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Concerts/Live ShowsNo. 242

#1012 エルメート・パスコアールとグループ
FRUE – Universal Music Japan Tour – feat. Hermeto Pascoal e Grupo

2018年5月11日 大阪  梅田シャングリア

reported by Shuhei Hosokawa  細川周平

 

出演:
【エルメート・パスコアールとグループ Hermeto Pascoal e Grupo】
エルメート・パスコアール Hermeto Pascoal (keyboard, accordion, teapot, bass flute, his skeleton, cup of water…)
イチベレ・ヅワルギ Itibere Zwarg (electric bass and percussion)
アンドレ・マルケス Andre Marques (piano, flute and percussion)
ジョータ・ペー Jota P. (saxes and flutes)
ファビオ・パスコアル Fabio Pascoal (percussion)
アジュリナ・ツヴァルギ Ajurina Zwarg (drums and percussion)


長くて白い髭と髪、当年とって82歳の御大はワインボトルをプープー吹きながら登場した。酔っ払いの真似をして客を笑わせる。続いて5 人のメンバーが2本のボトルを交互に吹いてパターンを作りながら登場しかけ合いを始めた。バンドにとって道具と楽器の違いはない。楽器は利用目的の限られた道具で、何かしら音を出せるならすべて音楽に投入できる。親分は革のブラジル北東部のカウボーイハットやおもちゃでシンセサイザーの鍵盤をたたき、お風呂で遊ぶプラ人形をプープー鳴らし、木製の靴作りの型や木製のカップを叩く。そこからトライアングルやタンバリンのような打楽器の間にはあまり違いはない。音楽や楽器はポルトガル語でtocar(触る)を動詞とするが、彼はまさに道具を触る。要はどういう音をどういうタイミング、リズムで創り出すかにある。

5人の結束は揺るぎなく、御大が視線でひっそり、あるいは巨体を揺らしてどっかり送り出す合図を一つも逃すまいと集中していた。たぶん曲順は決まってなく、ちょっとした音のきっかけや口頭のメッセージで伝えられた。調子よさの合間にいわゆる変拍子を配置しノリをはぐらかされる曲が多く、プログレッシヴ・ショーロと呼びたくなった。それはどうでもよい。ずれていくのがなぜこうも浮き浮きさせるのかと、頭でっかちはつい思案する。表向きの拍打ちよりもからだの奥のリズムの流れに5拍子や7拍子は訴えるようだ。殿のどういう気まぐれか、曲が急に入れ替わり、テンポが倍速になり、即興劇を見るわくわく感に場内は包まれた。あわれジョータ・ペーは数本のサックスを前にどれを持つか、あわてて対応せねばならぬことがしばしばあった。20年は共演しているベースのイチベレ・ヅワルギはどんな突発事故にも親父さん、今度はそう来るかい、というような余裕の笑顔で対応し、息子のファビオ・パスコアルはトライアングルやタンバリンにも超絶技巧があることを随所で教えてくれた。

リズム隊が基本を保ったまま順にソロを回すジャズ式の場面のほかに、各自が無伴奏ソロを任されるポイントも絶妙のタイミングで配置され、2時間ほどの流れにメリハリがついた。強力なリーダーシップの下で凄腕メンバーが鉄の結束を見せつつ、自由奔放な気まぐれと驚きのすき間を持つ演奏、それは彼が短期間参加した70年代初頭のマイルス・デイヴィスのバンドに通じるだろうが、髭の魔法使いは陽気でお茶目な点で、上から統率するトランペッターとははっきり分かれる。エルメートを笑顔で囲むバンドの写真がアルバムにはよく見える。自身もメンバーも適宜ワインを飲み、舞台袖にはメンバーの家族らしき女性数名が気楽に現われ、ある曲ではその一人を爺が舞台に引っ張り出して恥ずかしがるのを構わずダンスを始めた。照れる彼女も音楽ファミリーの一人だ。ホームパーティーで賑わっているかのようで、緊張と弛緩が背中合わせの時間をすごした。御大と観客のかけ合いは何度も行われ、かなり複雑なフレーズにも客席は呼び返していたと思う。この種の応答は見えすいた盛り上げ方でふだんはあまり好まないのだが、当夜はどんなフレーズでも来い、返してやるという意気で迎えた。

他人の曲は一曲だけ、セロニアス・モンクの「ラウンド・ミッドナイト」で、御大が水の入ったやかんの口をブクブクとあの有名な旋律を声で出しながら吹いた。CDで聴ける同曲のサックス演奏とはまったく別の趣向だ。やかんが水面と声の作り出す旋律を反射して、どんな楽器からも通常の声からもかけ離れた音質と残響を創り出した。「吹く」という点でやかんはマイルスのトランペットと変わらないが、震わせる空気は正反対の気分を漂わせる。声と物音が融合した定義しがたい響きの演奏で、自ら「グレイト・ミュージシャン」と紹介したモンクへの畏敬を、あまりに独創的な流儀で表現した数分間だった。二人ともよく奇人と称されるが、波長が合うと翁は直感しているに違いない(他にピアソラに捧げる曲が、世にあるピアソラもどきとずいぶん違う料理法で敬意を示し、耳に迫った)。

コンサートの終盤に自分たちはUniversal Musicをやっていると御大は独りごちした。これはツアーの名称にもなっている。これは彼の前々からの持論で、普遍的で万人に通じる音楽とも宇宙の音楽とも取れる(『宇宙ブラジル』という傑作アルバムはもう30年前になる)。だがそれよりも何でも作りよう、聴きようによって音楽になるという意味に取るほうが真意に近いかもしれない。万物の音楽と意訳しておこう。大統領演説や水泳教室の先生のしゃべりにキーボードで「伴奏」をつけ、彼(女)をヴォーカリストにしてしまった曲が『神々の祭り』には録音されている。毎日のしゃべりも潜在的には音楽であるという立派な証明だ。同じくどんなモノも扱いようによっては音楽を奏でうる。

聴きたかった御大のボタン・アコーディオン(バンドネオン、サンフォーナ)はアンコール曲でようやく持ち込まれた。ブラジル北東部で使われてきた今では骨董的な楽器で、蛇腹の伸び縮みに伴う空気のフカフカ抜ける音とボタンを押すカタカタいう音が、田舎臭さを演出する。試し弾きするうちに曲に入って、ひと昔前の大道語り芸をひねったような曲になっていた。万物の音楽の出発点は生まれ育ったブラジル北東部にあるという小さな誇りが感じられた。こうして初めて見るエルメート・パスコアルのライブは、その場にいたことを何年先になっても思い出せるような幸福感に満ちていた。

帰り道、梅田のドラッグストア前を通ると、行きしなでも聞いた中国語の決まった音律の呼び込み声が妙に歌に聴こえ、さっきまでの気持ちよいバンドの記憶をかき乱してしまった。エルメートのいたずらに引っかかってしまったようだ。


photo by Makoto Ebi (東京公演 @渋谷 WWW X)

細川周平

細川周平 Shuhei Hosokawa 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は音楽、日系ブラジル文化。主著に『遠きにありてつくるもの』(みすず書房、2009年度読売文学賞受賞)、『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店、第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞)。編著に『ニュー・ジャズ・スタディーズ-ジャズ研究の新たな領域へ』(アルテスパブリッシング)、『民謡からみた世界音楽 -うたの地脈を探る』( ミネルヴァ書房)、『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング)など。令和2年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

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