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Concerts/Live ShowsNo. 326

#1367 映画『ボサノヴァ~撃たれたピアニスト』

text by Shuhei Hosokawa  細川周平
画像提供:2ミーターテインメント

テノーリオ・ジュニオール。このブラジルのピアニストを知らなかったわけではない。20年ほど前、リーダー・アルバム『エンバーロ』の日本盤CDを、一曲目のカッコよさとイカしたジャケでちょっと気に行った。しかしジャズ本流のようなピアノをブラジルにも発見というだけだった。もっとブラジルっぽいスタイルを求めていた。見直すと、ホレス・シルヴァーの『ブロウィン・ザ・ブルース・アウェイ』のジャケを真似たようで、聴き直すと演奏もいかにもラテン風味のバップでジャケを裏切らず、ホレスのノリをもろに引き継いでいる。タッチが強靭でメンバーとのやりとりもゴキゲンだが、聴いた当時はブラジルらしくないのが不満で忘れていた。

「ボサノヴァ」という日本だけのタイトルから、60年代リオ青春物語かと想像していたら、シーンの周辺で活躍し、軍事政権下のアルゼンチン・ツアー中に姿を消したこのピアニストの伝記だった。それもアニメを使って、ドキュメントとフィクションを交えて、調査プロセスを追うひらめきありのつくりで、二度続けて見てもまだ足りない。副題(原題訳)はトリュフォーの定番『ピアニストを撃て』に語呂が似ていて、ヌーヴェルバーグとボサノヴァは同時代の革新運動だっけ、と余計なことまで頭がめぐる。ちょうどテノーリオがプロ活動を始めたころの映画だ。

映画はあるアメリカ人ジャーナリストが、テノーリオ・ジュオール(1940~1976)35年の人生の伝記本を書店で出版記念トークするという設定で、その取材が当人の語りに乗せてドキュメントの恰好(括弧)をつけ、三重構造に動画化されている。二人の現実と架空の出会いが、複数の位相で交錯する考え込まれた物語構成になっている。話始めによると、テノーリオは医学生だった60年代初頭、アメリカに旅行してエラ・フィッツジェラルドやバド・シャンクのライブに心奪われ、ピアニストになる決意をする。その場面では実際のライブ映像をただまっすぐ動画化せず、カメラのクローズアップと移動とバックをうまく折り込みながら、プレイと連動させる独自の映像世界を築いている。アニメ担当のカルロス・レオン・サンチャには、ただジャズの演奏映像だけで一本つくって欲しいと思うほどだ。

テノーリオは帰国後、コパカバーナの有名なクラブやスタジオで歌手の伴奏や自分のトリオで、ボサノヴァ萌芽期を担う。ジョアン・ジルベルト、トム・ジョビンが近くにいる。『エンバーロ』はその開花、1964年のアルバムだが、同じころよりアメリカのジャズ業界はブラジルの奏者を引っ張って、ボサノヴァがかったスタイルは大いにもてはやされた。スタン・ゲッツとアストラッド・ジルベルトがもてた時代である。映画ではテノーリオでなく、セルジオ・メンデスが西海岸の好みに合って連れ出されたと誰かが語っている。ブラジル66が日本でもヒットした。大阪万博にも来た。よく覚えている。

同じころ、有名なモントルー・ジャズ・フェスの頃、テオノールがビル・エヴァンスに会って感化される場面がある。以前より尊敬する大家に紹介され、ブラジルらしさを出せと忠告を受け、テノーリオは自分のスタイルを創る方向に向かったと映画は述べている。その時代の(振り返れば晩年の)リーダー演奏を聴けないのを残念に思う。

伴奏が知られているガル・コスタやワンダ・サーの録音を静止画像やレコードや、空想の動画を使って挟み込んでいくリズムが心地よい。カエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジル、ミルトン・ナシメント、アストル・ピアソラまで彼を思い出す語り手として動画で登場する。テレビからのステージ場面に視線が集中していくと、画面内にフェーズが移っていく場面もある。音源の使い方が非常に巧みで、演奏映像の単純なアニメ化に限らない。通常の「死者を語る」式のカメラ映像のドキュメントならば、静止画の死んだ主人公以外は動画のインタビューが対比されるところ、アニメ化により主人公の現実とインタビューの回想が、同じ次元の映像に統一され、臨場感がかもし出され、テノーリオの生きた世界に入っていきやすい。公的なミュージシャン生活と私的な家族生活の両方をバランスよく配して、ピアニストを追っている。

インタビューされるなかには、遺族、旧友、ミュージシャンはもちろんだが、(顔は出さずに)最初の離婚した妻やアルゼンチン警察の尋問者まで広がり、語りは言いにくいことまで及ぶ。監督の取材力は並ではない。拷問の関係者まで呼び出せたのは、信頼がよほど高かったのだろう。ホテルから煙草を買いに出たまま帰ってこない街頭の風景画は、人生の最終点として何度も繰り返されるので、観客の心に焼きつけられる。後からの公式調査で秘密警察に拘束され拷問のすえ殺されたと認定されている。

アルゼンチンの(南米の)軍事化が70年代、CIAの裏工作で進められたとニュース映画に語らせ、テノーリオが戒厳令の下、うっかり外出して怪しまれ拘引された陰の現実のように仄めかしている。『エンバーロ』の年に樹立のブラジルの軍事政権も、合衆国の権勢と関係し、ジャズとブラジルの親密さに秘めるかのような言いっぷりだ。興行界に陰謀が渦巻いていたのではないが、60年代、拡大主義によってアメリカはそれまでのキューバ、カリブ、メキシコのような南の近隣国から、遠いラテンアメリカにも関心が広がり、60年代のボサノヴァ・ジャズ人気はその現われと、フェルナンド・トルエバ監督は思わせぶりにジャーナリストに語らせている。政治を描こうというのでなく、気がかりに残しておく。テノーリオはその現地の第一ピアニストだった。そのアルバム・レベルの実力ピアニストがその後自分のコンボを持てなかったのは、ジャズ・サンバのシーンがブラジル国内では相当限られていたからだろう。インスト物はごく小さな演奏場面しか保てず、そのブラジル版はショーロやサンバの系譜を引いても、特定の層の外には広がっていかない。テノーリオを思い出そうというのは、ある国内のテレビ番組になったきりだった。

映画は最後に、運命のアルゼンチン・ツアーに同行していたボサノヴァ創造の一角ヴィニシウス・ジ・モライスに友を語らせ、テノーリオと楽器を分け持つ仲良しジョアン・ドナートのピアノソロで締めくくられる。監督の追悼の念がきっちり伝わる。『エンバーロ』を聴き直し、こんなピアニストがいたという発見と、その哀惜の念をこんなかたちで映像表現できるという驚嘆に心を持っていかれた。

タイトル:『ボサノヴァ~撃たれたピアニスト』
原題:THEY SHOT THE PIANO PLAYER
監督:脚本:フェルナンド・トルエバ
監督:ハビエル・マリスカル
声の出演:ジェフ・ゴールドブラム
アニメーション監督:カルロス・レオン・サンチャ
キャラクターデザイン:マルセロ・キンタニーリャ
編集:アルナウ・キレス
サウンドエディター:エドゥアルド・カストロ
2023年/スペイン・フランス・オランダ・ポルトガル/英語・ポルトガル語・スペイン語/カラー/4Kシネスコ/5.1ch/103分
配給・宣伝:2ミーターテインメント/ゴンゾ
公式サイト: https://bossanova.2-meter.net/

細川周平

細川周平 Shuhei Hosokawa 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は音楽、日系ブラジル文化。主著に『遠きにありてつくるもの』(みすず書房、2009年度読売文学賞受賞)、『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店、第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞)。編著に『ニュー・ジャズ・スタディーズ-ジャズ研究の新たな領域へ』(アルテスパブリッシング)、『民謡からみた世界音楽 -うたの地脈を探る』( ミネルヴァ書房)、『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング)など。令和2年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

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