi 林頼我 (drums)

シンプルなフリーを演りたいとの青木の呟きを受けて筆者が企画した。青木は、シカゴではすべてが「processed」というわけではないと話す(*1)。その特徴を考えるならば、共演者は独自の方法論を模索している者でなければならないし、なにより青木を圧倒するなにかをみたい。

アルトサックスの斉藤圭祐のもつ勢いはやはり驚くべきものであり、かれが一心不乱にブロウする姿にはおそれやためらいといったものが見当たらない。言い換えてみれば、それはグループのバランスを成立させるためには危うい要素となっていた(もちろん、それが斉藤のおもしろさであり、渋さ知らズのステージにおけるカタルシスはかれならではだ)。だから、ファーストセットのあと青木がメンバーに対して口にした「こんどはドラムソロから始めてみよう」との提案は、青木の経験知によるものだっただろう。

たしかにドラムスの林頼我はコミュニケーションの人であり、プレイするとき愉しそうにメンバーの動きを観察することが印象的だ。セカンドセット冒頭のドラムソロを受けて、青木がその後の展開を引き取った。この仕掛けは奏功したようで、ときに青木の出発点である邦楽器を思わせる味わい深いコントラバスが全体を包み込み、ときに異音を使ってのアタックがステージに刺激を与えた。それでも借り物の楽器ゆえ遠慮したところもあったようで、筆者もシカゴに行ってフレッド・アンダーソンのテナーと伍したプレイを観ておけばよかったと後悔する。

山田光はもうひとりのアルト奏者として参加したが、ジャズのプレイヤーというよりも、ライブラリアンズでの奇妙なサウンド提示やプリペアドサックスでの楽器の可能性追求を行ってきた人だと認識されているのではないか。最近になって「フリージャズ」という方法論を深掘りの対象としているようでもあり、激しく投げ棄てるようなブロウを予想した。だが、この日かれが選んだアプローチは、トータルサウンドの調整弁でありつつも個人の音色を目立たせるというものだった。背景に音を鳴らし続け、ふと気づくとかれがそこにいる。極めて戦略的で野心的なものに思えた。

このように、視点の位置、個人技のありよう、コミュニケーションの方法がまったく異なる四者が集まったギグは、その場で良いかたちに昇華させられるプロセスそのものであり、それゆえ観る者にとっても刺激的なものだったと言うことができるだろう。

2024/6/7 晴れたら空に豆まいて

Yosuke Yamashita 山下洋輔 (piano)
Tatsu Aoki タツ青木 (contrabass, 三味線, 太鼓)
Takahiro Tomimatsu 戸松美貴博 (踊り)

踊りの戸松美貴博は山下洋輔との「肉態DUO」を15年以上も続けている。縁あって青木とも知己を得てシカゴツアーに招かれるという縁があり、このトリオが組まれることになったという。

山下と青木とは初共演だがふたりともさすがの手練れであり、おのおののペースで愉しみはじめていることが伝わってくる。青木は三味線ならではの周波数が揺れ動く響きを持ち込み、それにより、観客の鼓膜を緩めたように思えた。コントラバスは太くて柔らかくもあり、武装解除した鼓膜をゆるやかに刺激してゆく。遊び心をもって逸脱するかのような音はシカゴでの経験を通じて得られたキャパシティの大きさゆえか。青木によればシカゴのシーンはニューヨークや東京とちがって泥くさく、「整理されていない」というのだから(*1)。もとより青木が長く共演してきたフレッド・アンダーソンのサックスの魅力は逸脱にある。

山下はここぞと決めて走り、その都度異なる貌をもつクラスターを創出してみせる。それは山下が切り開いてきた「スタイル」であるかもしれないのだが、クリシェなどは皆無でありじつにおもしろい。山下が1979年に『First Time』を吹き込んだのははじめての渡米時だった(*2)。共演相手もマラカイ・フェイヴァース(ベース)、ジョセフ・ジャーマン(リード)、ドン・モイエ(ドラムス)とシカゴAACMの面々であり、青木もそれぞれとのアルバムを作っている。山下が1985年にシカゴを訪れた際の文章を読むと、モイエとの縁がまた別のかたちに化けていったこともわかる(*3)。今回のステージを前にして、山下の脳裏にそういった記憶がよぎったかどうか。

ふたりのクラスター、静と動。この呼吸の中に戸松美が加わる。別の表現形態ゆえ異物として介入し摩擦を生じさせるのかと思いきや、その予想は裏切られた。たしかに激しい舞踏であり、頻繁にステージから客席の側に乱入する。だが、かれもまた音楽であり、第三のクラスターとなって相互作用をさらに複雑で先の読めないものとした。山下が戸松の動きを凝視して遠慮なく攻めているのが印象的だった。

このあと、シカゴという要素がふたたび山下や戸松の表現に影響してゆくかもしれない。そう想像するのもおもしろい。

(*1)筆者によるタツ青木へのインタビュー(2023年)
(*2)岩浪洋三による『First Time』ライナーノーツ(1979年)
(*3)山下洋輔『アメリカ乱入事始め』(文藝春秋、1986年)

(文中敬称略)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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